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41 息子 [命の樹]

41 息子
<命の樹>を取り巻くように立っている木の葉が赤く色づきはじめる季節になった。
「木曜日は学校の講義がなくなったから、これからはお休みにして、あなたを手伝うわね。」
加奈がそう言って、初めての木曜日が来た。保育園へパンを届ける日である。
哲夫は朝早くから起きだして、パンを焼き、小袋に詰める作業をしていた。加奈もいつもよりも早く起きて哲夫を手伝った。木曜日は<命の樹>は定休日になっていた。
「じゃあ、行こうか。」
「ねえ、私の車で行く?そんなにたくさんの荷物があるんだし、寒くなってきたし・・。」
「いや・・保育園の前は車が停められないし・・自転車を押していけば大したことないさ。運動も必要だろ?・・ああ、そうだ。帰りには水上医院へ行くんだ。パンを届けるついでに診察も・・・」
哲夫がそういうので、加奈も哲夫の引く自転車を後ろから押しながら歩いてついて行った。
「わあ・・てっちゃんだ!パンが来たよ!」
いつもの笑顔が迎えてくれた。
「あなた、ずるいわ。こんな楽しい事、今まで独り占めしていたのね。」
加奈は、子どもたちに囲まれ、何とも幸せそうな哲夫を見て、そう言った。
「独り占めって・・べつに・・そういうわけじゃあ。」
「嘘よ!これから、私も一緒に来るわね。」
加奈はそういうと、パンの入った箱を抱えて、子ども達の輪の中に入って行った。
「ええ・・今日のパンは、くるみとみかんのパンです。」
哲夫は子どもたちを前に少し得意げに言った。
「それと、今日のパンは、ここにいる加奈さんが手伝ってくれたんです。加奈さんは僕の奥さんです。これから毎週、一緒にパンを運んでくれます。仲良くしてください。」
哲夫は子どものような口調で、楽しそうに話した。子どもたちは無邪気に「はーい」と答える。
「それとね・・パンに入っているみかんは、あの岬に住んでる、与志さんという人が育ててくれたんです。」
哲夫が言うと、一人の子どもが答える。
「ぼく、よしさん知ってるよ。」
「ぼくも!」
そこにいた園児たちはつられるように皆が、与志さんを知っていると答えたのだった。
哲夫が意外な顔をしていると、保母さんが横から言った。
「与志さんは、最近、みかんを届けてくださるようになったんです。子どもたちもすっかり慣れて、与志さんがいらっしゃると、哲夫さんの時みたいに大騒ぎになるですよ。」

しばらく、子ども達の楽しく時間を過ごした後、哲夫と加奈は保育園を後にした。
「これから、水上医院に行って診察を受けるけど・・どうする?」
哲夫が訊くと、加奈は少し考えてから「私は先に戻ってるわ。」と言った。
「じゃあ、これを須藤自転車に届けてくれないかな。毎週、保育園の帰りに届けてるんだ。奥さんが気に入ってくださってるんだ。」
「ええ、良いわ。」
哲夫は周遊道路から山手に上がる坂道を自転車を押しながら進んだ。加奈は、後姿を見送った後、町の通りへ向かった。
加奈は、「須藤自転車店」に着くと、店先から声を掛けた。
中から、30代の男性が顔を見せた。
「あの・・倉木と申しますが・・パンをお届けに参りました。あの・・奥様は?」
加奈が訊くと、その男性が笑顔で答えた。
「倉木さん・・ああ・・哲夫さんの奥様ですね。その節はお世話になりました。息子の幸一と申します。・・結ちゃん・・あ・・いや、水上先生から連絡があって、ご主人から親父の話を聞きました。驚いて戻ってきたんですよ。・・本当にありがとうございました。」
出てきたのは、須藤自転車の一人息子の幸一だった。
幸一は、結と同じ医大の出身で、しばらく僻地医療で遠方に行っていた。最近になって、大学病院に戻ってきて、結からの連絡を受けたようだった。
「親父が病気で倒れた事は全く知らなかったんです。まあ、あんまり連絡してなかった僕が悪いんですが・・親父も僕にはみっともない姿を見せたくなかったんでしょう。お袋にも連絡するなといっていたようです。・・哲夫さんから様子を聞いて・・なんでも健君がバイク修理の修行をしているから、それが終わったら顔を見せて欲しいって言われていたんです。」
「そうなんですか・・。」
加奈は哲夫がそんな事をしていたのは全く知らなかった。
「戻ってきた時、親父はかなり回復していました。本当にありがとうございました。」
「いえ・・私は何も知りませんでした。でも元気になられて良かったです。」
「それで・・こっちへ戻ってこようと決めたんです。ここからなら、何とか、大学病院にも通えますし、親父のリハビリにも連れて行くことができますから・・。いずれは、自分の病院も持ちたいので・・。」
「そう・・それはお父さんたちも心強いでしょうね。」
「本当は、バイク屋を継ぐべきなんでしょうが、どうにも、苦手なんですよ。小さい頃は手伝っていたはずなんですけどねえ。」
そんな話をしていると、奥さんが出てきた。
「あら・・加奈さん、その節はお世話になりました。」
奥さんは、以前にも増して幸せそうな笑顔で挨拶をした。
「いえ・こちらこそ。・・ああ、これ、哲夫さんから・・。」
そう言って加奈がパンの包みを差し出すと、奥さんは両手でありがたそうに受け取った。
少し遅れて、ご主人が顔を見せた。
「おや、珍しいね。今日は加奈さんが配達かい?・・こいつ、息子の幸一だ。戻ってくるんだそうだ。」
リハビリも進んでいるようで、一見すると病気だったこともわからないほどに回復しているようだった。ご主人も以前よりも柔らかな表情で話した。
「ええ・・木曜日が仕事休みになったんで、一緒に配達なんです。哲夫さんは今、水上医院へ。」
「やっぱり、どこか、悪いのかい?」
「いえ・・パンを届けに行ってます。」
加奈は戸惑いながら答えた。
「そうかい?それなら良いんだがな・・・。」
ご主人は少し心配そうな表情で呟いた。4/29

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