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52 キノコの話① [命の樹]

52 きのこの話①
「ねえ、これ、何かしら?」
加奈が枝打ちの作業の手を止めて、哲夫に訊いた。哲夫は加奈の声がしたような気がして作業を止め、
周囲を見まわすと、倒木の裏側にしゃがみこんで、加奈が何かをじっと見ている。
「きのこ・・よね?食べられるのかな?」
哲夫はチェーンソーを下ろして、加奈のところへ行った。視線の先には小さなきのこらしい塊がある。
「ああ・・きのこだね。・・・たぶん、クリタケじゃないかな?」
「クリタケ?」
「広葉樹林の中とか倒木に生えるんだ。・・」
「へえ、食べても大丈夫?」
哲夫は少し考えた。

幼い頃、秋になると、幾度も、祖父と裏山でキノコを採ったことがあった。
祖父は、キノコ採りの名人だった。
松茸も何度か採ったことがある。羊歯の生える山の急斜面を祖父は迷うことなく分け入って、アカマツ林に辿り着くと、落ちた松葉をそっと掻き分けるようにして松茸を見つけた。数時間で腰籠一杯の松茸を採るのだった。
《この場所は、お前と儂の秘密だぞ。誰かに話しちゃだめだぞ。良いか、お前の親父にも秘密だ。》
祖父は松茸を見つけると、毎回、得意げに言った。
誰かに話そうとしても、その場所がどこなのか、表現できるものではなかった。
ただ、子ども乍ら,祖父と二人の秘密の場所というのはドキドキするものである。何だか、急に大人扱いされたようでうれしかった。

そんな祖父が、山に入るたびに口癖のように言っていたのを思い出した。
《キノコはな、素人判断すると、死ぬことになるぞ》
キノコはよく似ていて、猛毒のものと無害なものとの区別はそう簡単ではない。クリタケにも、何種類か似ているものはあり、間違えば、命を落としかねないのだった。
哲夫は祖父から教え込まれた甲斐もあって、子どもながらにキノコの見分けができるようになっていた。祖父は借金の事もあり、人付き合いが嫌いだった。だから、哲夫が中学生の頃には、近所の人が哲夫の家にこっそりキノコを持ち込んできては、祖父に代わって、見分けを依頼されるようになっていた。その度に、「物知りだねえ」と褒められた。
しかし、あれから数十年経っている。自分の目利きに自信はなかった。
「止めといた方が良いだろ。もし違ったら大変なことになる。」
「そう・・・」
加奈は残念そうだった。
「持って帰って調べてみよう。判らなかったら、与志さんに訊いてみるのも良いだろう。」
哲夫は、以前に与志さんからキノコをもらったことがあったのを思い出していた。
「そうね。」
加奈は嬉しそうに、クリタケらしきキノコを根っこから採り、持ってきていたビニール袋に丁寧に入れた。
「ここの森にはもっとたくさんのキノコがあるんでしょうね。」
そう言うと、朝日が差し込む森を眺めている。
「さあ、そろそろ戻ろうか。開店の準備をしなきゃ。」
哲夫は、切り出した倒木の小片をいくつか抱えた。
加奈も切り落とした枝を持てるだけ持って店に戻った。開店してもすぐには客は来ない。哲夫は、窯の横で持ち帰った倒木を割り、薪にした。一回で持ち帰った量は、ほぼ3日分使うほどだった。
加奈は、持ち帰ったキノコを袋から取り出してカウンターに置くと、パソコンで調べ始めた。
「ふうん、やっぱりクリタケみたいだけど・・。」
加奈は哲夫の言葉を今一つ信用していないところがあった。
「でも・・決め手がないわねえ。・・見た目は確かにクリタケみたいなんだけど・・クリタケなら、炊き込みごはんとかソテーとか、使い道もあるみたいね。パスタもいいかもね。」
パン焼き窯に火を入れて、哲夫が厨房に戻ってみると、加奈は、まだクリタケらしきキノコをじっと睨みつけるようにしていた。
「おい、おい、開店準備は?」
「ごめんなさい!」
加奈はそう言うと、表に出て行って営業中の看板を出した。

昼近くになって、10人ほどが来店し、サンドイッチとコーヒーの注文を受けた。
「へえ、面白い!メニューがサンドイッチだけなんだ。やっぱり本当なんだね。」
若いカップルの女性がメニューを見乍ら言った。
「な、そうだろ?・・でもさ、旨いらしいんだよ、これが。・・それと、マスターの気まぐれらしいんだが、運が良ければ、焼きたてのパンもあるってさ。」
「ふうん。」
若い女性は店内を見回して、焼き立てパンを探しているようだった。

どこでどんなふうに口コミが広がっているのか、こんなふうに呟くカップルが増えているのだった。

「あのお・・今日は、焼き立てパンはないんですか?」
東の窓際に座っていた、少し年配の女性客が加奈に尋ねた。
「すみません。主人の気まぐれなんですよ。今日は作ってるのかしら・・・ちょっと待ってください。訊いてみます。」
加奈は、いったん、厨房から裏口に出て、哲夫に小声で訊く。
「あと10分ほどでできるから・・今日は、ミカンパンだよ。」
哲夫の答えをもって加奈が先ほどの客のところへ戻って伝えた。
「じゃあ、待ちます。・・娘から聞いて、一度食べてみたいって思っていたんです。」
「娘さんが・・。」
「ええ、この近くの保育園の保母をしていますの。・・毎週、持ってきてくださっているってお聞きして、ぜひ、いただきたいと思ってきたんです。良かったわ。」
「ありがとうございます。保育園には私もお届けにいったんです。皆、喜んでくれて、笑顔と元気をもらっています。」
「そう・・。」

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