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9日目⑥日吉大社 [琵琶湖てくてく物語]

そこから少し行くと、縞々模様のちょっと変わった建物が見えた。
「ねえ、KKRって何?」
いつものように、妻が気になったことを不躾に訊く。
ローマ字3つというと、daigoを思い出すが、「はて、何だったか?」とすぐに答えが出て来ない。いろんなところで、KKRの文字は目にしていたはずなのだが・・。
「確か・・公務員と関係があったような・・。」
「公務員って英語でなんて言うんだっけ?」と妻。
「英語で公務員?・・何か、あまり感心しない単語だったような・・」
「感心しないって、どういうこと?悪い意味ってこと?」と妻。
初めの質問からどんどん変わっていく。これはいつもの事。そういう会話をもう40年以上繰り返してきた。そういう会話をしながら、初めの質問を考えている。
「KKは・・確か、国家公務員のKだね。つぎのKは・・共済かな?Rは・・・」
そう答えているうちに、妻はスマホでちゃっちゃと調べて、
「国家公務員共済連合会。国家公務員って、霞が関にいる人達が使う施設ってこと?」
いや、霞が関だけが国家公務員ではないが、まあ、そういう人達も使うだろうなと思いつつ、「そうかもね」とあいまいに答えてこの話を終えた。
その先で歩道が無くなり、公園の中に入る。
しばらく行くと、湖に突き出すように赤い鳥居が見えた。
日吉大社の「七本柳鳥居」だった。日吉大社の山王祭で、神輿を船に乗せる船渡御(ふなとぎょ)が行われると看板に書かれていた。ここを出た船は、唐崎神社の沖で、膳所・粟津浜から運ばれた供え物を受け取る「粟津の御供」が営まれるとあった。いずれも故事に則って営まれているとあった。
各地に残る「祭り」の多くは、古事を起源としていることが多い。もともと日本には八百万の神(あらゆるものに神が宿る)という考え方があり、それを敬うことで健康や安全・五穀豊穣を祈る文化が醸成されてきた。それが、神事や祭事となり受け継がれているのだ。神道や仏教などの宗教と結びつく以前から、存在しているのだが、時代においてそれが為政者によって歪められることもある。日本神話を拠り所とするものは、ある意味、飛鳥・大和・平城・平安の長き間、天皇が日本を治める存在とされた時、神として崇められ、神事や祭事に影響する。室町以降、武家が治める時代には、為政者自ら神となろうとしてきた。信長しかり、家康然り。現在、そうした時代背景や儀式の意味を正しく理解せず、ただ、伝承しようとしている向きも感じる。新興宗教の危うさとはまた違った危うさを持っているように思う。などと、不毛な考えはせず、ただ、大衆の一人として祭りを楽しめればいいのだが。
話は逸れるが、私の住む地域でも祭りがある。
日吉神社の祭りで、湖西地方随一の曳山祭だ。町内には5基の曳山があり、町を練り歩き、神社前に集合する姿は圧巻である。日吉神社は、嘉祥2年(1107年)創建の長宝寺の鎮守社として山王権現を祀ったことに始まる。後に長宝寺は廃絶、当神社は土豪高島氏の崇敬を受けて存続したが、高島氏が明智光秀らの軍により滅ぼされると荒廃した。江戸時代に入り、大溝藩主分部氏の保護を受け、社頭が整備された。(wikipediaから引用)神仏習合により生まれた神社であり、この地に住む神(地主神)を抑え込み服従させるのが目的なのだ。そして、それは、時の為政者によって作られた。曳山も、大溝藩主分部氏が伊勢から入封した際に持ち込まれたとも書かれていた。
私が納得いかないのは、この祭りを支えるため、地域の住民自治会と表裏一体で運営され、財政面でもかなり深く入り込んでいることだ。地域を治めるために祭りが使われるという構図は、江戸時代から連綿と続いてきたというわけだ。移住してすぐに、「祭りと自治会とは切り分けるべきでは?」と口にすると、多大なバッシングにあった。

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