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1-22 八ヶ岳 [スパイラル第1部記憶]

1-22 八ヶ岳
夏も終わり、秋が訪れている。ミホが純一の許に来て、2ヵ月ほどが経った。
ミホはもうすっかり、鮫島運送の事務員となって、取引先との対応もばりばりこなせるようになっている。このごろは仕事も増え、休みは日曜くらいになっていた。社長も奥さんも、すっかり事務仕事をミホに任せ、しばしば配達に出るようにもなっていた。あれから、古畑刑事も訪れる事も無く、ミホの身元捜査は進展しないままだった。ミホも無理に記憶を取り戻そうとはせず、このまま、純一との暮らしが続く事を大事に思うようになっていた。周囲も、純一とミホとを温かく見守っているのだった。
「なあ、純一。一つ頼みがあるんだが・・・。」
夕方配達を終えて戻った純一に社長が切り出した。
「お前も知ってる、千賀水産の社長が、別荘の手入れをしてくれないかって言うんだ。」
配送票をミホに渡しながら、純一は怪訝な表情で社長の話を聞いた。
「ほら、あの社長、夏前に怪我をして動けなくなっただろ?毎年夏には、八ヶ岳にある別荘に行くらしいんだが、今年は行けなかった。別荘は、年一度は空気を入替えて、雪に備えて、屋根とか軒の傷みも修復しないといけないらしいんだが、年末に向けて忙しくてそれどころじゃない。そこで誰か言ってくれるものは無いかって訊かれたんだよ。」
社長の話の流れで、だいたいどういう頼みかは純一も理解した。
「器用なお前なら大丈夫じゃないかって・・・ちょっと口にしたら、是非にもっていうんだ。どうだ、行ってくれないか?」
「いや・・でも、今、仕事も多いですし・・そんな休んでいられる状態じゃ・・。」
「ああ・・それは大丈夫さ。・・来週から、一人、運転手を雇う事にしたんだ。仕事も増えたし、ちょうどいいじゃないかって・・・それに、このところ、まともに休みも無かっただろ。休暇がてら行ってくれないか?」
「まあ・・社長がおっしゃるなら行きますけど・・」
純一はそう言ってちらっとミホを見た。ミホも、純一の視線を感じて、どうしたものかという表情を浮かべた。
「ああ・・ミホちゃんも一緒に行ってくりゃいい。・・・ここへ来てから、アパートとこことの往復で、ほとんど外へ行ってないだろ?・・休暇旅行と思って、純一と一緒に行ってくればいいさ。なあ?」
その言葉は、奥の部屋にいた奥さんに向けてのようだった。奥から、すぐに奥さんが出てきて、にっこりと笑っていった。
「ええ・・そうしなさい。このところ、事務仕事をミホちゃんがやってくれるようになって、楽になったし、溜まってる仕事もないし・・・休暇を取ってちょうだい。」
二人は、社長夫婦に勧められるまま、八ヶ岳の麓にある千賀社長の別荘に行く事になった。千賀社長のところに挨拶に行くと、お礼にと、千賀社長の高級自家用車を貸してやるからと楽しんで来いと言われた。

二人は、東名高速から中央自動車道を使って、八ヶ岳の麓に向かった。
旅行するなんて何年ぶりだろうと純一は考えながらハンドルを握っていた。千賀社長の高級車の中は静かで滑るように高速道路を走っていく。
ミホは流れる風景を楽しんでいる様子だった。
途中、駒ヶ根サービスエリアに停まると、中央アルプスの白い山並をバックに記念写真を撮った。伊奈名物のソースカツ丼も食べた。まるで、恋人同士の旅行だった。

小淵沢インターには午後2時ごろ到着し、すぐに千賀社長の別荘へ向かった。
八ヶ岳山麓に広がる松林の中を、くねくねと伸びる林道に沿って進むと、目指す別荘地があった。千賀社長の別荘は、一際大きな造りのログハウスだった。すでに連絡がされていて、別荘地全体の管理人が待っていた。
鍵を受け取ると、二人は別荘の玄関を開けて中に入った。
「窓を開けよう。」
一階の窓を全て開け放すと、高原のひんやりした風が別荘の中を吹きぬけていく。一年以上使っていなかった割には綺麗だった。それでもところどころに埃も積もっていて、ミホはすぐに掃除に取り掛かった。純一は別荘の周囲や屋根の具合を見て、修理が必要なところを点検して回った。1時間ほどで、どうにか気持ちよく過ごせるようになった。
「買出しに行きましょう。・・食材を買わなくちゃいけないでしょ?」
「一休みしてからじゃだめかい?」
「ほら、もう陽が傾き始めてるわ。・・・買い物から戻って、ゆっくりしましょうよ。」
ミホはとても精力的だった。
休むまもなく、二人は車で買出しに出かけた。
周辺には大型のスーパーも無いため、結局、インター辺りまで戻ることになった。インター傍のスーパーマーケットで食材を購入してもどった。
夕焼けが広がり、紅葉を始めた木々が一層真っ赤に燃えているように見えた。
夕食は、野菜いっぱいのシチューにフランスパン、そして、ワインが並んだ。
「さあ、どうぞ。召し上がれ!」
日常も、ミホが食事を作っているのだが、今日はまた格別に嬉しかった。いそいそとテーブルに着き、ワインで乾杯した。秋とはいえ、夜はもうめっきり冷え込んでいて、薪ストーブに火を入れている。温かな部屋の中、至福の時間が流れている。

「わあ・・綺麗・・なんて星空!」
そう言って、立ち上がると、ミホがログハウスのドアを開けて、外へ出る。ひんやりとした空気、風もない。見上げると、無数の星の煌きが広がっていた。
純一は、厚手のショールを持って、ミホの後を追って外に出る。
「冷えるよ。」
純一がそう言って、そっとミホの方にショールを掛ける。
「あ!流れ星!」
そう言って、ミホが指さす。
「願い事をしなくちゃ。・・・」
ミホはそう言うと、じっと天空を見つめる。
どんな願い事をするのだろう。記憶が戻ること、それとも・・・。
純一は訊けなかった。そして純一も、ミホと同様に流れ星を探した。
静かに夜は更けていく。

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