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2-8-7:向島の朝 [峠◇第2部]

村田屋で、二人の駆け落ちに最初に気付いたのは、主人だった。
朝餉の支度に、厨房へ入ったところで、机の上に、鉄三の置手紙があった。

『村田屋のご主人、奥さんへ
許されない事は承知の上です。
和美と一緒に生きていきます。
幸一と3人で生きていきます。
これまでのご恩は忘れません。    鉄三』

何を書いても許されない事は判っていたのだろう。短い文章だった。

主人は置き手紙を手に取ると、店の外に出た。そして、朝陽が昇る東の空を見つめてこう言った。
「幸せになるんだよ。これまでありがとう。」
和美の事情を知って,味方になると約束した事。そして、それがここでは果たせなかった事。孫の幸一の幸せを願い、この先を考えた時、鉄三と和美が一緒になる事が一番だと考え、龍厳寺の住職の協力も得て、鉄三を決断させたのは間違っていなかったはずだと思っていた。
ただ、この先、妻やアキがしばらくは悲しむだろう。鉄三を憎く思うだろう。それでも、これが一番の道だと自分に言い聞かせていた。

港に銀二の船が入ってきた。船を停め、村田屋の前にやってきた銀二は、村田屋の主人に挨拶した。
「おはようございます。」
そして、主人がなにやら手紙のようなものを手にしているのを見つけ、駆け落ちの事を知ったのだと判った。
銀二は、地面に伏して、
「すんません!鉄三のしでかした事、俺がたきつけたようなものなんです。罰は俺が受けますから・・」
と謝った。村田屋の主人は、
「なら、私も罰を受けなけりゃいかん。私も、龍厳寺の住職も同罪だ。さあ、頭をあげて。」
銀二はちょっと意外だった。
孫を奪われ、恩返しもせず、駆け落ちした二人に憎しみを抱き、怒り心頭だろうと思ったからだった。
主人は続ける。
「私は、和美ちゃんの事情を聞き、味方になる約束をしたんだが、果たせなかった。これくらいしか出来なかったんだよ。婿養子でなかったら、アキを追い出して、妻も説得して、ここで鉄三と和美と幸一の3人で新しい家族になって幸せになれたものを。二人が駆け落ちしたのは、私の甲斐性の無さからだよ。銀ちゃん、済まないね。」
「ご主人、ありがとうございます。そう思っていただければ・・。きっとあの二人なら、幸せになります。」

二と主人は、手を握って、悲しみを分かち合った。そして、店の前の椅子に腰掛けた。

「二人は、どこへ行ったんだろうね?」
主人が銀二に問う。
「ええ・・・ご主人と俺だけの秘密にしてくれますか?」
「何だ、行き先を知っているのか?」
「ええ、ここにも客で来た、名古屋の松屋さんのところです。先日、お願いに上がりました。快く引き受けてくださいました。まあ、二人で頑張るという約束で、女将さんには客人扱いせず、しごいて欲しいとお願いしておきました。きっと大丈夫です。」
「おお、そうなのか。それなら安心だ。・・幸一もきっと大丈夫だろう。・・良かった。・・・ところで、もう私には何かしてやれる事は無いだろうか?」
銀二はしばらく考えていた。

「一つだけ、お願いがあります。俺にもどうしようもなかったので、無理かも知れませんが・・・」
「なんだい?行ってみなよ。」
「和美の事なんですが・・・ご存知のように、あの子は、玉浦の玉谷の娘です。ただ、身投げして行方不明になっている。」
「ああ、そうだね。」
「きっとこの先、二人が所帯を持つ、幸一が学校へ行くとなれば、戸籍が問題になるはずです。かといって、玉浦の戸籍じゃあ、きっと、いつか居場所がわかって、また辛い目にあうかもしれない・・・」
「ああ、そうか。じゃあ、和美に新しい戸籍を作ってやらねばなあ・・」
「ですが、幸一のことを思うと、和美と幸一を本当の親子にしてやれないものかとも・・」
「そうか・・今は、鉄三の嫡子で母は裕子ということになっているな・・・」
「ですから、無理を承知で、何とかならないものかと・・・」
「罪深い事だな・・・・判った。少し、知り合いにも尋ねてみよう。知り合いには、役場の人間も、弁護士もいる。大丈夫だ。出来る限り手を尽くしてみよう。」
「お願いします。俺もこれまでいろいろ考えて、相談しようとは思っていたんですが・・・二人がその気にならなけりゃ意味がないので・・どうか・・よろしくお願いします。」
「承知した。・・・その代わりと言っては何だが・・銀ちゃんは、松屋とは連絡が取れるだろう。・・なら、時々、鉄三や和美、幸一の様子を聞いて、私に教えてはくれまいか?」
「ええ、そのつもりでした。きっと、幸一の様子は気懸かりでしょうから。二人が落ち着いたら、会いに行こうと思っています。」
「うんうん・・・銀ちゃんが見守ってくれるなら安心だ。ありがとう。本当にありがとう。」
「いえ、俺のほうこそ、ありがとうございます。」
晴れた空が眩しかった。

2週間ほどして、村田屋の主人から銀二に連絡があった。
和美のために、新しい戸籍が取れたというのだった。知り合いの弁護士に、「記憶を無くして預かった娘がいるのだが、このままでは就職もできない。なんとか出来ないものか。」と相談したところ、役場に掛け合ってくれて、戸籍を取得できたというのだった。戸籍は、村田屋の主人の養女という形であった。ただ、幸一の戸籍はどうしようもなかったが、鉄三と和美が所帯を持つ時に、嫡子としておけばいいだろうと言う事だった。
この話を聞いて、銀二は、二人が落ち着いた頃を見計らって、一度、名古屋へ出かけてみる事にした。


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はな

おはようございます♪
ここまで読んで涙が出てきました
なんでしょう・・・このホッとした感はw
銀二の気持ちを考えると切なくはありますが、
ようやく新しい生活へと踏み出した和美の勇気と
それを支えようとする銀二たちの気持ちに感動しました
このまま何事もなく幸せに暮らしていってくれるといいのですが・・・。

by はな (2010-11-08 09:35) 

苦楽賢人

はなさん、毎回、温かいコメントありがとうございます。
ストーリーに多少の無理はありますが、これを読んでいただいて少しでも温かいほっとした気持ちとか、運命のむなしさとか、人の切なさを感じていただけたらと思って書きました。

1960年代は、高度経済成長に入り始め、毎日めまぐるしく変わる時代。人の暮らしも考えている以上に大きく変化し、自分の力とは別のところで大きく運命を変えてしまうなんてことがたくさんあった時代です。
私の周りに居た人たちの人生を少しずつ織り交ぜながら書かせていただきました。どうぞ、最後までお付き合い下さい。

今読み返すと、自分が書いていながら、思わず涙するような場面が多いことに驚いています。・・・実際に、銀二さんみたいな叔父さんが居たので、余計にそう思ってしまうのは自分だけでしょうか・・・
by 苦楽賢人 (2010-11-08 12:47) 

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