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36 健と徳さん [命の樹]

36 健と徳さん
秋の気配を感じられるようになった頃、哲夫がいつものように保育園にパンを届けて店に戻ろうと通りを自転車で走っていると、後ろからバイクの音が響いてきた。
振り返ると、サイドカーを付けた大型バイクを、健が運転し、サイドカーには須藤自転車の主人が座っているのが見えた。
「哲夫さん!今、帰りですか?」
健が元気な声で呼びかけた。
「後で、店に行っても良いですか?」
「ああ、今、戻るところだから。どこか行くんですか?」
哲夫はサイドカーに座っているご主人に訊いた。
「ああ、足りない部品があるんで、ちょっと浜松まで行ってくる。こいつを連れて行かないと勉強にならないからな。」
「何言ってるんですか!俺がいなきゃ、外出できないでしょう。俺が連れて行くんでしょう?」
「うるさい!さあ、行くぞ!」
ご主人は杖で健を小突いた。
「あ・・ひとつ、頼んでいいかな?」
哲夫は急に思いついたことがあった。
「浜松に行く途中にある、クリスピーっていうドーナッツ屋によってもらえないかな。そこでドーナッツを4つほど買ってきてもらいたいんだけど。」
「ええ・・いいですよ。知ってますよ、そこのドーナッツ、旨いんですよね。」
健が答えた。
「加奈の好物なんだ。次いでで甘えてしまって申し訳ない。」
「いえ、・・良いですよね、徳さん。」
「ああ、家の奴にも買ってきてやるかな。」
ご主人は少し微笑んでいるように見えた。
「じゃあ・・あとで。」
バイクはエンジン音を響かせて浜松へ向って走り去った。
夕方近くになって、バイクの音が聞こえ、健と須藤自転車の主人がやって来た。
「大丈夫ですか?」
玄関を開けて、健が主人の手を取るようにして入ってきた。
「・・いや・・あの階段はなかなか骨が折れる。地元の婆さんたちには堪えるだろうな・・・。」
歩けなかったはずのご主人が、杖を手にしっかりと歩いて入ってきた。
健は、主人を店の中央に置かれた真っ赤なソファに座らせてから、手にした箱を哲夫に渡した。
「これ、頼まれていたドーナツです。・・ああ、徳さん、コーヒーとサンドイッチでいいですか?」
健が主人に訊くと、「ああ」と主人は答えた。
「じゃあ・・哲夫さん、コーヒーとサンドイッチ2つ、お願いします。」
厨房から哲夫が「はい」と答え、すぐにサンドイッチを作り始めた。

「なかなか良い所じゃないか。静かでのんびりできる。」
須藤自転車の主人は庭を眺めながら言った。
哲夫が、コーヒーとサンドイッチを運んできて、二人の前に並べながら訊いた。
「ミックスサンドにしました。中のレタスとトマトは与志さんに分けていただいたものです。さあ、どうぞ。」
「いやあ、コリャ旨そうだ。」
健はサンドイッチを手に取るとぱくっと食べた。
「修理のほうはどうですか?」
哲夫が訊くと、コーヒーを飲みながら主人が嬉しそうに答えた。
「ああ、もう少しだな。今日買ってきた部品を取り付けたら、完成だ。前よりも良くなったはずだ。こいつも、何とか仕事を覚えたようだしな。」
「そうですか。健君、良かったな。」
健は、サンドイッチを口一杯に頬張っていて、それをコーヒーで流し込んでから返事をした。
「ええ・・助かりました。・・東京へ戻ったら、バイク修理の仕事をしようと決めました。せっかく覚えたんですから、役立てないと申し訳ないです。・・で、いつか自分の店を持とうと思います。」
「そう、良かった。」
「あの日、哲夫さんに助けてもらって本当に感謝してるんです。」
「いや、そうじゃない。一番感謝しなくちゃいけないのは、須藤さんだろ?熱心に教えてもらったんだから。それと奥さんにもね。」
「はい、感謝してます。きっと恩返しできるよう、一生懸命働きます。」
健は、最初に会った時と比べて、随分成長したようだった。
「ゆっくりしていってください。」
哲夫はそう言うと厨房に戻った。
二人はソファに座って、買ってきた部品の話を続けている。時々、ご主人が健の頭を小突いている。傍目には親子のように見えた。
1時間ほどして二人は帰っていった。
「また、寄らせてもらうよ。・・哲夫さん、あんたには本当に感謝しとるよ。あいつが来たお陰で、わしももう一度修理屋をやってみようと決心することができた。まだ身体は満足には動かないが、リハビリもやっとるし、まあ、出来る事からやっていけばいいだろ。ほんとにありがとう。」
帰り際に須藤自転車の主人はそういい残した。

それから、三日後の朝には、健が再び<命の樹>に顔を出し、これから東京へ戻ると挨拶をした。
朝早くやって来たのは、加奈が出勤する前にきちんと挨拶をしようと考えたからだった。
「頑張ってね。また、遊びに来てよね。」
加奈はそう言って別れを惜しんだ。
「浜にも顔を出して挨拶しておくと良い。源治さんにも世話になったし、きっと喜ぶだろう。」
哲夫はそう言って、焼きたてのパンを一袋手渡した。
丁度、与志さんも来ていて、畑で取れたみかんを一袋、土産にと健に渡した。
健は何度も何度も頭を下げ、玄関を出て行った。健のバイクの音が次第に遠ざかっていく。

それからしばらくは静かな日々だった。
口伝いで評判が広がったのか、毎日、数人の客が訪れるようになっていた。哲夫は喫茶店のマスターの姿がようやくしっくりするようになっていた。4/22

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