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9日目②瀬田川から琵琶湖へ [琵琶湖てくてく物語]

瀬田川共同橋を通り過ぎ、暫くすると公園が終わり、再び本通りへでた。
小さな橋を越えたところに再び公園がある。どうやら、石山のなぎさ公園のようだ。再び、公園に入って進む。ここら辺りが、瀬田川と琵琶湖の境界線になる。公園の中に石碑があった。「粟津の晴嵐」と書かれていた。近江八景の一つ。松並木と琵琶湖の青、その先に見える比叡山や比良山の景観が素晴らしいところらしい。ここからは、なぎさ公園の中を歩くことにした。綺麗に整備されていて、安心して歩く事ができる。対岸が徐々に遠く見えるようになり、琵琶湖が徐々に広がっているのを実感する。
「前回は、あっち側だったのよね。」
妻がのんびりとした口調で判り切ったことを訊いた。そう言われて、対岸を見る。確かに歩いたのだが、こうやって見ると随分長い道のりを歩いたように見える。
歩くというのは今更ながらに凄い事だと感じた。一歩一歩はわずか60㎝程度なのだが、その一歩一歩を積み上げることで長い道のりになる。当たり前のことなのだが・・。
生きているとそんな当たり前のことを忘れてしまう。一足飛びにゴールへ到達したいと焦り、ジタバタし、結局、着実に取り組むことだと気付く。そういう慎ましい生き方が、今は少し軽んじられているのではないか。判らないことはすぐにWik・・で調べればわかるとか、Googleが教えてくれたとか、最近ではチャットGPTなるものまで生まれ、人よりも優れた文章やフェイク画像とか・・そのうち、アカデミー賞をAIが受賞することも遠くはなさそうな勢いだ。そういうものに頼って如何に合理的にスピーディにゴールへ辿り着くものが勝者とされる時代を哀しく思う。やはり、年老いたのか。
歩くというのはやはり人生を考える時間を持つには素晴らしい行為だと再確認した。
この「琵琶湖てくてく」も既に残り少なくなっている。一周する間に、少しは成長するのだろうか。
さて、道のりは依然として湖岸の「なぎさ公園」にある。快適に歩いていくのだが、少々、北西風が強くなってきた。ちょうど向かい風になるので、寒さが堪える。
公園はゆっくりと左カーブを描いていく。前方に、木立が見えてきた。
一旦、本道に戻って進むと、歩道から、なにやら大門が見えた。門だけで、それに続く塀もない。ちょっと寄り道して入ってみる。「膳所城跡」と分かった。門は、模造されたもので、ここに城があったことを示すために作られたようだ。
「膳所城」は、徳川家康が藤堂高虎に命じて造らせたもので、関ヶ原の戦のあと、すぐに取り掛かったそうだ。この地は、飛鳥時代から様々な戦いが繰り広げられ、この地を制する者は天下を制するとまで思われていたということだ。琵琶湖の浮き城の一つだったが、度重なる水害・浸食のため建て替えを余儀なくされた、ともあった。明治の廃城令により姿を消したのだが、それはやはりこの地が政治上重要だったことを物語っていると言えるだろう。
今ではそれほど重要視されていない様に思うが、当時とは、経済や交通・輸送等が大きく変わったためだろう。
それよりも「膳所」という地名の方が興味深い。
膳を整える場所と考えるのが筋だが、どうも、飛鳥大津京の時代に、朝廷の御厨(厨房)が置かれていたため、この辺りを「陪膳浜(おもののはま)」と呼んだことに由来するらしい。ざっと1300年、引き継がれてきた事を示す言葉だ。北陸や東海の産物を琵琶湖の水運で朝廷へ運ぶための重要な地だったに違いない。その頃の姿を見てみたいものだ。
「膳所城址」で少し休み、ふたたび歩き始める。まだ3kmほどしか歩いていない。
東岸を歩いていた頃は、足取りも早く、目的地に真っすぐ向かっていたように思うが、西岸は街中を歩くせいか、いろんなものに興味が湧いてしまって、なかなか進めない。
先を急がなければ・・この先、まだまだ、興味深いものが待っている。

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