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55 加奈の告白 [命の樹]

55.加奈の告白
「なあ、加奈さん・・前に一度、てっちゃんにも言ったんだが・・。」
与志さんは少し躊躇いがちに言った。
「もう私も年だ・・。いずれ、私も動けなくなる日が来るだろう。その時、このミカン畑の世話を頼みたいんだよ。どうだろうね?」
加奈は驚いた。
「哲夫さんはなんて言いました?」
「いや・・無理そうな表情で・・はっきりとは返事はしなかったんだが・・。」
「そうですか。・・」
加奈は、哲夫が答えに困った姿を思い浮かべて、胸が苦しくなった。
「今朝、知ったんだが、てっちゃんの実家もミカンを作ってたそうじゃないか・・なら、きっと、すぐに一人前にみかんが作れるようになるよ。きっと大丈夫だ。どうだろうね、やってくれないかい?」
「いえ・・やっぱり・・無理です。・・。」
加奈はそう言うしかなかった。
「ミカン畑は爺さんと私の生きた証なんだよ。何とか、残していきたいんだ。」
与志は、懇願するように言った。
「いや、全部じゃなくていいんだ。この畑だけで良いんだ。店のすぐ下で都合も良いだろ?どうだい、やってみてくれないかい?」
与志の願いも充分に理解できた。できるものなら、与志の願いを叶えてあげたい。いや、僅かでも、哲夫の命が長らえることがあるのならば、ミカン畑を二人でやるのは加奈にとっても夢のようなことなのだ。しかし、今の状態ではそんな約束などできないのは明らかだった。
「ごめんなさい。」
加奈はそう言って、顔を伏せて泣き出してしまった。
与志は驚いて言った。
「・・まあ、そんなに泣いてしまうなんて・・・・そんなに無理な事だったのかい・・すまない・・ごめんよ・・。」
「いえ・・良いんです。私の方こそ、ごめんなさい。与志さんの気持ちは十分に判るんです。でも、どうしても無理なんです。」
加奈の答えに、与志は、ミカン畑の仕事がいやとかそういうわけではなく、何かもっと別の理由があるように感じた。
「何か、言えない様な訳があるのかい?」
加奈は、与志に訊かれて、もう隠しておけない気持ちになっていた。いずれ、近いうちに判る時が来る。いつまでも隠せるものではないはずだと思い至った。
加奈は顔を上げ、気持ちを落ち着かせて、ゆっくりと言った。
「与志さん・・与志さんには、お話しておくべきでしょうね。」
そう前置きしてから、加奈は、哲夫の病気の事を話し始めた。
「哲夫さんは、末期の癌なんです。そんなに長くは生きられないんです。」
「そんな・・あんなに元気そうじゃないか・今朝だって・・・嘘だろ?」
与志はすぐには信じられない様子だった。加奈は首を振った。
「先日も・・そう、あの岬のところで倒れていて・・。」
与志はその時の事を思い出していた。
「そんなに悪いのなら、入院した方が良いんじゃないのかい?」
「いえ・・もう、治療もできない段階なんです。病気が見つかって、哲夫さんはすぐに会社を辞めました。自分らしくのんびり生きたいからってこの町へ越してきたんです。でも、ただじっと死を待っているようではいけないって思い始めて、店を始めるといいだしたんです。体力的にどこまでできるか判らないけど、最後まで生き切りたいって・・。」
与志は複雑な表情を浮かべて言った。
「そうだったのかい。・・私は最初、どんな道楽者がここの土地が欲しいって言ってるのか、いい加減な気持ちなら売るつもりもなかったんだが、あんたたちと会って、何だか、真面目に生きているのが判ったから売る事にしたんだ。、まさかそんな事情があるなんて考えもしなかったんだけどね。」
「最初からお話しておけばよかったのかもしれませんが・・でも、哲夫さんはみんなに心配を掛けるのは嫌だって言って。だから、誰にもお話ししなかったんです。」
「まあ・・そうかも知れないねえ。気を遣わせるっていうのはやっぱり嫌だよね。」
「だから、この畑を預かるなんて無理なんです。きっと、来年の秋までも・・」
加奈は、言葉を詰まらせた。それ以上は口にしたくなかった。
与志さんは深く溜息をついてから、ゆっくりと空を見上げた。
「不条理だねえ・・どうしてそんなことがあるんだろうねえ・・。」
そう言って、与志さんは加奈の肩に手を置いてから、労わる様な声で言った。
「あんたは一人でそんな思いを抱えてきたんだね。辛かっただろう。」
加奈は、堪えきれず、与志の腕にすがって声をあげて泣いた。
与志は、加奈の背を撫で、気持ちを落ち着かせようとした。そして、優しい声で言った。
「でもね・・加奈さん、ものは考えようさ。うちの爺さんは、突然だった。寝るまで普段と全く変わらず、どこも悪くなったのに・・・朝にはもう逝っちまってたんだ。看取ることも、できなかったんだ。後悔したよ。こんなことなら、あれもしてやりたかった、あんなこともさせてやれば良かったって、いくら悔やんでもどうしようもなかった。今、こうやって畑の仕事に精を出してるのは、せめてもの償いのつもりでもあるんだよ。」
加奈は与志の顔を見た。与志は涙を流している。
「それにね・・てっちゃんもきっと同じ思いだろうよ。生きてる間に、加奈さんのために何ができるか、必死で考えてるはずさ。」
加奈は少し訝しげな顔で与志を見た。
「いろんな人の世話を焼いて、いっぱい知り合いを作って・・そうさ、保育園にだってパンを届けてる。そうやって、人の絆をいっぱい作ってる。きっと、加奈さんが独りになっても淋しくないようにって思ってやってるんじゃないのかね?」
「そう・・でしょうか?」
「命を生き切るってのは、自分の欲のために生きるんじゃないよ。加奈さん、あんただってそうだろ?自分のためよりも、てっちゃんのために何ができるかって考えて、生きてるだろ?そうやって、誰かの事を考え、支え、時には支えられて生きるっていうのが何よりの幸せさ。てっちゃんがこの先どうなるのか、誰にもわかりゃしないんだ。ただ、病気が見つかって、少し早く逝くかもしれないが、今は生きてる。だから、一日一日を大事に生きるんだ。私に、何ができるわけじゃないが、苦しくなったら、いつでも、私のところへおいで。私の前で思いっきり泣くと良いさ・・。」
加奈は救われたような気持だった。

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