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2-9-5:3人の部屋 [峠◇第2部]

二人の部屋で
鉄三と和美は、銀二を連れて長屋に向かった。玄関を開けて電灯をつける。
「ほう、結構、良い家じゃないか。3人で暮らすにはちょうど良いなあ。」
「本当さ。もったいなくらいだよ。来た時にはもう用意してあったし、畳も新品、布団も新品だったんだ。」
「そりゃあ、もったいない事だ。まあ、贅沢せずに普通に暮らすのが一番だ。」

銀二はそういうと、部屋に上がりこみ、ごろんと横になった。そして、
「なあ、鉄三。良い女将さんじゃないか。お前たちのために、祝言を挙げてくれるなんてなあ。」
銀二の横に座って、鉄三が、不安げな顔で聞いた。
「本当に良いのかなあ?・・・兄ちゃん?」
「やってくれるって言うんだから、良いじゃないか。それよりも、みんなに祝福される事を一生忘れず、精進するんだぞ。」
「うん、そりゃ、充分判ってるよ。一生、ここで尽くすよ。」
「そうか・・・でもな。ここにずっと居るってのはどうかな?」
「どういうことだい?」
「女将さんやご主人にとっては、そりゃあ頼りになる料理人がいるのは心強いかもしれん。だがな、そうじゃないって俺は思うんだよ。もっと違う形で恩返しする事もあるんじゃないか?・・まあ、よく考えてみろ。」
「うん。でも、まだ一人前にもなってない。まだまだ修行していかないと・・」
「そうだな。まずはここの中で一生懸命に勤める事だな。」

和美は、幸一を布団に寝かしつけながら、兄弟の会話をじっと聞いていた。
心の準備も無く、突然現れた銀二に、和美は戸惑っていた。もう二度と会う事がないのではと思っていた。
心の中に封印していた気持ちがまた溢れそうになっているのが判る。
だが、それを鉄三に感づかれるのが一番怖くて、平静にしているのに苦労していたのだった。銀二も、和美に話しかける事が出来ないで居た。

「兄ちゃん、明日は早いんだって?」
「ああ、貨物船に乗っけてきてもらったからな。・・・おい、今、何時だ?」
「え?ああ、今12時を回ったところだよ。」
「お前たち、明日は祝言なら、早く休まないとな。・・そろそろ、俺も明け方には船に戻らないとなあ。」
「明け方じゃあ、バスも無いし・・タクシーを呼ぶかい?」
「そんな心配要らないんだよ。実はな、ここまで歩いている途中で、自転車屋の前で、そこと親父が修理に難儀をしていたんだ。それで、ちょっと手伝ったらな、自転車貸してくれたんだ。世の中、捨てたもんじゃないぞ。良い人はいるもんだ。」
「兄ちゃんはいつもそうだね。何だか、誰とでも仲良くなって、助けたり助けられたり・・」
「そうかい?・・・まあ、人は一人じゃ生きていけない。いつも誰かに助けられてるもんだ。まあ、感謝の気持ちを忘れない事だな。」
「うん。そうだね。」
「なあ、ちょいと疲れたから、少し寝かせてくれ。明け方には勝手に出てくから・・」
銀二はそういうと、すやすやと眠ってしまった。相当疲れていたのだろう。

鉄三は、ちらっと和美のほうを見て、
「もう寝ちまったよ。・・済まないね。素っ気無いのは変わってないみたいだ。言いたい事だけ言って寝ちゃったよ。」
そう言って、笑った。和美は、銀二の寝顔をじっと見て笑った。

3時間ほど経った頃、銀二は目を覚ました。
まだ、夜は明けていない。静かに起き上がって、身支度を整え、そっと部屋を出て行った。
朝の空気が冷たかった。船員用のジャンパーの襟を立て、夜空を見上げた。
松屋の通用門まで来ると、銀二は深々と頭を下げた。そして、振り返ると、和美が立っていた。

何か言おうとする和美に向かって、自分の口にひとさし指を当て、『話すな』という合図をした。じっと和美の目を見たまま、銀二は、こくりと頷いて見せた。
『これで良かったんだ。幸せになれ』・・和美には、銀二がそう言っているのが判った。
そして、和美も、銀二と同じように、こくりと頷いてみせた。
それを見て、銀二は自転車に乗って、暗い夜道を走っていった。
和美は、銀二の姿が闇に溶け見えなくなるまで、見送った。

部屋に戻った和美は静かに布団に潜り込んだ。冬の夜風で身体の芯まで冷え切ってしまったが、心の中は温かかった。
「兄ちゃん、帰ったか?」
鉄三が、そっと呟いた。
鉄三に気付かれないように、静かに見送りに出たつもりだった和美は、びっくりした。
「はい。」
和美が小さく答えると、
「そうか。」
鉄三は、そう言って、冷たくなった和美を抱き寄せ、温めてやった。鉄三の温もりが和美を包み込んだ。

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