SSブログ

32 徳さんと奥さん [命の樹]

32 .徳さんと奥さん 健の案内で、脇道から玄関へ回った。 「すみません。須藤さん、いらっしゃいませんか?」 今日は、広縁には主人の姿は見えなかった。しばらくして、玄関が開き、奥さんが顔を見せた。 「お待たせしました。・・どちらさんでしょうか?」 哲夫は深々と頭を下げ、挨拶した。 「その先の岬の上で、命の樹という喫茶店をやっている、倉木哲夫と申します。昨日、娘が不躾なお願いに参り、お詫びに伺いました。申しわけありませんでした。」 「ああ、あのお嬢さんの・・いえ、こちらこそ・・主人が無碍にお断りしてしまって・・。」 「いえ、こちらこそ、事情も知らずに無遠慮なことを申して、本当に申しわけありませんでした。これはお詫びの品といってはなんですが・・・今日、私が焼いたパンなんです。週に一度、保育園に届けていまして、意外と評判がいいんです。」 哲夫はそう言うと、紙袋を奥さんに手渡した。そこへ「何の用だ!」と野太い声が響いた。広縁の椅子に、ご主人が座って睨んでいた。 「お騒がせしてすみません。お詫びに伺ったんです。」 「ふん、別に詫びなどいらん。帰れ。」 ご主人はそういうと哲夫を睨み付けた。 「いえ・・お詫びもなんですが・・実は、お願いがありまして・・。」 「修理なら無理だぞ!知ってるだろう、もう帰れ!」 「ええ・・修理していただくのは無理なのは判っています。ですから、修理のための工具をお借りできないかと思いまして。」 御主人は眉間しわを寄せて答えた。 「なんだ、自分たちで修理しようってのか。・・馬鹿馬鹿しい・・素人には無理だ。」 「そうかもしれません。でもやってみなくちゃ判りません。」 「そう簡単にできるわけがない。」 ご主人は、じっと目を閉じ、吐き捨てるように言った。 哲夫は一息おいてから言った。 「私の父は修理工でした。独学で旋盤や溶接も覚えたそうです。子どもの頃、いつも父は自分が建てた小屋で、壊れたバイクやエンジンを修理してました。とにかく、スパナを握って、機械に触れて、油に塗れて、そうして一つ一つ修理して・・とても、幸せそうでした。」 「親父さんは今は?」 御主人は目を閉じたまま尋ねた。 「還暦を前に他界しました。病気でした。」 「そうか。」 「末期のがんで、もう安静にしなければいけないのに、いくら止めても、毎日、小屋に行って修理の仕事をしてました。できなくなるなら死んだ方がましだなんて言って、お袋を困らせました。そんな父は小屋でスチールブラシを握ったまま息絶えていたんです。」 「・・・」 御主人は、何か、思うことがあるのか、小さくため息をついた。 「・・・そんな父から、私も、修理の手ほどきを受けました。子どもの頃の事ですから、どこまで覚えているかはわかりませんが、もう一度、思い出してやってみようと思うんです。」 哲夫の言葉を聞いて、ご主人はしばらく考えているようだった。 「おい、修理場を開けてやれ!・・どっちみち、捨ててしまうんだ。好きに使えばいいさ。」 御主人はそう言うと、再び目を閉じてしまった。奥さんは少し微笑んだように見えた。 「さあ、どうぞ。主人の樹が変わらないうちにね。」 奥さんはそういうとまっすぐに修理場の裏口を開けた。 「健君、バイクを!」 健は走って表に出た。哲夫は、奥さんに続いて修理場へ入る。ガラス戸を引き開けて、シャッターを上げた。2年近く使っていないにもかかわらず、シャッターは静かに開いた。 外から光が差し込むと、修理場の中が明るくなった。哲夫は明るくなった修理場を見て驚いた。ご主人はそうと几帳面な性格なのか、工具がきれいに壁や棚に置かれている。そして、一つ一つがきれいに磨かれていた。哲夫は気付いた。 「これは・・奥さんですね?」 奥さんはこくりと頷くと、 「ええ・・若い頃から工具の始末は私の仕事でしたから。欲しいものがすぐに出せるようにこうやってきれいに並べて・・・。」 「今でも、工具を磨いているんでしょう?」 「ええ・・もう、使うことはないと判っていても、習慣なのよ。こうして工具を磨いていると落ち着くのね。」 その言葉は、もう一度、御主人がバイク修理をする日が来るのではないかと僅かな望みを捨てきれないでいる事が滲んでいた。 「思うように使ってください。きっと工具たちも使ってもらえれば喜ぶはずですから。」 そう言うと、奥さんは近くにあったスパナを持つとじっと見つめたのだった。 「哲夫さん!あれ!」 健が修理場の奥を指さした。そこには、大型バイクが置かれていた。サイドカーが付いていた。 「あれは?」 「ああ・・あれは、私たちの宝物です。もうかなり古いものですけど、いろんな思い出が詰まっています。・・実は私、若い頃、じゃじゃ馬でね。親が止めるのも訊かず、女だてらに免許を取って、全国をバイク旅していたんです。」 奥さんは少しほほをお赤らめていて、おそらく、青春時代の記憶を辿っているようだった。 「ちょうど、そこの周遊道路の交差点で、スリップ事故を起こしてしまって、バイクが故障したんです。困っていると、あの人、自転車屋から出てきて、とりあえず、うちへ運ぼうっていってくれたんです。」 何だか、今のご主人からは想像がつかないと健は感じていた。 「まだ、自転車屋を継いだばかりだったようでした。困っている私を見て、あの人、自分が修理してやるって言ったんです。」 「修理してくれたんですか?」 哲夫が訊いた。 「・・とりあえず3日くれ、その間、うちに居ればいいからって、私も別に行くところもないし、バイクが修理できなければどうしようもないしね、そのまま居る羽目になりました。」4/16
nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0