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43 薔薇の花 [命の樹]

43 薔薇の花
春に『薔薇の庭の喫茶店』で貰った、薔薇の苗は、初夏には花をつける事はなかったが、夏の暑さにも負けず、ぐんぐんと育っていた。夏の間は、「身体に障るから駄目よ」と加奈に厳しく言われていたため、庭仕事はほとんどしていなかった。
暑さの和らいできた10月に入って、久しぶりに、哲夫は庭仕事をした。
テラスの両脇に植えた薔薇の苗は、背丈ほどまで枝を伸ばしていた。もらった時に「丈夫に育つ」とは聞いていたが、これほど成長が早いとは思わなかった。
哲夫は、倉庫に入って、薔薇の気を支える支柱になる物を探したが、手ごろなものが見つからなかったので、与志さんに訊いてみることにした。
店は営業中の看板を出していたが、お客はなかった。最近は、平日でも数人の客が訪れるようになっていたので、インターホンからの呼出用子機を持ち歩くのが恒だった。
与志さんは、下の畑で、早生みかんの収穫作業の真っ最中だった。
「与志さん、お忙しい処、すみません。」
「ああ、てっちゃん。・・今年は、天候も良くて大玉になったから、手間がかかっちゃってね。」
与志さんは手を止めて、汗を拭きながら、笑顔で言った。
畑の脇には、20kgコンテナに蜜柑色に熟れた美味しそうなみかんがたくさん入れられ、積上げられていた。
「薔薇の枝が伸びてきたんで、支柱を作ろうと思うんですが、良いものがなくて・・・何か、使えそうなものはないか探してるんです。」
「それなら・・うちの納屋に行けば、それなりに使えるものがあるかもしれないけどね・・。」
「そうですか・・何か良いものあるでしょうか?」
「まあ、枝を支えるんなら、太めの針金とか・・どうだい?」
「ああ、いいですね。ありますか?」
「きっと、あると思うんだけどね。」
与志さんは、少し都合の悪そうな表情をしている。
「・・もうじき、これを農協が集めに来るんで、待ってなきゃならないんだよ。・・悪いんだが、てっちゃん、家へ行って勝手に探してみてよ。大抵は使わないものばかりだから、他にも欲しいものがあったら使っていいよ。いつものパンと紅茶のお礼だ。・・ああ、ついでに、納屋の入口の蝶番が緩くなってるから、修理しておいてくれないかい。」
与志の言葉どおりに、哲夫は与志の家の納屋へ行った。
入口の蝶番は、かなりがたついていたが、螺子を締める程度ですぐに修理できた。
納屋に入ると様々な道具が置かれていた。哲夫はその中から、少しさびているが使えそうな太い針金を見つけた。
「これにしよう。」

再び、みかん畑に戻って、与志さんに尋ねた。
すでに、畑に積まれていたミカンガいっぱい詰まっていた、20kgコンテナはすっかり無くなっていて、同量の空のコンテナが積まれていた。
「蝶番はガタついていたんで、修理しておきました。もう大丈夫ですよ。」
「ありがとね。」
「・・ああ、この針金、戴いても良いですか?」
「ああ、好きにしていいさ。」
「ありがとうございます。助かります。」
哲夫は、針金を抱えて戻りかけたが、ちょっと気になる事があって振り返って訊いた。
「みかんの収穫って一人で全部やってるんですか?」
「ああ・・もう10年以上、一人でやってるよ。このごろは、体力も落ちたのか、なかなか進まなくてね・・もうあと数年で仕舞いにしなくちゃいけないだろうがね。」
「そんな・・」
哲夫は、初めて聞く与志の弱気な言葉に驚きながら返答した。
「・・ああ、そうだ、てっちゃん、あんた、このみかん畑を引き受けてくれないかい?」
与志さんは、冗談交じりに哲夫に言った。しかし、哲夫は、困ったような表情をした。
「いや・・それは・・。」
「そんなに難しいもんじゃないさ。2,3年、やれば一人前にできるようになるし、農協の人だって、丁寧に教えてくれるはずさ。どうだい?やってみないかい?」
「いや・・・。」
哲夫は言葉が出なかった。
「・・私が動けるうちに、教え込んでやるからさ。」
与志さんの言葉は、だんだん、真剣味を帯びてくるようだった。
「いや・・それは・・・。」
哲夫はいよいよ返答に困った。
「そうだよねえ・・ちっとも儲けにならないしね。こんなにおいしいのにさ、昔はこれだけの畑でも十分暮らしていけたんだよ。」
哲夫は、故郷にいた頃、祖父や祖母が同じような事を言っていたのを思い出していた。
「まあ、いいさ。まだまだ動けるうちは、頑張らなくちゃね。さあ、もう一仕事だ!」
与志さんはそう言うと、籠を抱えて立ちあがった。
「すみません。」
哲夫はそう言うのがやっとだった。
本当なら、与志さんの思いを汲んで、引き受けるべきなのだろう。しかし、今の哲夫には、そんな約束はできなかった。冗談交じりとは言っても、広いミカン畑はいずれは放置される運命にちがいない。そう考えると、自分が不甲斐なくて仕方なかった。

店に戻ると、薔薇の手入れを続けた。
もらった針金をテラスの庇(ひさし)の支柱に止めたあと、伸びた薔薇の枝を針金に固定した。このまま、伸び続ければ、何年かするとテラスには、真っ赤な薔薇のアーチが掛かるに違いない。その風景を見ることはないだろうが、加奈へのプレゼントになるに違いない。
満足そうに見ていると、伸びた薔薇の枝に小さな蕾を見つけた。
通常なら10月には薔薇の開花があるはずだが、浜名湖周辺は、年間気温が高いために、開花期が少し遅いのだった。この分なら、あと一か月ほどで大きな薔薇の花が咲くかもしれない。
「加奈にはもう少し内緒にしておこう。」
相変わらず、客はなかった。


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