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2-2-1 長い髪 [峠◇第2部]

翌朝、銀二が目覚めると、すでに和美は起きていて、朝食の支度をしていた。
昨夜の残りの鯛の身を醤油で煮ていて、良い香りが部屋の中に漂っていた。銀二にとって、こんな朝は、母を亡くして以来の事だった。

「おはよう。もう大丈夫かい?」と銀二が言った。
和美はこくりと頷き、
「ごめんなさい。勝手に台所を使ってしまって。昨日の残り物だけど、朝ごはんを作りました。」
と遠慮がちに言った。
「ああ、美味そうなにおいがする。顔洗ってくるから・・」と言って銀二が小屋から出て行くと、和美は布団を挙げ、卓袱台を出して、並べ始めた。
二人は、向かい合って卓袱台の前に座って、ご飯を食べ始めた。

何を話せばよいのか、銀二は思案していた。何しろ、昨日までは、元気にする事で必至だったが、いざ、元気になってみると、若い娘と二人でこうしてご飯を食べている事だけでも途轍もなく奇妙な事に感じられたのだ。
そんな様子を察してか、和美も何も言わずにいた。
食べ終わるまで二人は無言だった。

茶碗を流しに運び、一息つく頃にようやく和美が、
「ねえ、銀二さん。お願いがあるんです。」と切り出した。
「お・・おう、なんだい?」と銀二。
「別の人生を生きろって銀二さんから言われて、私も考えたんです。それで、お願いなんです。」
「だから、なんだよ。」
「ええ、この髪を切って欲しいんです。生まれてからずっと長い髪でした。でも、今日からは別の人生を生きると決めたんです。ひとおもいにこの髪を短く切ってしまいたいって・・」
「そうかい。でもな、床屋じゃないし、上手くできるかな。」
「いいんです。とにかく、銀二さんに短く切ってもらいたいんです・・」
「わかった。」
銀二はそう言うと、網を直すための手鋏を道具箱から取り出した。ここではなんだからと、浜に出て、髪を切ってやることにした。
「いいんだな?」と銀二。
「ええ、思い切って切ってください。」

少しずつ、髪を切っていく。銀二には、女性の髪の長さなんてわからない。後ろ髪は肩口でばっさり、それに合わせて横も切りそろえた。前髪だけは自分で切るといって鋏を手にとって少しずつ切っていった。
みょうちくりんな髪型に仕上がった。
「すまない。よくわかんなくて。」
と言いながら、歪んだ手鏡を和美に渡した。和美は、しばらく鏡を見ていたが、涙をポロリと零して、
「銀二さん、ありがとう。これですっきりしました。今日から新しい人生を見つけます。」
と微笑んだ。
銀二は、切り落とした長い髪を片付けながら、一束ほど、懐に忍ばせた。

「よし、今日は買い物に行こう。その髪なら、お前の事を知り合いが見つけてもわかりゃしないだろうって。」
と銀二が言った。
「どうやって?」と和美。
「俺の船で行く。港まで行くと、俺の知り合いの奴らに何を言われるかわからないからな。お前は、この浜の先にある桟橋で待ってろ。おれが船を持ってくる。そこから乗れば良い。」
「わかりました。」
「それと、貰ってきた洋服から、一番明るいのを選んで着ろ。気分も晴れるだろうから。いいな。すぐに船を取りに行くから準備しとけよ。」
銀二はそう言って、さっと着替えて出て行った。

和美は言われたとおりに、赤い花模様のワンピースに着替えて、浜の先にある桟橋へ向かった。
30分ほどして、銀二の船が見えた。
仲間の漁師に勘繰られないよう、一旦、港から沖へ出て、向島を一周して反対側からやって来た。
銀二の船はさほど大きくは無いが、早かった。瀬戸内の海はいつもに増して穏やかで、まるで鏡の上を滑るように進んだ。ポンポンという船のエンジン音だけが響いていた。
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