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1-21 身元 [スパイラル第1部記憶]

1-21 身元
朝、いつものように出勤すると、事務所に、古畑刑事の姿があった。ソファに座って神妙な顔をしている。社長はいつものように新聞を広げていた。
「おはようございます。」
古畑刑事は、二人の姿を見つけると立ち上がって、挨拶した。社長は様子に気付いて、新聞を持ったまま、事務机に移動し、それとなく様子を伺っている。
「何ですか?会社にまでやってきて。・・これから配送に行くんですが・・。」
純一は、歓迎しない相手という表情をあからさまに浮かべている。ミホの素性が分かったと言う知らせなら、余り歓迎できないという感情を隠しきれなかった。
「いや、申し訳ありません。あれから捜査を続けていまして・・少し確認させていただきたい事がありまして・・お手間は取らせません。社長には了解をいただいております。」
古畑刑事はそういうと二人をソファに座らせた。そして、脇にあった紙袋を取り出した。
「これ、お返しいたします。・・ミホ・・さんが着ていた水着とパーカーです。身元を調べるには遺留品・・いや・・所持品が必要でして、病院でお借りしたものです。」
純一はチラリと中身を確認すると、脇に置いた。ミホが、古畑刑事に訊いた。
「それで・・何か判ったんですか?」
古畑刑事はポケットから手帳を取り出して話を始めた。
「結論から言いますと、身元は判明していません。・・お預かりした水着とパーカーから捜査を始めたんですが・・・・通常、一般に販売されていれば流通ルートを調べて絞り込んで、ある程度特定できるものなのですが、それが、一般に販売されたものではなかったんです。」
「販売されたものじゃないって?」
純一が少し怪訝な顔をして尋ねた。
「ええ・・・タグが付いていないんで、水着メーカーに情報を送って調べたんですが・・どうも、オーダーメイドのようでして・・パーカーの方もそうです。」
「水着のオーダーメイド?」
「余り聞いたことはありませんよね。それと、水着やパーカーに使われている生地も、かなり高級なもののようでして、国内では扱いが無いそうなのです。」
「一体どういうことでしょう?」
ミホが訊いた。古畑刑事は手帳を今一度確認してから言った。
「まだ詳しいことは判明していないんですが・・・かなり高額な水着になるそうで・・・それを着けておられたわけですから・・・モデルとか・・高額所得の方とか・・庶民ではなさそうです。・・全国の所轄にも捜索願の照会を掛けていますが・・今のところ何も出ていません。」
古畑刑事の話を聞いて、ミホも純一も押し黙ってしまった。純一は、身元が判明しない事に少しほっとしていた。今しばらくはこのままの暮らしが続く事になる。ミホは、何かとんでもない身元に辿り着くのではないかという不安が湧き上がってきて、いっそ身元などわからないほうが良いと思っていた。
「何か思い出したことはありませんか?」
古畑刑事がミホに尋ねた。ミホは首を横に振った。
「そうですか・・もう少し、ヒントになる物があればと思って伺ったんですが・・もう少し時間を下さい。きっと、身元を突き止めますから。」
古畑刑事だけが、身元解明に熱心な感じとなっている。
「よろしくお願いします。」そう言って、古畑刑事を見送った。社長や奥さんも一通り話は聞いていたが、それは二人が望んでいる事ではないことを見抜いていた。
「まあ、いいじゃない。・・・ミホちゃんはミホちゃんだよね。さあ、仕事、仕事。」
奥さんが言うと、それぞれいつもどおりの仕事を始めた。

純一はいつもどおり配送の仕事に出た。
ハンドルを握りながら、古畑刑事の言葉を思い出していた。やはり、ミホは住む世界の違う人間に違いない。記憶を取り戻せば、やはり自分の前から姿を消してしまうに違いない。このまま身元が判らなければ良いと思いながらも、ミホの本当の姿を知りたくもあった。

ミホは、事務所の机で伝票の入力作業をしながら、時折、古畑刑事の言葉を思い出し、自分が失った過去が何か恐ろしいものなんじゃないかと考えていた。もう、過去を思い出したくない、このまま身元が判らなければ良いと願うようになっていた。

夕方、事務所に電話がかかってきた。奥さんが出て、何か一言二言話をして切った。
「ミホちゃん、純一さんが配送先のトラブルですぐには帰れないそうなの。かなり遅くなるらしいから、先に帰っていてくれって。・・・私ももう帰るから、送っていってあげるわ。」
ミホは、仕事を片付けて、奥さんの車でアパートに戻った。夕飯の支度をしようとしたが、足りない食材がある事に気付いて、近くのスーパーに買い物に行く事にした。もう、夕暮れになっている。ミホがアパートを出ると、アパートの前の道路に黒い大きな車が停まっていた。普段見慣れない車だった。
スーパーまで歩いていき、買い物を済ませて外に出ると、さっきの車が駐車場に停まっている。窓ガラスの中に人影らしきものはあるのだがはっきりとしない。何だか、不安な気持ちになって、ミホは小走りにアパートに戻った。
そっとカーテン越しに、外の様子を見ると、先ほどの黒い車がまたアパートの前に停まっている。やはり、自分を見張っているように思えた。
ミホはカーテンを閉め、不安を抱えながら、夕食を作った。

夜9時を回ってから、純一は戻ってきた。
「お帰りなさい。・・純一さん、外に変な車止まっていませんでした?」
「いや。気付かなかったな。・・・何かあったのか?」
「いえ・・帰ってきた時、アパートの前に、大きな黒い車が停まっていたんです。・ちょっと気になって・・・。」
「ふーん。・・何だろうな・・。」
その日は、遅い夕食になった。
二人は、朝の古畑刑事の話を敢えてしなかった。身元がわかることがどういうことか、お互いに判っていたからだった。
純一はさっさと食事と入浴を済ませて自分の部屋に入った。
翌日からはその黒い車は見かけなかった。平穏な日々が数日続いていた。

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