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2-2-4.出漁 [峠◇第2部]

4.出漁
 買い物の時と同様、和美は浜の外れの桟橋で待っていた。
 漁に出るには、ワンピースでは行けない。家に戻り、シャツとジーパンに着替えた。
 銀二の船がやってきた。夕暮れの中で、銀二の船は、ライトを点けて向かってくる。
船に乗り込むと、銀二は和美に、雨合羽と長靴を出した。夏とはいえ、海水を浴びた体に夜風となれば風邪を引く。せめて、合羽でも着ていれば、冷えは防げるだろうと言う事だった。

漁に向かう銀二の顔つきは、昼間とは別人だった。操舵室から顔を出し、遠く行く先を見つめている。
「ねえ、銀二さん、どのあたりまで行くの?」
「ああ、島の南側に行く。20分ほどで着く。」
実は、銀二は、港を出てからずっと考えていた。この時期、玉浦の沖が太刀魚のもっとも良い漁場なのだが、和美を連れて行くには余りに酷だと感じていたのだった。そこで、向島の南側の浅場に行き、流し網漁をする事にしたのだった。

島の南側は、浅場が広がっていて、海草も多く、小魚は結構取れる。波は穏やかで、月灯りが美しかった。じきに船が漁場に着いた。銀二は、網を少しずつ波間に入れ始めた。和美も手伝おうと立ち上がると、波に揺れる船で体がふらついた。銀二は、「じっとしてろ!」と怒った。昼間の優しい銀二ではなかった。
1時間ほど経ったところで、網を上げ始めた。集魚灯の灯りに、銀色に光る小魚が見え始めた。少し引き上げて、銀二が言った。
「ゆっくり網を上げるから、網に掛かった魚を外してくれ。」
和美がゆっくり立ち上がって、網を持った。網のあちこちに、ちぎれた海草に混じって、小魚が引っ掛かっていた。ピチピチと跳ねる魚を握って網から外した。魚は、船の真ん中にある生簀に入れられた。鯖や鯵が多かったが、他にも見たこともない魚も多かった。どれも皆、元気に飛び跳ねる。和美は夢中になって魚を外し続けた。作業を続けているときは頭の中には何もなかった。悲しい記憶もすっかり消えていた。

2時間ほど、夢中で作業をした。網を上げ終わるころには、生簀の中は一杯になっていた。
銀二は、操舵室に座って、タバコを吸った。そして、
「俺な、漁に出るといつも思うんだ。俺は、この海に生かされてるんだなって。」と呟いた。
銀二の言葉に、和美は自分が銀二に救われた運命も、きっとこの海に生かされたのだと思った。

「さあ、そろそろ、港に戻るかい。」と銀二。
それを聞いた、和美は
「ねえ、銀二さん。お願いがあるんです。玉浦のあたりまで行って貰えませんか?」と言った。
「なんだって?」
銀二には意外な頼みだった。あの忌まわしい記憶を思い出させないよう、敢えて、別の漁場を選んだ。
「新しい自分になるために、最後に、あの場所を見ておきたいんです。」

銀二は、すぐに船を走らせた。ほどなく玉付岬の沖に着いた。
夜更けの海は真っ暗で、かすかに山影がわかる程度だった。
「このあたりでお前を拾い上げたんだ。潮の流れが緩くて、助かったんだ。」
銀二が思い出すように言った。
「玉浦の沖は、潮の流れが複雑なんだ。玉付崎辺りは特にな。大久保海岸のほうへ流れる潮と玉浦の西へ向かう潮の流れがあって、ぶつかり合うときもある。そんなときは大抵沖へ向かう潮になる。それが、お前を見つけたときはどの潮もなくて静かに留っていたんだ。まるで、大きな池の中にいるようだった。だから、お前は助かった。だからな、まだ死んじゃいけないって事なんだよ。」
「でも、私にはもう何もないんです。」
「違う。今は何もないかも知れんが、これからやらなければいけない事があるはずなんだ。今はわからなくてもきっと見つかる。みなそうやって生きてるんじゃないのか?」
和美はじっと銀二の言葉を聞いていた。

岬を回りこむと玉浦の港の明かりが見えてきた。ぽつりぽつりと人家の明かりも見えている。和美はじっと目を凝らすようにその灯りを見つめていた。そして、この村で過ごした日々の思い出を封印するようにゆっくりと目を閉じた。
「銀二さん、ありがとう。向島へ戻りましょう。」
銀二は返事もせず、舵をきった。玉浦がどんどん遠ざかっていく。

向島の島影が見えてきた。
「海で死にたいっていう奴がいるが、海の本当の姿を知らないから言うんだ。俺はこの海で生きてる。何度か、嵐にあって死にそうな目にあった。どんなに抗っても、海は許してくれない。引き込もうとするんだ。」
「私は、浮いていたんでしょ。」
「そうだ。海に抱かれて死にたいなんて、甘い考えを持ってる奴は、大抵、海の底に引き込まれて、何日か経って浮いてくる。海の底に引き込まれて死ぬとな、体を魚たちに食い散らされる。惨い姿になる。そして、腐ってガスが溜まって、パンパンに膨れて浮いてくるんだ。見れたもんじゃない。だけどな、事故で誤って落ちた時は、たとえ命を落としても、すぐに浮いてくる。綺麗な顔してるんだ。きっと、海が情けをかけるんだろ。死んじゃいけない人間は、すぐに浮かせてくれんだ。だから、お前は生きなきゃいけないんだ。どんなに辛くっても、下を向いちゃいけない、上を向いていれば必ず何か見えてくる。」
今夜の銀二は妙にまじめな顔つきだった。和美にというよりも、自分に言い聞かせるような言い方だった。

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