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57 見舞い [命の樹]

57 見舞い
パンが焼きあがるまで、哲夫と加奈は窯の横のベンチに座って、湖を眺めていた。
「ここって気持ちいいわね。ちょっと寒いけど。」
「ああ・・これは想像なんだが、ここの景色は、与志さんの思い出の場所じゃないかって思うんだ。店を建てる前、ここに小屋があったろ?きっと、ここから与志さんとご主人もこうやって湖を眺めてたんじゃないかって思うんだ。」
「そうかもね。」
「だから、こうやってベンチを置いて与志さんがいつでも来れるようにしたんだ。パンを焼いてると、与志さんは必ずここに来てくれるんだ。」
「へえ・・そうだったんだ。」
加奈は会話をしながら、与志さんとご主人が並んで湖を眺めている様子を想像していた。どんな話をしたのだろう、与志さんはここに来てその時のことを思い出したりするのだろうか、淋しく感じたりしないのだろうか、いろいろと考えているうちに、自分もいつかそんな風に思いだす日が来る事に思い当たって、少し気持ちが重くなってしまっていた。
「加奈、もう焼き上がるころだ。」
哲夫が窯を覗き、一つ一つ丁寧に取り出した。ほのかに焼き芋の香りが漂った。
「試食してみよう。熱いから気を付けて。」
哲夫は焼き上がったばかりの、焼き芋パンをそっと加奈に差し出した。加奈は一口食べてみた。
「あ・・熱い!・・うん、美味しい。」
「そう?」
哲夫も一口食べてみた。口の中にサツマイモの甘みが広がる。そのあと、サクサクとしたパンの感触が心地良い。
「うん、合格だな。思ったより甘くなったな。」
「与志さんのお芋が甘いのね。すごい、これならきっと子どもたちも大喜びね。」
哲夫と加奈は焼き上がったパンをトレイに並べていると、下の道路で車のエンジン音がした。
見下ろすと、軽トラックが入ってくるのが見えた。車は下の駐車スペースに止まると、誰かが、庭に新しく作った坂道を上ってくるのが見えた。
「誰だろう?加奈、見てきてくれるかい?」
加奈はすぐに、裏口から庭へ回った。
坂道をあがってきたのは、玉木商店の主人で、大きな段ボールを抱えていた。
「おはようございます。」
加奈が声をかけると、玉木商店の主人が丸っこい顔ににっこりと笑顔を浮かべて頭を下げた。
「てっちゃん、元気になったかい?」
「え?ああ、ちょっとお休みしていました。」
加奈はどう答えたものか戸惑った
「・・水上医院へ入院してたって噂だったから・・どうかと思っていたんだが・・今朝、煙突から煙が上ってるのが見えたんで、来てみたんだ。」
「入院?」
「おや?ちがったか。いや、金原さんの奥さんがね、てっちゃんが水上医院へ担ぎ込まれたのを見てたらしいんだよ。そのあと、しばらく喫茶店がお休みだったし・・与志さんの話じゃ、足を痛めたとか・・よくわかんないが、まあ、パン焼きが始まったみたいだったんでね。」
玉木商店の主人は、早口でそう言った。
金原の奥さんというのは、サチエの母郁子の事だった。水上医院の隣に住んでいるから偶然見かけたに違いなかった。
狭い街だから、秘密にしようとしてもすぐに噂は広がる。
「ええ・・大したことはなかったんですけど・・大事を取ってしばらく入院したんです。もうすっかり良くなりました。それで、今日は保育園にパンを届けるんです。」
加奈は、病気の事は曖昧にして答えた。
「そりゃあ、みんな喜ぶなあ。・・ああ、そうだ、これ。見舞いの品なんだが・・。」
そう言うと、玉木商店の主人は、抱えていた段ボールを開いて見せた。中には、パン作りの材料やコーヒー豆がたくさん詰まっていた。
「これって?」
「いや、再開したんなら、いろいろと材料がいるだろ?問屋の連中も心配してたから、見舞いの品を届けてくれって頼まれてね。・・ああ、今回は代金はいらないよ。皆の気持ちだからな。」
「ちょっと待ってください。哲夫さんを呼んできますから・・。」
加奈は余りの事に哲夫を呼びに行った。
哲夫は、最初のパンが焼きあがったのを取り出していた。加奈が玉木商店の主人の事を話すと哲夫はすぐに庭にやってきた。
「すみません。ご心配をおかけして・・。」
「おお、てっちゃん。なんだ、元気そうじゃないか。良かった。安心したよ。」
玉木商店の主人はそう言うと、哲夫の肩をたたいた。
「ほら、どうだ?良いだろ。」
哲夫は段ボール箱の中を覗いた。
「こんなにたくさん、良いんですか?」
「ああ、みんなが持って行ってくれって頼まれたものばかりだ。どうやら、問屋連中も、この店の噂があちこちで聞かれるようになって、随分喜んでるようなんだ。」
「でも・・こんなにも・・」
「なあに、気にすることはないさ。そうそう、珈琲屋の営業の奴なんか、この店の珈琲は美味しいって噂になってるみたいでな、引き合いが増えたんだって、それで出世したらしい。だから、随分、心配していたよ。ぜひ持って行ってくれって、また、新しい商品を持ってきたよ。」
「ありがとうございます。本当に皆さんには感謝しきれないほどで・・ありがとうございます。」
哲夫は涙ぐんでいる。
「いいんだよ。また、注文してくれよ。うちも商売繁盛なんだからな。」
「はい。・・ああ、これ、今日、保育園に持っていくパンです。今、焼きあがったんで、持って帰ってください。」
「おお、美味そうだ。ありがとな。」
玉木商店の主人は笑顔で受け取り、来た道を戻って行った。

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