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2-9-6:祝言 [峠◇第2部]

朝から松屋は賑やかな声が響いていた。
松屋の女将は、鉄三と和美の祝言の準備に、従業員たちを集めていた。
「みんな、お休みの日に済まないけど、今日、鉄三と和美の祝言を挙げることになったのよ。予定の無い人は手伝ってもらえないかしら。」
祝言と聞いて、若い従業員たちは、色目気だった。みな、予定を取りやめてでも、祝言の準備をすると言い出していた。

仲居主任の輝子が、仲居たちの役割をぱっと決めた。
「それじゃあ、みんな、いいわね。ここで祝言なんて久しぶり。気を入れて準備しましょう。和子さんと桂子さんと良子さんの3人で和美ちゃんの支度をお願いね。それから、幸子さんと洋子さんは鉄三さんの支度。澄子さんと晴美さん、まゆみさんは私と一緒にお部屋の支度よ。いいわね。」
「はい。」皆、声をそろえて返事をした。そして、それぞれが分かれて支度に入った。

厨房でも、主任の加藤が、皆に祝言の料理の差配をしていた。
「めったにできる事じゃない。良いか。この機会に、祝いの膳をしっかり勉強しけよ。」
そこに、鉄三が割烹着を着て顔を出した。副主任の吉井が言った。
「おいおい、今日はお前は花婿なんだからさ。支度をしなよ。」
「いえ、私も修行中です。勉強させてください。」
それを聞いた加藤は、
「いい心がけだがな・・・支度も大事だぞ。まあ、今日は良いから・・。」
「せっかくのお休みなのに皆さんにお手数を掛けさせてしまって済みません。・・それなら、一つだけお願いがあるんです。」
「なんだよ。言ってみな?」
鉄三は、祝言の料理に一つ加えて欲しい料理を言い、それだけは自分で作らせて欲しいと頼み込んだ。
「よし、判った。俺もそいつは教えてもらいたいもんだ。やってみな。」

和美は、仲居の和子に言われて、広間の隣にある、鶴の間に、幸一と二人で座っていた。
「さあ、これが花嫁さんの衣装よ。私のものだけど、着てちょうだいね。」
女将がそう言って、衣装を一揃い持って入ってきた。その後ろに、高校生の娘の恵が、包みを大事に抱えて持ってきていた。
衣桁に広げると、見事な白無垢だった。
「女将さん、こんなに大切なもの、私、着られません。」
「何言ってるのよ。昔から、白無垢は娘に譲るものでしょう。古いものだけどね、着てちょうだい。」
「でも、・・これは、恵さんのものですから・・もったいないです。」
それを聞いた恵が、
「あら、お姉さん、いいのよ。お姉さんに着てもらいたいの。それに、私は、結婚するときはドレスが良いんだから。」
そう言って、ペロっと舌を出した。
「まあ、なんて娘なの。・。。・・だからね、遠慮なく着てちょうだい。ああ、それから、幸ちゃんにもね。」
そう言って、子ども用の洋服を見せた。
「これもね、お古なのよ。・・実は、私、男の子がいたのよ。3歳で亡くしちゃったんだけどね。良かったら、着て貰えないかしら。他にもたくさんあるから、また、見せてあげるわ。・・・あら、もうこんな時間、私も支度しなくちゃ。・・ああ、着付けは和子さんがベテランだからね。今来るからね。」
女将さんはそういうとバタバタと部屋を出て行った。娘の恵が部屋に残っていた。和美がここへ来てから、奥の家事一切をやるようになって、恵とは毎日のように顔をあわせていた。恵には、お姉さんのような存在だった。
「お姉さん、おめでとう。良かったね。」
「ありがとう。皆さん良い人ばかりで、本当に幸せです。ここに来て良かった。」
「実はね、お姉さんがうちに来てから、訊きたかった事があったんだけど・・訊いていいものか迷ってたんだ。でも、祝言って聞いたからようやく訊けそうで。」
「なに?」
「駆け落ちってどうなのかなって。ほら、許されない仲になって逃避行ってちょっと憧れるじゃない。故郷を捨てて好きな人と生きていきますってカッコいいって思う反面、何だか暗い人生っていうのもあって。日頃のお姉さんを見てるととてもそんな大胆な事が出来る人じゃないとも思えるし、鉄三さんだって大人しくて優しい人でしょ。ちょっと不思議だったのよね。」
これには和美も答えに困った。許されぬ状況ではあったが、胸を焦がすほどの恋をしていたわけではなかった。どう説明していいか迷っていた。そして、
「そんなにカッコいいものじゃないわ。また、今度ゆっくりお話しするわ。」
と答えた。恵はちょっとガッカリした様子だったが、そこへ
「さあ、とびっきりのお化粧をしないとね。・・あら、お嬢さん。ちょうど良かったわ。ねえ、幸ちゃんをしばらく見ていてもらえません?」
と和子たちが入ってきて話は中断してしまった。
その頃、隣の松の間には、幸子と洋子が困っていた。主人から借りた紋付衣装を持ってきたものの、花婿さんが居なかったのだ。探し回った挙句、厨房で調理している鉄三を見つけた。支度をするからと言っても、料理が出来るまで待ってくれとの一点張りで、やむなく、引き上げてきたのだった。

11時には、料理も出来上がり、支度も無事終わった。広間には、みな、着席して式が始まるのを待っていた。
幸一を真ん中にして鉄三と和美が着席した。両脇に、主人と女将が座り、式が始まった。
厨房の男性陣が、高砂を謳い、洋子とまゆみの介錯で、三々九度の杯を交わし、婚礼の儀式が静かに進んでいった。
披露宴となり、料理が運ばれてきた。お膳には、見事な会席料理が並んでいる。松屋は名古屋でも老舗の料亭であり、大衆料理から高級会席料理まで高い評価を得ており、日頃から目の肥えている従業員にしても、今日の料理はため息が出るほどのものだった。ただ、祝いの席にあるはずのものが1品足りなかった。
ご主人が、「さあ、祝いの料理が揃った。いただこうか。」と箸を取り、お膳に目を向けて気がついた。
「おい、大事なものが足りないぞ。」
すると、料理主任の加藤が、
「大丈夫です。・・・もういいか、鉄三?」
「はい。お願いします。」
その言葉で、見習いの大野とまゆみが、お碗と大鍋を運んできた。みな、不思議そうに見ていると、鉄三が、
「本日は、私たちのためにこのような席を作っていただき、何といってお礼をしたらいいのか・・本当にありがとうございます。半端者の私たちですが、これからもどうぞよろしくお願いします。」
と挨拶した。そして、こう付け加えた。
「お礼と言っては何ですが、ここに来て初めて作った料理です。田舎料理ですが、お召し上がりください。」
大鍋の蓋を開けると、良い香りが広間に広がった。お碗によそわれ、配られた料理は、『鯛汁』だった。
「祝いの席には、鯛は付き物ですが、私たち夫婦には、尾頭付きの立派な鯛よりも、この料理の方が似合っています。」
と説明した。みなは、その香りに感心して箸をつけようとした時だった。
和美が、
「ちょっと待ってください。ねえ、澄子さん、庭の山椒の木から葉を摘んできてくれない?」
そう頼んだ。澄子が、急ぎ、庭に行き、葉を摘んできて、和美に手渡した。
「これを掌に載せて、ポンと叩いてからお碗に浮かべてください。」
皆、それぞれに音を出す。それぞれ、大きな音を出すものもいたし、ぺちゃっと潰れたような音だったり、何度も叩いているものもいた。その音と光景が楽しくて、一気に宴会が沸いた。その後、そっと、お碗に浮かべる。
鯛汁の香りと山椒の香りが混ざり合い、海と山の幸を一度に味わえるものになった。
ご主人が、
「これは美味い。晴れの日に、なんとも風情のある料理だねえ。夫が作り、妻が色を添える、祝言の日に支えあう料理・・・良いねえ・・・温かい人情を思い出させてくれる料理だねえ。・・・鉄三、この料理、もっともっと磨いて、看板料理にしておくれ。お前にしか出せないとっておきの料理にするといい。」
料理人の鉄三には、一番の祝いの言葉だった。その言葉に、鉄三は、涙ぐみながら答えた。
「ありがとうございます。・・・この料理、兄ちゃんが教えてくれたんです。大事な人に食べさせるための料理だって。」
ふと、横を見ると、和美もはらはらと泣いている。和美は、鯛汁を通して、銀二の温かさを今一度感じていた。


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