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11日目⑥北小松集落 [琵琶湖てくてく物語]

湖岸を進んでいくと、ふいに気づいたことがあった。
湖岸に面した家にはどれも大きな石垣が組まれているのだ。ここまで歩いてきて、何度も見てきた光景。海津でも、和邇でも見かけた「湖の侵食・浸水」から家を守るための堰だ。かなりの古さを感じる場所もあった。琵琶湖東岸は、干拓等で近代的な護岸工事が進んでいて、こうした石垣を見ることはなかった。だが、琵琶湖西岸は、あちこちにこうした古い堰が残っていて、今も日常の暮らしを守っているのには驚いた。
しばらくすると、湖岸から離れて、家並みの中を歩くことになった。細いわき道があったので入ってみる。
それにしてもこの辺りには〇〇食品という看板が目に付く。
こんな場所で何を製造しているのか。答えは明瞭。この先に北小松漁港がある。鮎などの湖魚の佃煮を製造しているのだ。
古くからの町、少し調べてみると、琵琶湖の水運が盛んだった時代から、港として栄えていたらしい。ただ、そのころの港は湖底にあるそうだ。現在の北小松港は、昭和50年ごろに整備されたもので、それ以前は、小さな内湖を船溜まりにした小さな港だったそうだ。
その後、港が整備されると、船溜まりには、養殖池に代わり、現在は埋め立てられ姿を消してしまったらしい。
琵琶湖の水位に合わせ、姿を変えてきた北小松。おそらく、琵琶湖畔の古くからの集落や港はそういう歴史を持っているに違いない。別荘が立ち並んでいるのも、その歴史の1ページになるのだろうか。
北小松の集落を抜けると、国道161号線を歩くことになる。歩道は、左側にあり、湖岸からは少し離れる。ここから、高島までは、山が近く、平地が少ない地形になる。
崖下の「岩除地蔵尊」があった。
今から300年ほど前に建立されたようだが、もともと、この先に大きな岩壁(鎧岩)があり、落石が多く、安全祈願でお地蔵様が祀られたらしい。
この「鎧岩」は、明治20年ごろに開削され、現在は国道161号線が走っている。ただ、この先には、まだ落石の危険から、歩道は洞門になっている。
今、ちょうど、この「岩除地蔵尊」の上に、トンネルが作られている。161号線のバイパスである。かなり時間が掛かっていたところを見ると、おそらく、この地帯は破砕帯ではないかと考える。頑強な岩盤・岩壁であれば、落石も多くないはず。破砕帯であるからこそ、風雨によって浸食されやすくもろいのではないかと考える。
気になって、琵琶湖西岸断層の位置を調べてみた。
案の定、比良山系の麓にはいくつもの断層があり、北小松から白髭神社にかけては、断層が斜めに分断された状態で折り重なっていた。さらに、湖底にもいくつも断層があり、その距離と場所が重なっている。南東から北西に向かって、力が加わり、大地が盛り上がって、比良山系が構成されているようだ。
恐ろしいのは、その先の勝野断層がほぼ直角に走っていることだ。北東から南西にも力が加わっていて、それがぶつかる場所が、北小松から鵜川の辺りで、もっとも中心になるのが「岩除地蔵尊」が置かれている「鎧岩」がある場所になる。
ここらの地層はかなり複雑で、いくつもの破砕帯が存在しているに違いない。ちょっとしたことで、地崩れが起きてもおかしくないような場所だと思う。昔の人もそういう場所だと認識して、この「岩除け地蔵尊」を祀ったのだろう。

「岩除地蔵尊」にお参りして、ちょっと休憩。

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