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2-9-1:名古屋駅 [峠◇第2部]

 鉄三と和美が、名古屋駅に着いたのは、夜も遅い時間だった。
幸一を抱き、鞄を抱え、二人は長い階段を下り、改札口を抜けた。列車の中では時折はしゃぐしぐさを見せていた幸一も、疲れたのかぐっすり眠っている。
田舎町とは違う広い駅舎には、行きかう人も多く、皆、急ぎ足のように早く感じた。
向かうべきところはわかっていたが、どう行けばいいのかわからなかった。とりあえず、二人は、出口へ向かう人の流れに乗って歩いた。駅の中を抜けると、目の前には、大きなビルが建設中だった。工事看板には、「大名古屋ビルジング建設中」と書かれていた。
駅前には、大きな交差点があり、乗用車やバス、タクシーが行き交い、騒音がひどかった。
通り過ぎる人に道を尋ねようにも、皆、早足でなかなか訊けなかった。
ふと見ると、駅の脇に駐在所があった。二人はそこで道を尋ねる事にした。

「すみません。ちょっとお尋ねしたいんですが・・」
扉を開けて中に入った。奥から、若い警察官が顔を出した。
「何でしょう?」
「あの、松屋という料亭に行きたいんですが・・道がわからなくて・・」
若い駐在は、二人を頭のてっぺんからつま先までしげしげと見つめて、怪訝そうな声を出して答えた。

「あんたら、どこから来たの?」
「え、・・その・・山口から出てきました。」
「ほう・・山口からねえ。随分遠くから・・それで、松屋に何の用事かね。」
「いえ・・そこで料理人でお世話になるために来たんですが、何か?」
「ほう、それなら、いい腕をしてるんだな。で、あんたら、夫婦?」
そう問われて、ちょっと鉄三は躊躇った。
「え?・・ええ・・・」
「最近、田舎から出てくる人が増えてね。時々、若い娘が、悪い人間に騙されてくることもあるんでね。」

その言葉を聞いた和美が、ちょっと強い口調で答えた。
「私たちは夫婦です。それにこの子の父親はこの人ですから。」
「いやいや、すみません。こんな時間に、若い二人連れというのがちょっと気になってね。気を悪くしたなら謝ります。」
その警官はそう言うと、
「ああ、松屋さんなら、駅の反対側だ。もう一度、駅の中を抜けて、裏に出るとまっすぐ伸びた道がある。そのまま行けばすぐ判るはずだ。」
「ありがとうございました。」
駐在は、二人を見送りながら、こう言った。
「駅の裏側は暗くて物騒だから、気をつけなさい。それと・・・夫婦で一生懸命頑張ってな!」

駅の中を歩きながら、鉄三は、さっきの和美の言葉が耳に残っていた。夫婦かと問われて、躊躇した自分ときっぱりと答えた和美。なんだか、駆け落ちした覚悟に違いがあるように感じた。そして、『そうだ、ここに来たからには、本当の夫婦になって頑張らなければいけない』と改めて自覚したのだった。

駅裏は、まだ開発されていないために、昔ながらの低い軒の家が並び、静かな町だった。いや、駐在が言っていたように、暗く物騒な感じさえした。街灯がぽつりぽつりとある程度だった。
すぐ判るとは聞いたが、この暗闇でどうだろうと不安に感じながらも言われるとおり、まっすぐに伸びる道沿いに歩いた。

しばらくすると、暗闇の中に、煌々と灯りの点った大きな建物があった。黒く高い板塀に囲まれ、塀越しに大きな樹木が見えた。大きな門構えがあり、中をのぞくと、広い車止めと庭が見える。灯りの点る大きな玄関からは、時々、仲居さんが行き来しているのが見えた。

鉄三は、門の前からその様子を見ながら考えた。

松屋の夫婦とは、村田屋の客として何度か会った事はあるが、松屋がどのような店なのかは考えた事もなかった。田舎町では、料亭などというものは無かったし、名古屋の町さえも想像できていなかった。
銀二に勧められるまま、電話で不躾にお世話になるお願いをし、承諾を得たものの、これほどの大きな店だとは考えてもいなかった。きっと沢山の料理人や仲居が働いているのだろう。漁師町の田舎料理の腕など,こんな店では何の意味も持たないだろう。自分が思っていた以上に、厳しい決断をしたことを少し悔いていた。

和美は、店の前で立ち尽くしている銀二を見て、駆け落ちした事を悔いているのかと不安に感じていた。ただ、ここまで来る後押しをしてくれた銀二やセツさんの思いを考えると、不安など感じているわけにはいかないと思っていた。

玄関先に出てきた一人の仲居が、門の前に立つ二人を見つけた。仲居は、笑顔で、
「いらっしゃいませ。どうぞ。」
と中へ誘ってくれた。鉄三は、その言葉に、
「いえ、お客で来たわけじゃないんです。・・あの、女将さんはいらっしゃるでしょうか?」
と答えた。
仲居は、さっきと変わらぬ笑顔で、
「はい、女将はおりますよ。まあ、中へお入りください。長旅のご様子、まあ、中で少しお休みください。女将も呼んで参りますから・・さあ、遠慮などなさらずに。」
「いえ、ですが・・」
「いいんです。大丈夫です。うちはどんな方でもお入りいただくことにしています。玄関脇に、小さなお休み処もご用意しています。お茶でもお飲みいただきながら、少しお休みください。さあどうぞ。」
半ば強引なくらいの案内に、鉄三と和美は付いていく事にした。


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