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2-5-4:騒ぎの後 [峠◇第2部]

行き場のない怒りと悔しさを抱えた鉄三は、真っ暗な港に駆け出した。
銀二に忠告されたとおり、注意していたつもりだったのに、和美を守りきれなかった自分への悔しさと、これまで長年働き尽くしてきた村田屋が自分を信じてくれなかったことへの悔しさが入り混じって、どうしようもない思いを抱えて、わあわあと叫びながら、とにかく駆けた。
港を抜け、浜に出た。まだ真っ暗な海に飛び込んだ。

しばらく時間が過ぎ、闇の中に白々とした空が広がり始めていた。
鉄三は、砂浜に横たわり、空を見ていた。
「どうしたんだ?」
ぬーっと銀二の顔が鉄三を見下ろしていた。銀二は夜の漁から戻ったようだった。
鉄三は、昨夜の出来事を詳細に銀二に伝えた。銀二は怒った。そして、鉄三を殴りつけた。
「だから、注意しろって言っただろうが!」
鉄三は子どものようにべそをかいている。そんな様子を見て、
「大丈夫だ。鉄三。おれが光男を追い出してやる!まあ見てろ。」
銀二の表情は、いつもの優しい銀二ではなくなっていた。
鉄三は思い出した。昔、自分が小学校の頃、町の高校生と中学生に苛められ、ケガをした時、その後、銀二は一人で喧嘩を売って、皆に大怪我を負わせたことがあったのだ。
それが元で、高校に行けず、家業を継いだのだった。その時の恐ろしい銀二の目つきになっていたのだった。
「ああ、それからな。決して短気な事するんじゃないぞ。じっと我慢するんだ。良いな。和美さんにも、決して幸一を離しちゃダメだって言っとくんだぞ。」
そう言うと、銀二はさっさと家に向かって帰っていった。

一方、、騒ぎの後、部屋に残りそのまま一睡も出来ずに朝を迎えた和美は、皆が起き出す前に荷物を抱えて、挨拶もせず、村田屋を出て行った。
まだ、始発のバスは無く、仕方なく、向島大橋を歩いて渡り、町へ向かった。
歩きながら、和美は考えた。

-『紫』へは帰れない。自分が村田屋に来た後、新しい女の子を雇ったと聞いていたからだ。だが、あそこ以外に行くところは無かった。―

しばらく歩いていると、後ろから黒塗りのハイヤーがやってきた。脇によけると車は和美の横で停まった。
窓が開いて、
「おや、どこかで見た顔だと思ったら、和美さんじゃないですか?」
聞き覚えのある声だった。
「あ、大木先生。・・・・おはようございます。」
「どうしたんだい?こんな朝早く。どこかへ行くのなら送っていこうか?」
「いえ・・」
和美が覇気のない返事をしたので、何かあったんだと直感した大木医師は、
「まあ、乗りなさい。そうだ、朝ごはんは食べたかい?一緒にどうだい。さあ乗って、乗って。」
半ば強引に車に乗せた。

ほんの5分ほどで、病院の裏にある自宅に着いた。
大木医師は、独身だった。
医者の勉強で明け暮れていたのが最もな理由なのだが、実は、女性に対してコンプレックスを持っていたのだった。町では有名な病院で資産家、そして独身となれば、言い寄る女性も多かった。だが大半は資産目当て。見合い話も来るのだが大抵は政略結婚がありありとわかるものばかり。こんな日々の中で、どうしても女性を素直に受け入れる事ができなかったのだった。だが、和美を見たとき、今まで知っている女性とは違っていた。自分を犠牲にしてまで命を守ろうとした事や、自殺に追い込まれた悲しい過去を持ちながら健気に生きている姿、こういう女性もいるのだと改めて知らされたようなものだった。守ってあげなければと思って当然の存在だった。ただ、自ら動く事はできずにいたのだった。

部屋に入ると、お手伝いの家政婦が待ち構えていた。すぐに朝食が用意された。
大きなダイニングテーブルに、二人は座った。
「済まないね、無理言って。まあ、遠慮なく召し上がってください。」
そう促した。トーストと目玉焼きにサラダ、果物、そして、牛乳とコーヒー・・高そうな器に盛り付けられていた。和美は申し訳なさそうに手をつけられずにいた。
「パンは嫌いだったかい?ご飯にしようか?」
「いえ、こんなもったいなくて・・」
「何言ってるんだ。僕が誘ったんだ。ねえ、君が手をつけてくれないと僕も食べられない・・」
「すみません。じゃあ、いただきます。」
和美は夕べからあまり食事らしいものを摂っていなかった。急におなかが空いてきて全て綺麗に食べた。
「ご馳走様でした。美味しかったです。」
大木は、にっこり笑った。そして、
「すまないが、少し、寝かせてもらっていいだろうか?実は、昨晩、危篤の患者がいて、朝まで診ていたものだから、回診の時間まで休みたいんだ。君も夕べはあまり寝ていないんじゃないかい?目が真っ赤でくまが出来てる。隣の部屋で休むと良い。」
そう言って、大木はさっさと部屋を出て行ってしまった。
家政婦が、やってきて、「こちらへどうぞ」と案内する。仕方なく、和美はついていった。
案内された部屋には大きなベッドが置かれていた。家政婦は着替えを出してくれた。もう、案内されるままに着替え、ベッドに潜り込んだ。ここ数日の疲れなのか、久しぶりの安堵感に包まれて、ぐっすりと寝入ってしまった。

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