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2-5-1:アキ [峠◇第2部]

和美が村田屋に来てから、1年になろうとしていた。
幸一は、伝い歩きをはじめ、最近では、ほとんどどこへでも歩いて行く様になった。
『じい』『ばあ』『ちゃん』『まあ』とか、言葉のような声を出すようにもなった。聞き様によっては、それぞれの呼び名を言っているようで、その声を聞くたびに、ご主人や奥さんや鉄三は一喜一憂する日々が続いていた。

そんなある日の昼過ぎのことだった。
店先に、派手な洋服を着てハイヒールを履き、大きなサングラスをかけた女性が立っていた。見た目は派手だが、年齢はもう40歳くらいだった。脇には、大きなボストンバッグが置かれていた。
その女性は、店の引き戸を無作法に開けると、いきなり、
「お姉ちゃん、いる?」
と家中に響き渡るような大きな声で呼んだ。
ちょうど、和美が食堂の箸入れを掃除していたところで、ちょっとびっくりして振り返った。
「あの、どちら様でしょうか?」
和美が尋ねると
「あんたこそ誰よ。ねえ、お姉ちゃんいないの?呼んできてよ!」
「あの、お姉さんって?」
「もう・・・ゆ・き・こさん。あたし、アキ。ねえ、いないの?」
そんなやり取りを聞きつけて、厨房から、鉄三が出てきた。
鉄三は一目見るなり、
「ひょっとして、アキさん?」と声を発した。
訝しげな目で鉄三をみたアキは、
「え?あんた、まさか、銀ちゃん?」
「いえ、弟の鉄三です。今、ここで働かせてもらってます。」
「へえー?まだ赤ちゃんだった鉄三がねえ?じゃあ、銀ちゃんは?」
「ああ、兄ちゃんなら、今、漁に出てると思います。」
「へえ、兄弟仲良く、この田舎に暮らしてるって訳?ふーん。」
このやり取りを見ていた和美がぽかんとした表情をしているのを鉄三が見つけて、
「ああ、和美ちゃん、ごめん。こちら、村田屋の奥さんの妹さん、アキさんていうんだ。確か、今、東京で・・」
と、言いかけたところで奥さんが母屋の方から出てきた。

「まあ、誰の声かと思って出てきたら、アキじゃない。なんなの?長い事音信不通になっていたのに。何の用なの?帰るなら、前もって連絡しなさい。びっくりするじゃない。」
「ごめんねえー。急に帰ることにしたからさ。ねえ、入っていいでしょ?」
「ああ、ここじゃ仕事の邪魔だし、奥に入りなさい。荷物は?」
「これ。ねえ、てっちゃん、これ、奥へ運んで。ね?」
そう言うと、ハイヒールを脱ぎ散らかして、とんとんと奥へ入っていった。
和美はちょっと呆気に取られていた。ため息をひとつついて、ハイヒールを並べなおした。
ふと、外を見ると、見たことのない男が電信柱の影から様子を伺っているのが見えた。和美が気づいて、店から出てくると男はすっと離れていった。

 母屋の居間に、アキと奥さんは座っていた。
「ねえ、おねえちゃん。私、帰ってきちゃダメ?」
「もう、帰ってきてるじゃない。」
「ううん、そうじゃなくて、ここで暮らしちゃダメかって言う事よ。」
「だって、あんた、東京でお店をやってるって聞いたけど、どうすんの?」
「ああ、店はとっくに辞めたわ。それに、東京に居たのは随分前。この間までは、広島にいたのよ。」
「広島で何してたの?」
「何って?・・所帯をもった・・の・・。」
「所帯を持ったって?じゃあ旦那さんは?」
「うん・・貴金属の販売をやってたんだけど、上手くいかなくてね。いっその事、ここに帰って家業を手伝おうかって話にね・・・」
「そんな、商売が上手くいかないからて逃げ帰ってくるなんて・・それに・・ここだってそんなに儲かってるわけじゃないしね。」
「そんな事いわずにさ。ね、客商売は慣れてるし、旦那だってきっと仕事はすぐに覚えるから、船だって覚える事もできれば、義兄さんも楽になるんじゃない?」
「何を、自分たちの都合のいいようにばっかり考えて・・呆れたわ。」
「いいじゃない。ね。そう言えば、ほら、姪っ子の・・裕子は?もう大人になったでしょう?」
「あの娘は・・・・去年、死んだわ。居所不明だったから連絡も出来なかったでしょ。」
「ええそうなの。ごめんね。病気だったの?」
「もう、何で今頃そんな事を説明しなきゃいけないの?あの子は、身篭ってね、医者が止めるのを聞かず、産んだのよ。でも体力が無くてね、そのまま。」
「じゃあ、赤ちゃんは?」
「もうじき、1歳になるわよ。そうそう、さっき店先で会った娘、和美って言うんだけど、ずっと世話をしてくれたんだよ。」
「へえ・・都合よく見つけたもんね。で、父親は?」
「もう・・・・父親は、鉄三よ。一昨年、夫婦になったのよ。」
「ふーん。じゃあ、この店は、鉄三が継ぐことになるの?」
「何言ってんのよ。まだ、あの若さなんだし、私たちだってこれからなのよ。誰が継ぐなんて、決めてなんか無いわよ。」
「ふーん。まあいいか。ね、私たち、ここに住んでも良いよね。2階空いてる?」
「今は、和美と幸一が使ってるからね。離れの部屋なら良いわよ。」
「えー?あそこ、日当たり悪いじゃん。昔からあそこは嫌いなのよね。陰気臭いから・・」
「じゃあ、別に家を借りる?」
「わかったわ。良いわよ。でもさ、使用人にそんないい部屋いらないじゃん。早めに取り替えてね。しばらくは我慢するわ。」
「なんて子なの・・」

そんな会話で、何となく、アキがこの村田屋に同居する事になった。

アキは、離れの部屋に荷物を置くと、またすぐに店先に出てきた。辺りを見回したと思うと、和美に向かって
「ねえ、そのへんにハンサムな男の人居なかった?」
と訊いた。
「さっき、そこの電信柱のあたりに知らない人は居ましたけど・・」
「何処行った?」
「さあ?声を掛けようとしたら、どこかに・・」
「ん・もう!ちゃんと見といてよ。」
そう言って、港の周りを探し始めた。

しばらくして、アキは、男と腕を組むように、半ば引っ張るようにして帰ってきた。その男は、明らかにアキより年下のようだった。黒いサテン地の大きな襟のシャツとてかてかに光るスラックスを履き、頭は短く刈られている。どう見ても,堅気の人間とは思えなかった。何か冗談でも言ったのか、アキは転びそうなくらい嬉しそうにしていた。
 店先にいた和美に目もくれず、挨拶もせず、二人で店に入っていった。

その夜、食堂でいつものように夕食を囲んだが、アキとその男が、鉄三と和美の席を陣取ったせいで、和美は幸一を抱いたまま、鉄三と一緒に、隅のほうに座った。
アキはその男を、ご主人と奥さんに紹介する。
「この人が亭主。名は光男。年は私より若いわ。ええっと・・」
すると、その男が、
「光男、言います。今年で30になりましたけえ。よろしゅうおねがいいします。」
少し変な言葉遣いだった。意識してか、妙に優しげな声をだした。
ご主人が、
「生まれはどこかね?」
と尋ねると、アキが、
「広島よね。まあ、いいじゃない。明日から、店の仕事手伝うからさ。それよりおなか空いたわ、食べましょう。」と言って食べ始めた。
いきなり、二人の予期せぬ客を向かえ、何を話して良いかわからず、皆、あまり話しもせず食べ終わり、それぞれ部屋に戻っていった。

和美と鉄三は、片付けをしていた。和美が鉄三に尋ねる。
「ねえ、鉄三さん。アキさんて、どんな人なの?」
「どうって言われても、18の時にここを出て行ったきりだからね。昔から、ちょっと変わってたという話は聞いたことはあるくらい。なんでも、先代のご主人と親子喧嘩して出て行ったきりだったらしいけどね。」
「何か目的があるんじゃないかしら。それにあの男の人、何だか怖いわ。」
「うん、堅気という感じじゃなかったね。」
二人は突然現れたアキと光男の存在が、これまでの平穏な日々を壊してしまうようで不安だった。

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