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7日目②意外な名所発見 [琵琶湖てくてく物語]

さらに前進すると、八幡堀に出た。
八幡堀巡りの船に、数年前に、家族で乗ったことを思い出した。
その日は、平日だったせいか、ほとんど待たずに乗れた。時代を間違えそうな風景の中、のんびり進む船の上で、船頭さんのガイドを聞きながら、ぼんやりの時間を過ごして思いのほか癒されたのを思い出す。
「何故だか、旅行に行くと、貴方と長女は何かと船とかロープウェイとか日常的ではない乗り物に乗りたがる」と、妻が言ったのも思い出した。
いやいや、旅行というのは非日常を味わうものだろうと反論するが、そんな言葉は聞いていない様子だった。
そんなことをぼんやり思い出しながら、橋を渡り、突き当りを左折し山際の道を進む。
歩道がなく、車両の通りも多いので、一列になって進む。
白壁の蔵が幾つか並んでいた。中心部からはかなり離れていると思うのだが、ここもまだ近江商人の町並のようだ。
直進道路はさらに道幅が狭くなってきて、歩道が無くなったので、山沿いの脇道へ入ることにした。道のうねり具合から、こちらは旧道だろう。小さな鳥居がある。地図で確認すると石段を上がった先に「綾神社」があるらしい。
そのまま道に沿って進む。開けたところから見ると、この辺りには大きな屋敷が点在している。中には、敷地に幾つも家屋が連なっているようなところもある。ここ、船木地区は、室町時代に船木城(船木氏館)が築かれたところのようで、以降も、材木運搬の要衝だったらしい。高島市安曇川町の船木地区も、材木運搬で栄えた場所で、「船木」という地名は、そういう材木運搬・船の運搬業で栄えた地名なのだと思う。
少し進むと、ちょっと変わった(?)お寺を見つけた。
屋根の一部が茅葺の寺。天台宗のお寺で、豊臣秀次が開基したと書かれている。
ざっと400年以上前。その前身のお寺は聖徳太子が八幡山に建てたと伝わっているとの事。船木地区のほぼ中央にあることは、この近江地域の集落の特徴だ。こういう伝承というのは、ほとんどの寺社仏閣に見る事ができる。それは、その寺社仏閣を守る人々の強い意志が脈々と語り継がれてきた証だ。寺はまだ、日本の歴史の中では文献などで証拠を見つけることは可能だが、神社は殆んど神話の世界だ。だからこそ面白い。どうしてそんな話が生まれたのかと思うようなことが山ほどある。きっとそこにはその神話に通じる何か事実が存在したはずだと思うとさらに興味がわく。
さらに進むと、津田という集落に入る。この集落でも、伝承を見つけた。
集落の東側、八幡山の麓に「津田城跡」があった。その脇に建つ顕彰之碑には、この地を治めていた「津田氏」は織田一族の始祖とあった。織田信長の先祖ということになるわけだが、14世とあるので、ざっと400年ほどの時間が経っていることになり、信長自身がどこまで知っていたかは判らないと思うのだが・・。
その集落を抜けると、整備された大きな農地が広がっていた。先回も書いたが、かつては、津田集落から長命寺町までの間には、琵琶湖が内陸まで入り込んでいた場所で、ここも干拓によってできた農地だ。農地の中に真っすぐに道路が伸びている。排水路を越えると、「津田内湖土地改良区」の事務所があった。ようやくこの場所の名前が判った。そこからさらに進むと、近江八幡運動公園を越えて、何とか、長命寺町の入り口に当たる「長命寺橋」に着いた。
さあ、ここが今日の出発地点になる。

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