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2-9-4:吉報 [峠◇第2部]

 鉄三は、松屋に来てすぐに、銀二に手紙で松屋の様子を知らせていたが、兄からの返事は無かった。和美も、セツさんへの手紙を送っていたが、返事がなかった。しかし、ここでの忙しい日々は、向島からの返事が無い事を忘れさせていた。

 松屋での暮らしが2ヶ月を過ぎようという頃の出来事だった。
 早めに仕事を上がった澄子が、通用門から出たところで、慌てて、松屋に戻った。
そして、仲居主任の輝子に、
「輝子さん!輝子さん!・・大変です。長屋の入り口に、変な人が立ってるんです。私、怖くって・・きっと、変質者か何かです。警察に知らせたほうが良いです。」
「ちょっと落ち着きなさい。・・一緒に見に行ってあげるから・・」
そういうと、主任の輝子と澄子は、恐々、通用口を出て、門の影から、様子を見た。暗い中に確かに男が立っている。輝子はじっと目を凝らして、その男の人相を伺った。
「あら!銀二さんじゃない?・・・ねえ・・・あ、そうか。澄ちゃんは知らなかったかしらね。」
そう言うと、人影に駆け寄っていった。

「銀二さん!こんなところで何してるんですか?お店に来てくれればいいのに。」
「やあ、輝子さん。元気そうだな。・・いや・・鉄三に用事があって・・店に行くと、迷惑掛けちまうからさ。ここで待ってればと思ってな。」
「何言ってるんですか。迷惑だなんて・・。それに、こんなところに立ってるから、澄ちゃんが怖がって、今、警察を呼ぼうかとしてたんですよ。」
「ええ?俺、そんなに怪しかったか?そりゃあ、済まなかったね」
 銀二は、松屋には顔を出さず、長屋の前で、二人の仕事が終わるのを待っていたのだった。
「さあ、店のほうへ行きましょう。」
「いや、すまん。余り、鉄三には、俺と松屋の関係を知られたくないんだ。ちょっとした知り合いくらいにしておきたいんだ。だから、今日は、ここで待っていようと思ってるんだ。また、ご主人と女将さんには、挨拶に行くから・・」
「そうなの?・・判ったわ。・・でも、まだ、仕事は終わっていないはずよ。・・・こんなところじゃ寒いでしょ。そうだ、お休み処で待っていたらどう?あそこは、銀ちゃんが作ってくれっていったんでしょ?敷居の高い店じゃダメだ、金が無くても寄れるような店が好きだっていったんじゃない。」
「そうか、そうするか。・・実は、さっきから寒くってよ。ちょっと小便したかったんだよ。」
「まあ!さあさあ、どうぞ。」

そう言われて、銀二は、店の玄関に回って『お休み処』で二人が仕事を終わるのを待つことにした。
銀二が来た事は、二人より先に、女将と主人の耳に入った。主人は厨房の仕事が忙しく手が離せない状態だったが、女将が客の相手の合間に、顔を出した。
「また、突然現れるんだから・・連絡くらい頂戴よ。」
ちょっとふくれっ面でそう言った。
「いや、今日は、鉄三と和美に用事があって来ただけだから・・」
「あら、ごあいさつね。私には会いたくなかったって訳?」
「いや、そういうつもりじゃないんだが・・」
「で、何の用なの?ちゃんと三人仲良く暮らしてるわ。それに仕事もしっかりやってくれてる。銀ちゃんより、鉄三さんのほうがよっぽど頼りになるかもね。和美ちゃんは幸せ者ね。」
「ふん。そうかい!・・まあ、いいや。今日来たのは、二人の籍の事なんだ。」
「ああ、そうね。駆け落ちしてきて、そのままなのよね。ちゃんとした夫婦にしてやらないとね。」
「ああ、元々、和美は身投げして行方不明になっているわけだし、戸籍に困ったんだが・・・何とかなってね。それを教えてやろうと思ってさ。」
「それはきっと喜ぶわ。今なら、二人も夫婦らしく見えるし、何より幸ちゃんがきっと安心できるしね。」

そんな話をしていたら、鉄三と和美がやってきた。銀二が来ているからと少し早めに仕事を終えたようだった。
「兄ちゃん!連絡なしで突然くるなんて・・松屋の皆さんにご迷惑だろ!済みません。女将さん、兄ちゃん・・いや・・兄は田舎者の漁師なんで、何の礼儀もわきまえず、本当に済みません。ほら、兄ちゃん、謝るんだよ!」
鉄三が、やけに大人ぶった口調で詫びたのが、銀二も女将も可笑しかったが、とりあえず、鉄三の言うとおり、詫びた。
「銀二さん。・・・ありがとうございました。ちゃんとやってます。幸一も随分大きくなりました。」
和美が、頭を下げる。銀二は、あの日以来の和美の姿に、少し戸惑った。そして、あの日よりも、落ち着いてしっかりとお母さんの顔になっている和美を眩く感じていた。
女将が口を挟んだ。
「さっき、お兄様からお聞きしたんだけど、あなた達、まだ籍を入れていないんですってね。」
「はい。いろいろ事情があって、何より、駆け落ちした身では、・・」
「ええ、わかっています。でね、お兄様が、入籍の手はずを整えて下さったんですって。」
「ええ?本当なのかい?」
鉄三が驚いたように言った。
「でも私の戸籍は・・・」
和美も、半ばあきらめていた事だっただけに、戸惑っていた。
銀二は、鞄の中から封筒を取り出して、二人に戸籍謄本を見せながら、
「うん。和美の戸籍は苦労したそうだ。俺じゃ出来なかったが、村田屋のご主人が骨を折ってくださってね。和美には新しい戸籍が取れたんだ。だから、二人で婚姻届を出して、法律の上でも本当の夫婦になってもらいたくてね。」
村田屋という名前を聞き、鉄三も和美もさらに驚いた。かわいい初孫を連れて出てきてしまい、さぞかし落胆し、恨んでいるだろうと思っていたのだ。和美が確かめるように訊き直した。
「村田屋のご主人が、戸籍を作って下さったって本当なの?」
「ああ、何でも、村田屋に和美が来たときに、味方になる約束をしていたのが果たせなかったからと詫びていたよ。それで、いろいろと当たって下さってね。感謝しなきゃあな。」
「ああ・・・なんて、お礼を言ったらいいんでしょう。・・それなのに・・私ったら・・」
和美は、あの事件で感情のまま、村田屋を飛び出してしまった事を今更ながらに悔いていた。
「なに、大丈夫だ。今だから言うが、村田屋のご主人は、お前たちが夫婦になって幸一と幸せな家庭を作ってくれるのが一番の望みだったそうだ。だから、裕子の一周忌を機会に、鉄三が決断するように、いろいろと考えてくださったようだよ。」
「それじゃあ・・・もしかして、龍厳寺の住職のところへ行かせた時から、そう考えて?」
鉄三が、あの頃の事を思い出しながら尋ねた。
「ああ、住職も村田屋に賛同して、何とかお前が決意するようにと話をしたそうだ。」
「兄ちゃんも?」
「いや。俺は全くそんな事になっているとは知らなかった。だが、みんなお前たちの幸せを願っていたんだよ。」

横で話を聞いていた女将は、手にハンカチを握り締めて、ぼろぼろと泣いていた。そして、
「まあ、なんて話でしょう。向島ってところは皆さん温かい人ばかりね。やっぱり、あそこはいい所ね。私たちも・・」
と、銀二との出会いの話をしそうになったのを銀二が気付き、女将の言葉を遮るように、
「ほら、これ。渡すから、ちゃんと入籍するんだぞ。・・すみません。女将さん、立会い人になっていただけませんか?」
とお願いをした。
「あら、そんなに良いお役をいただいて良いのかしら?きっと、主人も喜ぶわ。・・入籍だけじゃなくて、ここで祝言を挙げましょう。めでたい事はみんなを幸せにするわよ。」
「いえ、そんな。もったいないです。それに、そんなお金もありませんし・・」
和美が遠慮した答えを聞いて、女将は、
「何言っているのよ、この子は。あなたの母親代わりとしては、それくらいさせてもらうわよ。そうね、明日は休みだから、ちょうどいいわ。大広間で祝言を挙げましょう。いいわね。銀ちゃ・・いや、お兄さんもいいでしょ。」
女将の勢いは止まらなかった。
「ありがとうございます。何とお礼を言ったら良いのか。・・・済みません。女将さん。俺、すぐにも戻らないといけなくて。・・ここまで来る貨物船が明日朝早くに出航なんで。」
「また、船できたの?」
女将のこの一言で、鉄三がおかしな顔をした。銀二も、今の言葉で鉄三が何か感じ取ったのが判った。
「またって、え?兄は前にもお邪魔した事があるんですか?」
「いや。・・・俺は初めてだぞ。・・・・」
「ごめんなさい。言い間違いよ。何で、そんな船で来てすぐに帰るなんてね。帰りの汽車賃くらい、私が出しますから。」
「いえ、仕事のついでに、ちょうど来れたんで、乗組員が足りなくなると船のほうで困るんです。」
「あらそうなの。それなら、時間がもったいないわ。すぐに、あなたたちのお部屋にお連れしなさい。さあさあ・・」
これ以上話をしていると、またぼろが出そうなので、女将は部屋を出て行った。

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