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54 ミカンの収穫 [命の樹]

54 ミカンの収穫
「加奈さん、こっちだよ。」
与志さんが、店の裏口に出てきた加奈を見つけて、ミカン畑を取り囲む槇の木の隙間から、声を掛けた。加奈は、、与志に泣きはらした顔を見られないよう、タオルで顔を拭いた。
「今、行きます。すみません、遅くなって。今日に限って、お客さんが多くって・・。」

ミカン畑に入ると、与志が、腰籠と鋏と軍手を手渡してくれた。
「いいかい、ミカンを摘むときはそっと左手で実を包むんだ。そして、成り口の枝に鋏を入れる。」
与志は、口にした言葉通りに手を動かす。ポロリと実が取れた。
「それから、これ。少し飛び出している枝を綺麗に切り落とすんだ。」
パチンという音とともに、ヘタの上に僅かに飛び出した枝を綺麗に切り落とした。
「こうすると、籠に入れた時、ミカンが傷つかないんだ。・・さあ、やってみな。」
与志に言われた通り、加奈はそっと身を包むようにして支えて、鋏を入れた。コロンと手の中で転がって、ヘタを上にして飛び出した枝を切り取った。
「これで良いのかしら?」
「ああ、上等だよ。だが、そんなに上品にやってたんじゃ、日が暮れる。手早くやらないとね。」
そう言いながら、与志さんはすでに籠の中に10個ほどのミカンを摘んでいた。
「いいかい、樹の外側になっている実から摘むんだよ。色目が良くて、つやつやしたのを選んでね。」
与志さんはそう言うと、次の樹に取り掛かった。

加奈は目の前の背丈ほどの樹に取り掛かった。
はじめのうちは、おっかなびっくりだった加奈も、10分ほどで慣れてきた。腰籠がいっぱいになって、通路に積みあがっているコンテナに移し、また、切り始めた。
ただ黙々と、単調に見える作業だが、どの実を摘むか、どういうふうに鋏を入れるか、一回ずつ考えながら集中して作業をした。やっている時は何だか余計な事を考えずにいられた。
畑の中には、加奈と与志の鋏の尾をとが響いていた。

1時間ほどが過ぎた頃、与志さんが加奈のところへ戻ってきた。
「そろそろ休憩にしよう。」
声を掛けらえ、加奈はハッとと現実に戻ったような気持ちになった。随分、熱中していたのだった。
「おや、随分、綺麗に摘んだねえ。」
与志さんに言われて、目の前を見ると、大きな樹が5本ほど、きれいに実が付いていなかった。
「大したもんだよ。初めてにしては上出来、上出来。さあ、少し休もう。」
与志さんはそう言うと、畑の通路に積まれたコンテナの脇に行き、殻のコンテナをひっくり返して、椅子と机にした。
そして、水筒と小さな籠を開けた。中には、お菓子が入っていた。
「さあ、どうぞ。」
コップにお茶を注いて、加奈に差し出した。加奈はそれを受け取り、一口飲んだ。
「作業はどうだい?」
「ええ・・とても大変だけど、楽しいです。何だか、夢中でやりました。」
「そうかい・・まあ、初めてだしねえ・・それに、あとどれくらい残っているかなんて関係ないだろうからね。」
そう言われて、加奈は楽しいといった自分が恥ずかしくなった。
与志はこれを生業としている。一年中、一人で畑仕事をするのだ。どれほどの畑を作っているのか知らないが、全てを自分の責任でやり通すのは並大抵の事ではないはずだった。
「すみません。はしゃいでしまって・・遊びじゃないんですよね・・。」
「いや・・良いんだよ。私も一年のうちでミカンの収穫だけは楽しいんだ。自分の苦労がすべて報われるって言う感じがね・・それで、最後の畑の最後の1個まで取り終えると、なんとも爽快な気分になるんだよ。」
「あとどれくらいあるんですか?」
「温州はここが最後だ。・・年が明けたら、青島と甘夏と八朔、ああ、あとネーブルが少しあるんだけどね・・まあ、それは大したことはない。少しばかり遅れた方が味も乗って美味しくなるから・・ただ、温州だけはいけない。採り損ねるとそのまま畑の肥やしにするしかないんだ。」
「ええっ?じゃあ、急がないと・・。」
「良いんだよ。今日は、加奈さんが手伝ってくれたおかげで随分捗ったしね。」

お茶を飲み、お菓子を食べ、ミカンに囲まれている時間は、与志にとって至福の時なのだろう。
「ねえ、与志さんはミカン農家に嫁いできたんですか?」
加奈はふと気になって尋ねてみた。
与志さんは、柔らかな表情を浮かべて、思い出話を始めた。
「爺さんは町の役場に勤めていたんだよ。私も学校を出て、役場に勤めてね。そこで知り合って、結婚したんよ。」
加奈は、与志のなれそめを聞くのは初めてだった。
「じゃあ、ミカンを作り始めたのはどうして?」
「ちょうど、国が特産地政策とかいうやつを始めていてね。町役場でも、このあたり一帯をミカンの産地にしようって決めて、爺さんが旗振り役をすることになったんだ。だが、このあたりの農家はなかなか動こうとしなかった。だから、爺さんは、この岬の土地を買って、畑にするって言いだしたんだよ。」
「随分大変だったんじゃ・・」
「ああ・・荒地同然の場所だったんだよ。それを、二人で力を合わせて、樹を切り倒し、草を刈り、ゴロゴロと転がっている岩をどかして、とにかく、畑にすることだけ考えて、朝から晩まで働いた。最初のうちは、役場も少しは手伝う素振りを見せたけどね・・。ようやく畑ができて、みかんを植えたんだ、そしたら、町一番の上等品のミカンが取れたんだ。爺さんは得意満面だったよ。」
「ご苦労が報われたんですね・・。」
「ああ・・だが・・失ったものもあるよ。ミカンが取れるまではほとんど収入はなくってね、借金もしていたし、今日食べるものにも困るくらいに、貧しかった。だから、子どもをもつことは諦めたんだ。とても育てていける自信がなかった。..」
与志さんは少し寂しそうな表情をした。

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