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2-1-1.玉浦沖 [峠◇第2部]

「おい!これから行くのか?どっちだい?」
向島の漁師たちが、銀二に声をかけた。
「ああ、今は値が付くからな。大久保の沖あたりに行ってみるさ。玉浦に揚げると良い金になる。ここで、一儲けしないとな。」
銀時は、軽く答える。
銀二は、向島の漁師、年は30歳。3人兄弟の真ん中。
漁師だった父から仕事を教わった。その父は、酒好きが災いして、肝臓を患って10年ほど前に亡くなった。しばらくは母と住んでいたが、1年ほど前に亡くし、兄弟で生きてきた。
兄の金一は会社員になり、転勤ばかりの日々、ほとんど顔を会わしていなかったが、母を亡くした年に追う様に他界してしまった。
末っ子の鉄三は、銀二とは少し年が離れており、ようやく二十歳になったところだった。今は、近くの釣り船屋で板前の修業をしている。
 
銀二は、いつものように、夜の太刀魚漁に出かけた。この時期は、大久保海岸の沖が絶好の漁場だった。
港を出て30分ほどで、漁場についた。すぐに、仕掛けを投入したが、一向に反応はなかった。潮の流れが今日に限って緩かった。
「おかしいなあ。今日は全然だめだなあ。」
と一人つぶやきながら、船を、玉付崎の沖のほうへ向け、ゆっくりと船を進めた。
移動しても、なかなか反応がないので、しばらくどうしたものかと海面を見ていた。

しばらくすると、集魚灯に照らされた海面の少し向こうに、白いものがゆらゆらと浮かんでいるのが見えた。
最初は、ビニールか何かの漂流物かと思ったが、近づくにつれ、それが人だと判って、慌てた。
船を近づけて見ると、白いワンピースのような服に長い髪、どうやら身投げした女性だと思った。
漁に出て、死体を引き上げるのは気持ちが滅入る。嫌々ながら、船を横付けして引っ張り上げた。

「おい!生きてるか!」
体をゆすってみたが反応はない。
やっぱり、だめかと思いつつ、胸に耳をつけると、弱いながらも、心臓の鼓動は聞こえている。
これはいかんと慌てて、背中を叩く、そして、呼吸をさせるために胸を押す、銀二は救命処置の仕方を習ったことはなかったが、とにかく、呼吸をさせて水を吐き出させないといけないと直感でわかっていた。何度か続けているうちに、急に、海水を吐き出し、呼吸を始めた。
銀二はやれやれと思って、座り込んだ。

「ここで浮いていたんだから、きっと、あの岬から身を投げたんだな。」とつぶやいた。
そして、船の灯りで照らされた娘の顔をよく見てみた。
色白でやわらかい顔立ち、長い髪、年の頃は二十歳ぐらい。
「おいおい、この娘、見たことあるぞ。ええっと・・・誰だっけな?」
銀二は、向島の漁師だが、母の実家が玉浦だったので、行き来するのが日常だった。玉浦の漁師も知り合いは多い。
「そうだそうだ。玉谷の娘だ。名前は・・・そうそう、和美とか言ってたな。」
少し前、玉浦の港で見かけたことがあった。波止場に一人座っていて、近くにいた漁師から名を聞いたのだった。そして、和美が無理な縁談を勧められているということもその時に聞いていたのだった。
「縁談が嫌で身投げか?そんなに嫌な奴なのかい?」と呟いた。
中途半端な噂話しか知らない銀二では、そう考えてもおかしくなかった。
和美の身の上に起こった全ての事を知っていれば、身投げするほどの絶望を理解できたかもしれない。
「さてどうしたものか」
放っておくわけにもいかないし、玉浦に連れて行っても病院があるわけもでもないし、嫌な奴の居るところに帰るのはやはりなあと思いながら、結局、向島につれて帰ることにした。

港には誰もいなかった。
病院に連れて行くにしてもこの夜中だ、一旦、自分の家に連れて行き休ませておこうと考えた。
銀二の家は、浜にある漁師小屋だった。家族で住んでいた家は父と母が亡くなり、兄が出て行き、弟も住み込みで働く事になったので、借家だった事もあり、この漁師小屋で充分だと住み着いたのだった。

銀二は、夜の港から、娘を背負って帰った。
とりあえず、3畳ほどの座敷に横にした。まだ、娘は目を覚まさない。
夏とはいえ、濡れたままでは体が冷えてしまって良くないだろうと考え、土間にある囲炉裏に火を起こした。
娘を見ると、体が冷えてしまったためか、震えているようだった。

銀二は、仕方なく、着替えさせることにした。
「変な事をするわけじゃないぞ。お前さんを心配しての事だ。許せよ。」
と独り言を言いながら、娘の洋服を脱がし始めた。すると、右肩から腕に掛けて白い包帯が巻かれていた。少しめくって見ると、火傷の跡のようだった。それほど古くない。ひょっとしたら身投げする直前なのかもしれなかった。よほど深刻な事態が娘の身に迫っていたのだと直感した。

揺れる囲炉裏の火に照らされた娘の裸体は、息を呑むほどに美しかった。銀二にとっては、その美しさはまるで天女のごとく高貴なものに感じられ,不埒な気持ちなど萎えてしまっていた。美しい体に火傷のキズ。悲しい境遇を語るには十分だった。

銀二はつま先から頭の先まで、丁寧に心を込めて拭いた。まるで、娘に取り付いた悲しい悪魔を払いを落とすように何度も何度も丁寧に拭いてやった。そして、自分が持っている衣服の中でも最も清潔だと思うものを着せてやった。そして、布団を敷き、そっと、寝かしつけてやった。

銀二は、ひととおり終えるまで、神仏の儀式を行うような気持ちだった。今までに味わった事のないような、清清しい気持ちになれた。そして、囲炉裏端にござを敷いて、眠りについた。
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