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2-1-3.小料理屋 [峠◇第2部]


玉の関は、昔は塩田が広がっていて、その積出港として栄えていた。問屋とか両替とか、狭い港町にひしめくように家屋が建っていた。塩田の労働者が多い町で、一角には遊郭もあった。戦後になってからは、塩作りは下火になり、次第に衰退していったが、塩田跡を使って、自衛隊基地ができた事で、また昔の賑わいを取り戻していた。

港に船をつけて、銀二は、表通りから路地を少し入ったところを目指していた。
そこには、以前から親しくしている『紫(むらさき)』という小料理屋兼食堂があって、困ったらいつでもおいでという、女将さんが居たのだった。

「こんちは!銀二です。女将さん、いる?」
と玄関を叩いた。まだ、暖簾が出ていない。中から、女将さんが
「何なの?・・銀ちゃん?まだ店始まってないんだけど。」
と言いながら、引き戸を開けて顔を出した。
銀二より10歳くらい上だろうか、色白で上品な顔立ち、少し中年太りの域に入っているが、若い頃には随分美人だったと思われる。大きな瞳の左下に小さな泣きボクロがあるのが印象的だった。

「女将さん、何も訊かず、俺の頼みを訊いてくれ!頼む!」
銀二は、女将さんの前で手を合わせた。
「なんなの?!藪から棒に!いっつも、銀ちゃんはそうなんだから。まあいいわよ。で、なんなの?頼み事ってのは?」と女将。
「女物の洋服を分けてくれないか?」と銀二は恥ずかしそうに頼んだ。
「え?なんですって?あはは、は、は・・」と女将は声を出して笑った。
「どうするつもりなの?まさか、銀ちゃんが着るの?」と茶化すように続けた。
「訳は訊かないって約束じゃないか!」
「まあいいわよ。で、どんな人に着せるのよ?年配の人?それとも、若い娘さん?背丈は?」
「いや、それが・・・なんでも良いんだよ。女将さんがいらなくなった服でいいんだよ。」
「そういったってね。あたしはほら、この通りの体格だからさ、もし、細くて若い娘さんなら着れないんじゃないの。それくらいは教えてよ。」と女将が訊いた。
「わかったよ。若い娘だ。背丈は女将さんぐらいだが、体格は・・半分くらいかな?」
「半分?・・失礼しちゃうわ、半分なんて。少し細いくらいって言えないの?」と言いながら、女将さんは店に戻って行った。

しばらくして、紙袋二つ抱えて出てきた。
「はい。あたしのじゃあんまりだから、娘の箪笥に入っていたものよ。どうせ、帰って来ても、着る事もないだろうからどうぞ。それから、もうひとつは、下着よ。女の人っていうのは大変なんだから。こら、中を見るんじゃないの!もって行って娘さんに渡せばいいからね。」と銀二に渡した。

「ありがとう。恩に着るよ。また、ちゃんと礼には来るから。」
と言って帰ろうとした時、女将が、銀二の襟を掴んで、
「ちょっと待ちなさいって。他にもいろいろ必要な物があるはずでしょ。ついでにこれも持って行きなさい。」
と言って、銀二の胸ポケットに、1万円札を何枚か捻じ込んだ。
「それから、早いうちに一度連れてきてね。あたしはいつだって銀二の味方なんだからね。必ず来るのよ。」
と言って、さっさと店に入って行った。銀二は、店に向かって、拝むように頭を下げた。

銀二は、急いで船を走らせた。
家を出てから、もう3時間近く経っている。その間に娘が目を覚ましていないか心配だった。
銀二が家に着いた時、娘はまだ横になったままだった。やはり、よほどショックが大きかったのだろう。
銀二は、娘が起きた時、すぐに食べられるようにと考えて、にしきやの娘に貰ったメモを見ながら、おかゆを作り始めた。昼を過ぎても、夕方になっても、娘は目を覚まさなかった。

昨夜と同じように、娘の服を着替えさせ、温かい湯を沸かして、きれいに体を拭いてやった。
今日は髪も洗ってやった。長い髪は細く艶やかで、触れているだけで幸せだった。
それでも娘は目を覚まさなかった。
銀二は、娘がこのまま目を覚まさないじゃないだろうかと、心配になっていた。

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