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命の樹(序) [命の樹]

「それなら、あそこに行くと良いだろう。」
分解したエンジンを前に、油に塗れた笑顔で呟くように言った。視線は、今、取り外したばかりのクランクに注がれたままだった。
脇には、歪んだ丸椅子に居場所がなさそうな格好で座った、10代の青年が居る。
表情な硬く、何か思い詰めているような、でも、何かを求めているようでもなく、おそらく、自分の若さをどこに向けていいのかわからない、そんな表情だった。
口を開いたのは、20代後半の男であった。
「俺もさ・・・今のお前みたいだったと思うよ。」
10代の青年は、無表情のまま聞いているのか、聞いていないのか微動だにしない。
「何とか、会社に入ったのは良いが、途轍もなく、場違いなところに居るみたいでさ。満足な仕事なんかできないくせに、どこか認めてもらいたくて・・・何かが違う、何かが違うって・・いつも心の中で叫んでいたような気がするよ。」
一区切り、言葉をつづけると、再び、エンジンの方へ向き直り、先ほどの部品と見比べている。男の言葉に、青年は表情も変えず、硬くなったままだった。
「その店は、浜名湖の周遊道路を西へ走ると見えるよ。」
少し手を止めて、視線を天井に送り、何かきちんと思い出そうとしているようだった。
「小さく突き出した岬の上に建ってる、赤い屋根が目印になるんだ。でも、近づくと、ふいに視界から消える。まあ・・山影で見えなくなるだけなんだが・・・。」
男は少し笑みを浮かべている。きっと、そこへ行った時のことを思い出したのだろう。
男の言葉に、青年は少し遠くを見るように顔を上げた。
「きっとここらにあるだろうって見当をつけて・・進んでいくと、小さな自転車屋がある。・・・これを見落としちゃいけないぞ。そこに小さな焼き板が掛かってる。・・・喫茶【命の樹】はこの先ですって・・すごく遠慮がちに書いてあるんだ。」
そう言いながら、男は青年を見て、親指と人差し指で四角い形を作って見せた。それは、案内板と呼ぶにはあまりにも小さいサイズだった。
青年は少し表情が変わった。
四角く形作った指が真っ黒に汚れていたのと、おそらく、その指で鼻先でも触れたのだろう。男の鼻は真っ黒に汚れていて滑稽な表情をしていたのだった。それでも、【命の樹】の事を熱心に語ろうとするのとあまりにもアンバランスで、可笑しくなってしまっていた。
そんな青年の変化などお構いなしに、男は話を続ける。
「角を曲がると、両脇に古い民家が立ち並んだ通りがある。そうだな・・・300m位の通りだ。よおく見ると、その突き当りには、鳥居が建ってる。門前の町ってとこかな?一本道だから、もう迷うことはないだろうと、安易に入り込むととんでもないことになる。・・・まあ、これ以上説明するとつまらなくなるから・・そこから先はお前が確かめてみろ。・・・とにかく、そこから【命の樹】っていう店まではすぐだから。」
ようやく青年は、男の話の興味を持ったようで、一言聞いた。
「その店って何か旨い料理でも食わしてくれるんですか?」
その問いに、少し考えてから男は答えた。
「いや。たぶん、ない。」
男の答えは妙に中途半端だ。店を勧める以上、料理を勧めるべきなのだが・・・。
「その店は、サンドイッチしかメニューにはないんだ。ああ・・それと、コーヒーくらいかな。マスターなコーヒーにはこだわりを持っていたけど・・さほどおいしいとは思わなかったな。だいたい、メニューがひとつっきりってのは、客をバカにしてる!」
男の言葉は変だった。良い店だから進めるのが普通だが、半ばけなしている。
「じゃあ・・・景色がいいんですか?・・そうだ・・・奥さん?ママ?がきれいだとか?」
青年の問いに再び男は頭をひねった。
「景色はまあ、そこそこかな。なにせ、浜名湖を見下ろせる高台にあるからな。ママは・・まあ、あの年にしては綺麗なほうかもしれないが・・店にはほとんどいないし・・。機嫌がいい時は、絶品のパスタを作ってくれるんだが・・店の料理にはしていないみたいだからな。」
男との話はなんだかつじつまが合わなくなってきている。
青年もようやく興味を持ってきたのだが、いきなり、話が見えなくなってしまった。
「じゃあ・・・健さん、どうしてその店に行ってみろっていうんですか?」
男の名は健さんというらしい。
「いや。店の料理とかじゃなくて、あそこに行くことが大事なんだ。行けばきっと何か自分の中になかったものが手に入る。そんな場所なんだよ。」
健さんはそこまで言うと、再びバイクの方に向いて、修理を始めた。
その間、青年の頭の中には、浜名湖のほとりに建つ、赤い屋根の小さな喫茶店のイメージが広がっていた。ひげを蓄えた白髪交じりのマスター、その眼はすべてのものを見通すような深い色をしていて、寡黙だけど、大事なことをしっかりを教えてくれる。柔らかい風がそっと吹き抜けていく空間。・・・
「ああ、そうだ。もう一つ伝えておきたいことがある。マスターは、大した人物じゃないぞ。物知りみたいだけど、中途半端なんだな。大事な事はすぐに忘れてしまうし、どこかぼんやりしていて、奥さんには頭が上がらないし・・・。」
「何だか、健さんみたいですね。」
「バカ言うな、俺はあの人みたいにはなれない。・・とにかく、良い人なんだ。近くにいると、ほっとするっていうか、安心するんだ。逢ってみる価値はある。でも、何かを教わろうなんて無理だからな。そこは期待しない方がいい。」
「じゃあ、いったい、何が良くて、そこに行けっていうんです。」
「さあ・・言葉じゃうまく言えないけど・・・今、お前がどん詰まりの中にいるようだったから、そこへ行くと良い。俺もそうだったから。さあ、修理できたぞ。大事にしろよ。」
そう言って、目の前のバイクのシートを丁寧に拭いて、青年に見せた。
「もし、あの店に行くようだったら、ドーナッツを買って、手土産にもっていくと良い。俺から聞いたって言って、それを差し出せ。きっと奥さんは喜んで迎えてくれる。奥さんの好物なんだ。あそこで奥さんに気に入って貰えれば、しばらく、世話になれる。」


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シラネアオイ

今晩は!
いよいよ始まりましたね!
楽しませていただきます!!
by シラネアオイ (2014-03-03 23:38) 

苦楽賢人

シラネアオイ様、ご無沙汰しています。
ご期待に沿えるものが書けるよう頑張ります。
by 苦楽賢人 (2014-03-04 22:02) 

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