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2-1-6.夏の夜 [峠◇第2部]


 夕飯を終えて、片付けをしながら、銀二が和美に言った。
「ああそうだ。そこに紙袋があるだろう。見てみな。」
和美は言われるまま、座敷の隅に置かれた大きな紙袋を開いてみた。
一つには、いろんな洋服が入っていた。もうひとつには、下着が入っていた。
「これ、どうしたんですか?」と和美が訊いた。
「ああ、知り合いから貰ってきたんだ。気に入らないものもあるだろうが、まあ、良いだろう。とりあえず着替えは必要だろうからな。」と答えた。
和美は、ひとつ取り出して当ててみた。
「おお、なかなか良いじゃないか。」と銀二は褒めてみせた。

大きさはちょうど良い様だったが、少し派手なものが多かった。ワンピース等も短かった。そして、流行のジーパンも入っていた。玉浦に居た時には、厳しい父の言いつけで、ほとんど無地のワンピースが多かったので、こういう洋服を見て改めて思った。そうだ、別の人生を生きるのだ。今まで着た事のないような洋服も着なくちゃと思った。
「ありがとうございます。大事にします。」と、洋服を抱きしめながら、和美が答えた。

「おお、そうだ。その人がな、女の人は他にもいろいろ必要なものがあるからと幾らか金をくれたんだ。もちろん、また返しに行くけどな。元気になったら買い物に行こう。」
和美は少し躊躇した顔をしていた。銀二はその様子に気が付いて、
「大丈夫さ。徳山の港まで行くからさ。ああ、それと、一度、その洋服をくれた人のところにも礼に行こう。玉の関だが、小料理屋の女将さんなんだ。あそこも玉浦の人間は来ないから大丈夫さ。」

片付けも終わった頃、銀二は、
「風呂を沸かすが、入るか?体も汚れてるだろう。」と訊いた。
和美はこくりとうなずいた。
「じゃあ、少し待ってろ。俺んちの風呂は、外にあるんだ。俺一人の時は、見られたって構わなかったが、お前が入るとなりゃまずいだろう。ちょっと囲いを作るからな。」
と言って家の裏に出て行った。

銀二の家の風呂は、長州風呂(鉄製の釜風呂)だった。もう使わなくなったものを貰い受けてきて、自分で石組みをして作ったものだった。ちょっとした屋根はついているが、囲いなど無い。もちろん、銀二の家は海岸縁に建っているし、近くに家は無い田舎町なので、覗きに来る様な酔狂な人間はいないが、やはり、若い娘となれば嫌だろう。
日よけに使っていた立て簾を何枚か引っ張り出してきて、風呂の周りに立てかけた。
銀二は、ぐるっと1周し、中が見えない事を確認して満足そうに、湯を沸かす準備を始めた。

和美は、銀二の様子が気になって、おぼつかない足取りで、裏に出てきた。
「おい、家の中にいろって。まだ、そんなに早く入れやしないから。」と銀二が言うと、
「私にも何か手伝わせて下さい。」と和美が言った。
「じゃあ、そこにある木から枯れ枝を小さく取って、焚口に放り込みな。」と銀二が答えた。
和美は、滝口の前にある丸太に腰を下ろして、枯れ枝を焚口に入れ始めた。
銀二は、井戸から水を運び、風呂に張った。薪が入った焚口に、松葉の焚付けを重ね、火をつける。
宵闇の中で赤々と炎が広がった。それを見て、急に和美が顔を覆った。
数日前の火事を急に思い出してしまったのだった。
和美の異変に銀二は気づいた。そして、和美を両手で抱き上げて、家の中に連れて行った。
和美は小さな声で「ごめんなさい」とだけ答えた。
「湯が沸くまで横になっていろ。」とだけ銀二は言い、和美をおろして出て行った。

30分ほどして銀二が声を掛けた。
「湯が沸いたから、先に入れ。誰も覗きはしない。不安なら、俺が見張りをしてやるから。」
「銀二さんが先に・・」と和美が言ったが、
「いや、俺の体は潮まみれだから、入ると湯が汚れる。お前が先だ。」
と銀二が言うので、和美は言われたままに、風呂場に向かった。
「ああ、石鹸とタオルはそこにあるだろ。それから、底板を踏んで入るんだぞ。でないと火傷するぞ。」
「はい。・・あの、洋服は?」
「そこに、木箱があるから、その上に置いとけば濡れない。ああ、ちゃんと着替えは持ったか?」
まるで、子どもに教えるように銀二は言った。

久しぶりの湯船だった。銀二に救われ、取り留めた命。生きているんだという実感がじっと湧いてきた。すると、劫火の中で逝った父母や身投げして命を落としたわが子を思い出して、涙が溢れてきた。私だけ、こんな温かい思いをして良いのかと悔やんでいた。

「湯加減はどうだい?」と、屈託の無い銀二の声が聞こえた。
随分、遠くから聞こえているようだった。和美に気を使ってわざわざ遠くから訊いてくるようだった。
銀二の優しさが心に沁みた。そして和美が答える。
「いい湯加減です。銀二さん、ありがとうございます。」
和美はそう答えるのが精一杯だった。

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