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10 水上 結 [命の樹]


しばらくの時間、美里や千波からここ数日の様子を聞いて楽しく過ごした。
夕方近くになったころ、病室のドアがノックされた。
「どうぞ・・。」
哲夫が返事をすると、初めて見る、40代くらいで小柄な看護師が入ってきた。
「検温ですか?」
その看護師は、「いえ」と返事をして、「さあ、入りなさい」と誰かに声を掛けた。
女の子が一人、看護師の後ろをついて病室に入ってきた。
ベッドの脇まで来ると、看護師が深々と頭を下げながら言った。
「このたびは、娘を助けてくださって・・本当にありがとうございました。」
隣にいた女の子も頭を下げた。
看護師の言葉で、哲夫は、この女の子があの時の女子高生だった事を理解した。
「無事で良かった。」
哲夫が言うと、女の子は、緊張した表情で、再び頭を下げた。
「水上・結です。・・本当にありがとうございました。」
母である看護師は、哲夫が救急搬送された時、偶然にもこの病院の当直で、事件の様子も、哲夫の怪我の具合も、一時は命の危険があった事も全て知っていて、暴漢から娘を守って貰った事に深く感謝し、何度も何度も頭を下げた。
「もう・・良いですから・・・偶然、通りかかっただけだし・・それに、・ああ・そう、警察にも注意されたんですが・・刃物を持っている相手に素手で向うなんて絶対やめなさいとね・・。ゆい・・ちゃんだったか・・君がすぐに逃げて人を呼んでくれたお陰で、僕も死なずに済んだんだから・・礼を言うのは僕の方だよ。」
哲夫の言葉に、水上結は緊張が解けたのかぽろぽろと涙を零した。
結の母親は帰り際に、お礼にと、紙袋を差し出した。加奈は「お礼なんて要りませんよ。」と言った。
「なあに?」
下の娘の千波が、不躾に袋の中を覗きこんだ。
「わあ・・みかんだ!」
「ええ・・私の実家で作ったみかんなんです。父がたくさん送ってきてくれたんです。こんなもので済みませんが・・どうぞ、受け取ってください。」
そう言って、結の母が差し出すと、千波がパッと受け取ってしまった。
「ありがとうございます。この子たち、みかんが大好きなんですよ。」
哲夫は、二ヶ月ほど入院治療が必要で、その後もリハビリが必要だった。
会社では、開発部の課長として幾つかのプロジェクトを仕切っていた。長期入院とわかって、翌日には部下たちが病院へ押しかけてきて、たくさんの書類をベッドの周りに広げた。その様子に看護師は厳しく注意した。しかし、哲夫は、仕事の状態を考えると部下たちには注意もできず、入れ替わりでそっと来るように言うしかなかった。哲夫はベッドから動けない状態であり、隠れてしまうわけにもいかず、会社に行くよりも仕事をしたような気がしていた。
そんなある日、水上結が一人で尋ねてきた。
「おや・・どうしたの?一人で?」
「はい。お見舞いに来ました。先日はまだ事件の事で動揺していて、きちんとお礼がいえませんでしたから・・。本当にありがとうございました。」
今日は、制服姿のためか、礼を言いに来た時と、少し印象が違っていた。
「学校の帰りかい?」
「はい・・このあと、塾に行くんです。あの日は塾の帰りでした。」
結は、地元でも有名な進学校のものだった。
「そうか・・受験する大学はもう決まってるの?」
「はい。浜松の大学です。自宅からも通えますから・・・。」
「そうか、受かるといいね。それで将来は?」
「医者になりたいんです。」
結はきっぱりと答えた。
「そうか・・医者か。すごいな。・・・じゃあ、勉強、がんばんなくちゃね。」
「はい。」
「どうなんだい?受かるのかな。」
哲夫は質問してからしまったと感じた。誰もが不安になる時期だった。
「はい。きっと大丈夫です。」
結の返事は、先ほどにもましてはっきりと自信をもって答えた。

結は、その後も何度か見舞いにやって来た。
結は、幼い頃、父を病気で亡くしていて、母子二人暮らしだった。医者になろうと決めたのも、父の事がきっかけになっていたし、看護師である母の影響も大きかった。
結は病室を訪れるたびに、学校の事、友達の事、受験の事、等いろんな事を遠慮無しに哲夫と話せるようになっていた。哲夫は、次第に、結が自分の中に父親を感じているのではないかと思うようになり、そういうふうに接するようになっていた。
結は、哲夫が自宅療養になると、自宅にもやってきて、娘たちとも仲良くなった。結の母は当直などで不在になる事も多く、そんな日は、哲夫の家に泊まるようにもなっていた。
一番喜んでいたのは、上の娘の美里だった。突然、素敵な姉ができたようで、何でも相談した。結も一人っ子だったから、可愛い妹が二人でき、勉強を教えたり、一緒に遊んだりするのが楽しみにもなっていた。
結は、哲夫の事を自然に「おじさん」と呼ぶようになっていった。だが、加奈の事は、「叔母さん」ではなく、何故か「加奈さん」と呼んでいた。
結の受験が近づくと勉強が大変になったようで、次第に疎遠となっていったが、時折、息抜きのつもりなのか、やってきて楽しい時間を過ごしていた。
年が明け、「念願の医大に合格した」と結が報告に来た時、盛大にお祝いをした。
哲夫も加奈もわが事のように喜んだ。
大学に進んでからも毎月のようにやってきていたが、医師として病院勤務になってからは、仕事が大変な様子らしく、少し疎遠となっていた。

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