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9-1 つかの間の休息 [マニピュレーター(シンクロ:同調)]

レイとマリアは、太平洋を見下ろす高台に建つ家の前に居た。
富士の風穴で、女性観光客の二人組をマニピュレートして、三島駅まで出て、そこから、東海道本線に乗り、菊川駅に着いたところで、レイは、公衆電話からどこかに電話をしていた。
駅からはバスに乗った。1時間半ほど乗ったところでバスを降りる。
御前崎海洋センター前のバス停で、一人の老婦人が待っていた。
「レイさん、お久しぶり。」
「しばらくお世話になります。」
レイは深々と頭を下げる。老婦人はにこやかな笑顔で家まで案内してくれた。
「さあ、どうぞ。いつ来てくれるのかって首を長くして待っていたんですよ。」
その老婦人は、笑顔をほころばせて、レイとマリアをリビングに招き入れる。
「すみません、山下さん。突然お邪魔してしまって・・。」
「いえ、良いんですよ。どうせ、独り身ですし、特に用もなくのんびり暮らしているんですから。さあ、お座りになって・・。ええと、そちらは・・。」
「マリアさんです。ちょっと訳があって、一緒にいるんです。」
レイの口振りを察したのか、老婦人は、それ以上は訊かず、
「マリアさんていうの。可愛い名前ね。ゆっくりしてくださいね。自分の家だと思って。」
この老婦人は、山下玲子。
かつて、レイの病院に夫が入院していた。山下玲子の夫は、建設会社を経営する傍ら、生きづらさを抱える人達の居場所となるシェアハウス開設やフリースクールの運営、社会貢献活動に奮闘するNPOへの支援等の慈善活動に熱心だった。レイの病院再建の際にも協力してくれた人物であった。だが、検診でがんが見つかり、公立病院に入院したものの癌の進行を止める事ができず、末期の状態でレイの病院へ転院してきたのだった。
レイは、ターミナルケアに全力を注いだ。最後まで、本人の尊厳を守り、妻である玲子に寄り添った。夫が亡くなると、山下玲子は、資産を整理し、レイの病院に多額の寄付をしていた。
今は、御前崎の高台に小さな・・と言っても充分に立派な家を建て、単身で住んでいる。
「マリアちゃん、ここは私が大変お世話になった山下さんのお宅なの。しばらく、ここで過ごさせてもらいましょう。」
レイは、笑顔を見せてマリアに話す。マリアの表情は硬い。
大きなガラス窓越しに、海原が見える。マリアの視線が向いているのを見て、レイが言う。
「海へ行ってみる?」
マリアは小さく頷く。
「海岸に出るのなら、その先に道があるから・・ちょっと急だから気をつけてね。」
山下玲子は、明るい声で二人に言った。
二人は、玲子の教えてくれた道を下って、海岸に出た。
通称、御前崎サンロード。目の前には太平洋が広がっている。
比較的、風は穏やかだったが、太平洋からの波は高い。
「これが海?」
ようやくマリアが口を開いた。
マリアは、幼い時に両親と別れ、施設で過ごし、アメリカの収容所の様な所に隔離されていた。海を間近で見るのは初めてだった。
「ええ、太平洋よ。」
マリアの視線は、ずっと水平線に向いている。
「この海の遥か向こうに、アメリカ大陸があるわ。」
レイの言葉にマリアがピクッと反応する。
あの忌まわしい収容所のような場所が連想されたようだった。
まだ十歳の少女。記憶の大半は、マーキュリー学園の独房で過ごした時間だけ。何故、そこに入れられているか理解する前に、すでのあの場所に居た。外の世界の記憶は、富士FF学園の須藤夫妻とすごした僅かの時間しかない。
レイとマリアは、少し海岸を散歩することにした。
「あれは何?」とマリア。
視線の先には、灯台があった。岬の先に立つ御前崎灯台だった。
「灯台・・御前崎灯台ね。行ってみる?」
二人は一旦、山下邸まで戻ると、灯台を視界に入れながら、歩いていく。徐々に近づいていくと、遠目で見る以上の迫力を持つ、真っ白に塗られた灯台が現れた。
「大きい!」
マリアが思わず声を上げた。
灯台に入り、螺旋階段を登ると展望台があった。
そこから海を見下ろすと、水平線が少し丸く感じられた。
マリアは目を閉じる。
そして、波の音、風の音、鳥の声に耳を澄ます。どこまでも広い空間。この世にただひとり存在しているような感覚。何か、今まで心の中にあった大きな壁の様なものが壊れていくような感覚があった。なぜか涙が零れていた。
レイは、そっとマリアの肩を抱く。
「もう一人じゃないからね。」
レイが、耳元で囁く。
暫く、そこで過ごしたあと、一旦、山下家へ戻った。
「レイさん、街へ行ってみたい。」
マリアは灯台から戻ってから、表情が明るくなった。そして、自らの意思を示すようになっていた。
「じゃあ、港に行ってみる?」
レイは山下玲子から車を借りて、出かけることにした。
車でほんの数分、北へ走ったところに、マリンパークというモニュメントが建つ観光施設があった。隣接する市場に入る。平日の昼間のため、入場者はパラパラという感じだったが、それがかえって安心できた。
マリアは、そこにあるすべて、初めて見るものばかりだった。海産物や農産物、土産物、嬉々として見て回った。水産物のお店では、丸ごとの魚が並んでいて、マリアは驚き、目を輝かせた。
「そろそろ、お腹が空いたよね。」
レイがマリアに訊くと、強く頷いた。
食堂に入り、メニューを広げると、マリアは食い入るように見つめ、レイに訊いた。
「これ、さっきの魚?」
少女らしい言葉だった。
「ええ、そうよ。マグロっていう大きな魚。美味しいのよ。」
レイが言うと、マリアはそれを注文すると言った。すぐにマグロの丼が運ばれてきた。
マリアは、きょとんした顔を見せる。
マリアは、箸を使う事を知らなかった。レイが器用に箸を使って食べているのが不思議だったのだ。自分もマネするがうまくいかない。
「マリアちゃん、スプーンで良いわよ。」
そう言われても、何とか箸を使いたいと悪戦苦闘している。
レイはそっと手を添えて箸の使い方を教える。何とか、様になった頃には、丼は空になっていた。
「少し、お買い物をしましょう。」
レイはそう言って、少し車を走らせて、大型ショッピングモールに入った。
マリアは、様々な商品が並ぶショップを見て、目を輝かせる。
子供服のショップで、レイはマリアのためにいくつか洋服を見繕った。マリアは収容所のようなところで、いつも同じ白い服を着ていた。それが当たり前だと思っていた。だが、そこに並ぶ洋服はカラフルであり、様々なスタイルで、どれも個性を放っていて魅力的だった。試着するたびに、別の人間になれるように感じて、夢見心地になった。
今まで抑圧されていた感情が一気に爆発してしまいそうで、嬉しいのか楽しいのか判らず、気づかぬうちに涙が零れていた。
「大丈夫?」
レイがそっと声をかける。
マリアは満面の笑みを返した。

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