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2-6-2:龍厳寺 [峠◇第2部]

鉄三は、昼食の準備をするために、大急ぎで村田屋に戻った。その日は、平日でもあり、それほど客は多くなく、すぐに片付けは終わった。それから、すぐに、セツさんのところへ行き、和美をしばらくここにおいてもらうように話した。セツさんは快諾して、部屋の掃除を始めた。銀二のところに行ったが、留守だったので、また出直す事にして、一旦、村田屋に戻った。

ちょうど、その時、店の前を大木医師の黒塗りの乗用車が通過した。和美の姿は座席に深々と座っているのか、確認できなかった。大木医師が、鉄三をみて手を上げた。鉄三は、深々と頭を下げて見送った。
その後、鉄三は、店の玄関前にある、丸椅子に腰を降ろし、考え事をしていた。和美に会ったことや居場所について、村田屋の主人に話すべきか迷っていたのだった。

すると、店の中から、主人の声がした。
「鉄三!鉄三は居ないか?」
「はい。ここです。」
返事をして、店の中に入ってみると、主人が、
「おお、居たか。ちょっと悪いんだが、龍厳寺に行ってくれないか?」
「ええ、いいですが・・何の用事でしょう。」
「ああ、やっぱりお前も・・・ほら、あと1週間で、裕子の命日、1周忌の法要だぞ。」
鉄三は、主人にそう言われるまで、すっかり忘れてしまっていた。まだ1年しか経っていないのにと自分を恥じた。
「すみません。いろいろあって・・」と言い訳じみた返事をするしかなかった。
「いや、良いんだよ。私だって、もうそんなに経ってしまったのかと思っているんだから・・」
「それで、法要の相談ですか?」
「ああ、それはさっき、電話で大方の事は決めておいた。ただ、住職にはいろいろと骨折りいただいた事もあるし、お礼と言っては何だが、手土産を持って、お前も挨拶してくるといい。住職が、お前に会いたいそうなんだ。」
「そうですか・・今日は、夕方のお客さんも無いようですし・・・・旦那さん、龍厳寺に行った後、そのまま、兄貴のところへ行ってきてもいいですか?」
「ああ、構わないよ。私たちも今日は早めに夕食を済ませて休むとしよう。」
「あっ・・夕食・・」
「なに、構わないさ。アキが居るから」
「えっ?アキさんがこしらえるって事ですか?」
「ああ、そうか、お前は知らなかったか。アキは、昔、東京に居た時にね、料理人と結婚して小さな店をやってたことがあるんだよ。直々に仕込まれたようで、洋食を作らせたら、多分、この町では一番の腕前だと思うよ。」
「そうなんですか?とてもそんな風には見えませんでした。」
「アキにもいろいろあってね。身を持ち崩しちまったんだ・・根は正直で明るい娘だったんだがね・・男運が悪いって言うか・・まあ、本人にも問題はあるんだろうがね・・まあ、そんな話は良いから、早く行っておいで。これをもって行きなさい。」
主人は、小さな風呂敷包みを渡してくれた。

龍厳寺は、村田屋から歩いてそう遠くなかった。高台にあり、長い石段を上がると、境内になっている。
石段を上がっていると、住職が、箒で掃除をしていた。齢80くらいだろうと思われるが、矍鑠として威厳のある顔つきをしている。住職になる前は、漁師だったそうで、兄-銀二-も年老いたらこんな風になるのではないかと鉄三は、いつも思っていた。

「おお、来たか。待っとったぞ。」
「済みません。お待たせしました。ああ、これ、村田屋のご主人からです。」
そう言って風呂敷包みを渡した。中は、和菓子のはずだった。この住職は酒は一切やらず、甘党で、特に和菓子には目が無いのだった。
「ほう、これはこれは、ありがたい。」
そう言って受け取り、
「もう1年になるんじゃなあ。早いもんじゃ。」
と言った。
「ええ・・そうなんですね・・」
鉄三が少しくぐもった声で答えたので、住職が怪訝そうな顔をして、
「何じゃ・・何かあったのか?」
と尋ねた。鉄三はそう問われて、
「実は、ここ数日いろんなことがあって、裕子の命日、1周忌をすっかり忘れてしまっていたんです。まだ、たった一年しか経っていないのに、随分昔のように感じてしまって・・本当に裕子に申し訳なくて・・命を懸けて幸一を産んでくれたのに。これじゃあ、浮かばれませんね。本当に申し訳ないと思って・・」
「そうかい。」
住職はそう答えてから、
「なあ、時間はあるんじゃろう。中で、この菓子でもつまみながら、話をしよう。」
そう言って、鉄三を本堂に案内した。

二人は本尊を前に向かい合って座った。お茶と菓子を挟んで、どっかりと座った。
「ほうほう、これは、旨い菓子をいただいた。ひとついただこうかのう。ほれ、鉄三も・・」
住職はそう言って、菓子を手にとって頬張った。

「なあ、鉄三。法要はなぜやるのじゃと思う?」
「え?何故って、亡くなった人を弔うためでしょう。」
「ああ、そうじゃ。それでは、弔うとはどういうことじゃ。」
「それは・・・亡くなった人を思い悲しむということなんじゃないんですか?」
「まあ、それもそうだが・・・亡くなった人はどうなる?」
「ご住職、なんだか禅問答みたいなんですが・・・」
「まあ、いいじゃないか。どうじゃ?」
「それは、三途の川を渡って、あの世に行くんでしょう。」
「そうじゃ、あの世に行って、仏になる。坊主は、死んだ人の霊を間違いなくあの世に送り届けるために、経を読んで道案内をするのが仕事じゃ。葬式の時はそうじゃ。なら、法事の時の経は何のためじゃろうな?」
「ええと・・たぶん・・あの世に居る人が聞いて・・」
「聞いてどうなる?」
「わかりません。」
「そこが大事じゃ。人は仏になる。仏は、あの世から皆を救ってくれるありがたい存在なんじゃ。法事で経を上げるとなあ、その仏が聞いて、『ああ、あれは私の家族。あの人たちを守らなければ』と気づいてくれるんじゃ。」
「そんなもんですか?」
「まあ、聞け。気づいて、あの世からこちらを覗くと、家族が苦労しとるのが見えたりすると仏は悲しむ。家族が幸せそうにしていると安心する。だから、この世に残されたものは、法事に集まって幸せに生きていますよと報告するんじゃ。」
住職の話を鉄三はじっと聞いていた。
「それにな、法事は、葬式の後、初七日法要から四十九日までは七日法要と言って頻繁にやるが、1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、と徐々に間が開いてくる。これにも訳がある。別に、亡くなった人をないがしろにするんじゃない。良いか。ちゃんと幸せに生きているから、大丈夫ですよという思いもあるんじゃよ。」
「そんなもんですか。でもやはり忘れてしまうというのは罰当たりでしょう。」
「まあ、そうじゃが・・・ただな、お前のところはちょっと事情が違う。何と言っても、裕子さんの命日は、幸一の誕生日じゃ。裕子さんが自分の命を懸けて、幸一の命を繋いだ。とても大事な日じゃが、悲しむ日にしてはならん。」
「ですが・・」
「毎年、命日に悲しむと、幸一はどう思う。今は赤子じゃが、大きくなって、誕生日に皆が悲しむなんてのはどうじゃ?きっと、自分が生まれたせいで母を死なせたと思うようになるじゃろう。生まれながらに罪を背負っていると思うかもしれん。それは不幸じゃ。きっと裕子もそんな事は願っておらんはずじゃ。」

そこまで聞いて、鉄三は、裕子が産室で息絶えるまで必死に生きたことや、幸一の産声を聞いた時の思いを今更ながらに思い出した。この子を立派に育てると裕子に約束した事を思い出していた。

「いいか、鉄三。本当に裕子さんの供養を考えるなら、何をすべきか、よく考えるんじゃ。悲しむばかりじゃダメじゃ。どうかな?」
鉄三は、住職の話を聞いて、今までの自分を思い返し、はっきりと決心した。
「ご住職、ありがとうございました。自分なりに精一杯、裕子の供養になる生き方をします。」
そういうと、住職に頭を下げ、寺を後にした。

石段まで住職は見送りに来た。そして、銀二の背中を見送りながら、
「村田屋さん、これで良かったかのう。この坊主にできる事はこれくらいじゃ。南無阿弥陀仏。」
そう言って、手を合わせた。

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