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45 異変 [命の樹]

45 異変
夕方になって、加奈は仕事を終えて、帰宅した。店のドアには《準備中》の札が掛けられていた。
「おかしいわね、普段ならまだやってるはずなのに・・。」
加奈はそう呟きながらドアを開けた。
「哲夫さん?居るの?」
返事はなかった。二階に上がってみたがやはり姿はなかった。
「自転車はあったから・・出掛けていないはずなんだけど・・。」
加奈は独り言を言いながら、着替えを済ませて、再び、店に降りてきた。
ふと、庭に目をやると、東側の木立の一カ所に、背まで伸びていた草むらが無くなっているのに、気付いた。サンダルを履いて、庭に出て、その場所に向かった。
草が綺麗に刈られていて、通路が出来上がっていた。
「まさか・・これ、哲夫さんが?」
そう言いながら、通路を降りていくと、隅の方に、草刈機が放置されていた。加奈は胸騒ぎがした。
槙の樹の垣根の向こうに、人影が見えた。
「哲夫さん!」
加奈が声を掛けると、畑の中から、与志さんが顔を見せた。
「おや、加奈さん・・どうしたんだい?」
「あっ・・与志さん・・いえ、哲夫さんの姿が見えなくて・・。」
加奈は、与志さんが余計な心配をしないよう、意識して落ち着いて答えた。
「てっちゃんなら、随分前に、岬の先端に通じる道の方へ行ったはずだけどね・・・もう、戻ってると思ったけど・・・。まだ、戻ってないのかい。」
「そうですか。」
「途中、道が崩れているかもしれないから、気を付けて行くように言ったんだが・・・・。」
与志さんは心配な表情を浮かべて言った。
「大丈夫だと思うんですけどね。あの人、結構、気ままな人だから・・・たぶん、ぼんやり、湖でも眺めてるのかもしれません。すぐに戻るでしょう。」
「そうだね。」
加奈は与志に礼をして、意識的に、ゆっくりと店に戻る事にした。慌てて、哲夫を探しに行くようなことをしたら、与志に余計な心配をかけてしまう。
だが、庭に入ってから、すぐに店に戻り、慌てて、結に電話した。
「結ちゃん?・・ごめんね、突然。哲夫さんの姿が見えなくて・・さっき、与志さんから、哲夫さんが岬の先端に向かったって聞いたの。・・なんだか・・心配で・・・。」
電話の向こうで、結が答えた。
「わかりました。私もすぐに行きますから。」

加奈は電話を切ってから、メモ用紙に、置手紙をして店を出た。
加奈は、急ぎ足で、斜面の通路を降りると、与志さんの姿のない事を確認して、岬の先へ通じる道を急いだ。

岬の先端までの道には、哲夫が通った痕跡があちこちにあった。長く伸びた草を払い、大きな石を道の脇にどけて、通りやすくなっていた。
加奈は、心臓の鼓動が高まるのを感じながら、次第に、心の中に湧き上がる、不吉な想像を必死に抑えようとしていた。

結もすぐに《命の樹》に、須藤幸一と一緒に姿を見せた。テーブルに置かれた置手紙を読むと、加奈の後を追うように道を急ぐ。庭を降りたところには、幸いにも、与志の姿はなかった。
「さあ、急ごう。」
幸一は大きな鞄を抱えて、結の前を歩いた。幸一は、ここの生まれで、幼い頃に何度か、この道を歩いた事があった。

そのころ、哲夫は、夢の中に居た。
なぜか、空を飛んでいて、足元には、岬が見えた。赤い屋根の自分の店を見下ろしているのだった。
「あ・・加奈が戻ってきたな・・なんだか、慌ててるようだが・・どうしたんだろう・・。」
哲夫は、風に流される凧のように、ふらふらと岬の上空を舞いながら、足元の景色をのんびりと眺めている。
「あれ・・結もやってきたな・・・何があったんだろう。」
相変わらず、のんびりと、自分とは関係のない世界の事のように眺めている。

「哲夫さん!哲夫さん!、しっかりして!」
急に、強い口調で耳元で声がして、上空から引き戻された。
哲夫はふっと気がつき、うっすらと目を開いた。
目の前には、加奈がいる。
加奈は涙を浮かべ必死の形相で、哲夫の体を揺すり、呼びかけている。何だか、ぼんやりした意識の中で、体はずっしりと重く、起き上がる事が出来なかった。
加奈は、脇に転がっていた携帯用酸素ボンベを哲夫の口に当てたが、中身は空っぽのようだった。
哲夫は、反射的にすうっと吸い込んだが、酸素は出ておらず、そのまま再び目を閉じた。
加奈は哲夫の胸に耳を当てて、心臓の音を確かめた。どくんどくんと音は聞こえるが、とても頼りなかった。
「哲夫さん!哲夫さん!」
加奈は必死に呼びかける。そのたびに、哲夫は眉間に皺を寄せて反応する。呼吸が弱くなってきていた。
「駄目よ!哲夫さん!しっかり!駄目よ!」
加奈はもう涙で顔をくしゃくしゃにしている。
ようやく、結が幸一と一緒に現れた。
「結ちゃん!・・哲夫さんが!・・・」
結は、幸一が抱えていた大きな鞄から聴診器を取り出し、哲夫の胸に当てた。
「大丈夫。加奈さん、落ち着いて。大丈夫だから。」
結は、加奈を落ち着かせるために、低い声で言った。だが、結の表情は険しいままだった。
「幸一さん、注射の準備をしてください。」
幸一が鞄の中から、注射器と薬を取り出しセットすると、結は、すぐに哲夫に注射した。
「今、強心剤を打ちました。これで少しでも心臓の鼓動が戻れば良いんですけど・・。」
三人は、哲夫の様子を固唾を飲んで見守った。


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