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49 検査 [命の樹]

49 検査
診察室に入ると、哲夫はすぐにベッドに横になった。僅かの距離のはずだが、随分と疲れている。ベッドの脇で、結が脈を取りながら言う。
「念のため、今日は、全身の検査をさせてください。」
既に幸一はMRIの準備を済ませていた。病院の一番奥の部屋、哲夫はストレッチャーで移動し、すぐに検査が始まった。
加奈は待合室のソファに腰掛けて、じっと待っている。そこへ、結の母が顔を見せた。
「加奈さん・・大丈夫?疲れていない?」
結の母は、哲夫の病気の事を結から聞いていたが、面と向って、その事を話題にした事はなかった。
「ええ・・私は大丈夫です。」
「無理しないでね。・・私、仕事柄、多くの患者さんのご家族の苦労も見ていたから、加奈さんがどうして居るのか心配なのよ。お手伝い出来る事があれば、何でも言ってくださいね。」
結の母は、加奈の手を取り、労わるように言った。
「ありがとうございます。結さんが近くに病院を開いてくださったので、随分、心強いんです。それに、幸一さんまで・・本当にありがとうございます。」
検査室の中は、低い機械音が響いていて、結と幸一はモニター画面を食い入るように見ている。
「内臓はそれほどでもなさそうだね。」
「ええ・・肺の癌も思ったより進行していない、いえ、以前より少し小さくなっているような感じ・・。」
「投薬の効果か・・。」
ゆっくりと、MRI装置が動き、頭部の方を撮影し始めた。
「頚部も浸蝕は見られないね。」
「これ・・。」
頭部の画像が開き始めて、加奈が指差した。
「ああ・・やはり、予想したとおりだ。」
検査が終了した。哲夫はベッドに横たわったまま、結と幸一を待っていた。加奈も哲夫の横の丸椅子に座って、じっと待っている。ほんの数分の事なのだが、二人には随分長い時間に感じられた。
「お待たせしました。」
結が椅子に座り、診察机の上のモニターのスイッチを入れると、目の前に、MRI画像が何枚も開かれた。幸一は、結の後ろに立っていた。
「おじさん・・正直に結果をお話します。」
結は、一度眼を閉じ、どういう順序で話をするかを考えているようだった。
「まず、肺の癌細胞は余り大きくなっていませんでした。むしろ進行を止めているようで、ずいぶんと良い結果でした。他の臓器への転移も心配していましたが、今のところ、危険な状態なものは見つかりませんでした。」
結の説明に、加奈は力が抜けていくように安堵した。だが、哲夫の表情は固いままだった。
「だが、悪い結果もあるんだろ?」
哲夫が結に訊いた。
「ええ・・残念ながら・・・。実は・・」
結はそこまで言って、幸一を見た。
「そこからは僕が専門ですから説明します。哲夫さんの頭部の深い所に、癌が見つかりました。脳幹という部分です。心臓や肺などの体の機能を調整する、太い神経中枢部分なんです。」
「やっぱり・・そうか・・。」
哲夫は観念したような表情で呟いた。加奈は両目に涙を浮かべている。
幸一はわざと無機質な言い方をしている。
「手術で取り除く事は不可能です。哲夫さん、最近、痛みを感じないということはありませんか?」
加奈は、出掛けの怪我を思い出した。
「ええ・・どこかにぶつかって鈍い感覚はあるんだけど・・痛いっていうのは・・今朝もほら・・。」
そう言って、哲夫が指の傷を見せた。
幸一はそれを見て、確認するように言った。
「間違いなさそうですね。・・おそらく、癌に侵された部分が傷みを感じる神経の根元のようです。この部分だけなら、癌の痛みを感じなくなります。まあ、見方によっては、幸運かもしれませんが。」
「でも。この先、その癌が広がればどうなる?」
哲夫は、加奈が知りたい事を代弁するように訊いた。
「突然、呼吸が止まったり、心臓も・・何が起こるか判りません。痛みを感じることは体の危険信号ですから、すぐに何らかの対処もできます。でも、それがない分、予測不能です。一層、危険になったとも言えます。」
加奈は呆然として涙を零している。悲しむというより、絶望という言葉が似合っている。
その様子を見て、結が言った。
「加奈さん、大丈夫。一番厄介だった、肺の癌巣は小さくなっているんです。だから・・おじさんは・・そんなに突然には・・。」
結は、加奈を慰めようと言葉を繕いながら言いかけたが、結局、自分も強い悲しみがこみ上げてしまって、それ以上、言葉にならなかった。すぐに、幸一が言った。
「最悪の事態は考えておくべきですが、まずは、体力をつけることが一番でしょう。とりあえず、数日、ここへ入院して、体調を整えましょう。投薬も少し増やしましょう。大学病院に有効な新薬を手配しますから。僕も結も、医師として、出来る事は全てやります。」
哲夫は幸一の言葉に少し力を貰ったようだった。
その日から、水上医院に入院する事になった。
小さな医院だが、哲夫の事を想定して、1部屋だけ、最新の設備を備えた病室が作られていた。
結の治療が効果を上げ、哲夫は、驚くほど元気になり、ほんの三日ほどで退院した。しかし、哲夫は、店に戻ってもすぐには動けなかった。今まで何気なくやっていたはずなのに、病状を聞かされてから、不安が付きまとい、何かをやろうという気持ちにはならなかった。加奈も、そんな哲夫の様子を見ていて、哲夫の気持ちが痛いほどわかって、何も言えず、悶々とした日が数日続いた。

「ねえ・・薔薇が咲いている。すごい、大きな花ね。」
朝食の時、ふとテラスを見た加奈が喜ぶように言って、窓を開けた。
「良い香り・・きっと春にはもっともっと花が付くわよね。」
加奈が言うと、哲夫はしばらく薔薇の花を見つめたあと、自分に言い聞かせるように言った。
「いかん・・いつまでもこのままじゃだめだね。死を恐れて、自分らしく生きられないなら、ここへ来た意味がない。加奈には、本当にすまないと思うが、明日から、店を開けるよ。僕は命を使い切りたい。良いだろ?」
加奈も頷いた。


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