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48 腕の中で [命の樹]

48 腕の中で
二人が帰ってから、加奈は一度、哲夫の様子を見に行き、まだ寝ていることを確認して、片づけと入浴を済ませて、静かにベッドに入った。
「すまなかったね。」
哲夫は意識が回復していて、加奈の耳元で、小さな声で言った。
「あら・・目が覚めたの?」
「ああ、僕はまだ生きてるんだね。」
「もう、心配かけて!あれほど無理はしないでって言ったでしょう。」
加奈は、ベッドの中で哲夫の腕を掴んで、子どもように泣いた。
「すまなかった。本当に、すまなかった。」
哲夫は何度も何度も謝った。

加奈は哲夫の腕の中で少しずつ気持ちが落ち着いてきて、泣くのを止めた。
「不思議な夢を見たんだ。」
哲夫は囁くような声で言った。加奈は少し顔を動かして哲夫を見た。
「空を飛んでいた。・・いや、飛んでいるというより、、空に浮かんでいるみたいだった。足元に、うちの赤い屋根が見えてね。加奈が仕事から戻ってきた。しばらくすると、庭に走り出て・・与志さんに会った。また家へ戻って、今度は随分慌てて岬の方へ向かったんだ。・・その先にね、僕が横になって寝ていた。」
加奈は驚いた。哲夫の夢は、夕方の様子とぴったり合っていた。
「しばらくすると、結ちゃんが・・幸一君と一緒にやってきたんだ。何だか、二人は良い感じだよね。」
「もう止めて!」
「どうしたんだい?夢の話さ・・。」
「でも、それって・・。」
「やっぱりそうか。僕が見たのは夢じゃないんだ。僕はその時きっともう死にかけていたんだろ。臨死体験っていうのだろうね。」
加奈は想像したくなかった。哲夫の死はいずれ近いうちに訪れるだろう、しかし、まだその覚悟は十分にはできていない。いや、病気が見つかった時、受け入れたはずだったが、日が経つにつれて、認めたくない気持ちが強くなっているのだった。
「哲夫さん・・・一日でも長く一緒にいて・・お願い・・・。」
再び、加奈は子どものように泣き始めた。
「ごめん。もう止めよう。なんとか、繋いでもらった命だからね。大事にしないと。」
哲夫は、加奈の体に手を回した。加奈はそのまま、哲夫の腕に抱かれて、朝まで眠った。

翌日、哲夫が目覚めたのはもう10時を回っていた。加奈はいつも通りに起床し、今日の授業を休講にする連絡をして、朝食の用意を済ませていた。
「お早う、目が覚めた?」
加奈が寝室の哲夫を起こしに来た。
「ああ・・随分、楽になったよ。」
「朝食、食べる?」
「加奈が作ってくれるのかい?」
「そうよ。昔はそうだったでしょ?」
哲夫は、パジャマを着替えて、加奈に支えられながら、階段を一段ずつゆっくりと降りた。
「ふう・・まだ普通には動けないね・・。」
「仕方ないでしょ?昨日の事を考えれば、動くことだって不思議なくらいなんだから。」
朝日が差し込む窓際の席に、二人は座った。
朝食は、何時も哲夫が作るのと同じ、卵のサンドイッチとサラダとコーヒーだった。
「サンドイッチのパンがなかったから・・・・朝、コンビニで買ってきたの。どうかしら?」
哲夫は、パンをじっくり見てから、一口食べた。
「うん。やっぱり、売ってるパンは少し甘いね。せっかくの卵焼きの味を損ねてしまうみたいだ。でも美味しいよ。」
「何それ?褒めてるのか貶してるのか、わかんないじゃない。」
「いや、美味しいって。」
久しぶりに、二人は笑顔で会話ができたようだった。
「ねえ、午後には、診察に来るようにって結ちゃんが・・行けそう?」
「ああ、大丈夫だけど・・医院までは車で送ってくれるかい?」
朝食を済ませると、加奈は車を取りに行った。昨日、哲夫が整備した道を通って庭に車を入れた。
「良い具合だわ。」
車のドアを開けて、加奈が出てきた。
哲夫は、ゆっくりと玄関を開けて出てくると、テラスの前で立ち止まった。そして、加奈を呼んだ。
「ほら・・。」
哲夫がそっと指さした。
「あら、薔薇の蕾?」
「ああ・・蕾が付いているんだ。春には咲かなかったけど、今度はきっと咲くよ。」
「赤い薔薇だったわね。」
「ああ、蕾でこんなに大きいから・・きっと、随分大きな花が咲くよ。」
「楽しみね。」
「いつか、きっとこのテラスは赤い薔薇でいっぱいになる。毎年、春と秋に二度。香りも楽しみだね。」
哲夫はそう言うと、無意識に薔薇の弦に手を伸ばした。古い弦には大きな棘があった。指先にざっくりと棘が刺さり、真っ赤な血が噴き出した。
「大変!」
加奈は慌てた。哲夫は、加奈の声に驚いて自分の指を見て初めて怪我に気付いた。
「大丈夫だ・・大したことはない。」
すぐに手当てをした。
「痛くないの?」
「ああ・・それほど・・痛みはないね。」
「そう・・?」
加奈は、哲夫を乗せて、水上医院へ向かった。
水上医院には、結と幸一が待っていた。
哲夫は、結と加奈に支えられるようにして、病院の中に入って行った。


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