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2-2-7.セツさんとの暮らし [峠◇第2部]

7.セツさんとの日々
 翌日から、和美は、セツさんの家で暮らす事になった。
 セツさんの家は、銀二のところと違って、一人暮らしには広すぎるほどの造りの家だった。
「この部屋を使うと良い。」
セツさんはそう言って、海が見える西側の部屋へ案内した。小さな箪笥と机と座布団、そして押入れに中には布団が一揃い入っていた。荷物といっても、銀二がもらってきてくれた洋服が紙袋2つあるくらいだったので片付けはすぐに終わった。
居間は8畳ほどで、卓袱台と水屋箪笥が置かれていた。日当たりの良い南側にあり、部屋の隅には、古い本が積み上げられていた。和美は一冊を拾い上げてぱらぱらと捲ってみた。何かの小説だろうが、驚いた事に、漢字に赤い字で読み仮名が振ってある。積み上げられた本の横には、同じように古い辞書があって、かなり使い込まれているようだった。
セツさんが、お茶のお盆を抱えて、部屋に入ってきた。和美が本を持っているのを見て、
「いやだよう。恥ずかしいね。年寄りの手習いみたいなものさ。あたしは学校を出てないから、字がまともに読めなくてね。これじゃいけないと思ってね。」
セツさんは、本と読むのではなく、字の勉強をしていたのだった。
「素敵ね。」と和美が言った。
「ちょうど良い。あんた、字は読めるかい?なら、ここに居る間、あたしに教えておくれ。」
とセツさんが頼んだ。
「教えるなんて・・でも、ここでお世話になるのですから、私にできることなら・・」と承諾した。
「良かった。字が読めないと、辞書を引くのも苦労するんだ。こないだなんか、1つの字を探すのに半日かかったんだ。」そう言って、セツさんは喜んでいる。

こうして二人の暮らしが始まった。

セツさんは、朝早くから起きている。
日が昇ると同時に、家の近くにある畑に出て行って、朝ごはんの前までに一仕事を終えてくる。
和美も一緒に起きて、草取りや脇芽摘み等を手伝った。最初は朝ご飯をセツさんが作っていたが、すぐに和美の仕事になった。味噌汁の塩梅や畑の野菜を使った料理を丁寧に教えてくれた。
朝ご飯が終わると、セツさんの漢字の勉強。辞書を引きながら、一つ一つ漢字を見つけていく。時には、紙に写して練習もする。あっという間にお昼になってしまう。

お昼はセツさんは蒸かした芋しか食べない。芋は自分の畑で取れたものだった。秋口に収穫しておいて、家の床下に掘った芋釜の中に保管してあるのだ。
和美は、セツさんに頼まれて芋釜の中へ入るようになった。縁側の下板をはずし、腹ばいになって潜り込む。そこには、大きな穴が掘ってあって、籾殻が一杯詰まっている。その中に手を入れると、大きなサツマイモがごろごろとあった。昔からの農家の保管方法だった。籾殻は一年中温かさを保ってくれて乾燥もしない。いつも、手ごろなものを4つほど取り出して、綺麗に洗って鉄釜に入れて蒸かすのだった。セツさんは大好物だったようで、蒸かし上がると、ちょっと塩をふって、はうはう言いながら頬張るのだった。和美もセツさんを真似て食べた。なんともいえない甘さが口いっぱいに広がり幸せな気分になれた。

午後になるとセツさんは昼寝をするので、和美は銀二の家に行き、片付けや掃除をしてくる。銀二はたいてい留守だった。ただ、夕飯前になると必ず現れて、獲れた魚を少し置いていく。夕飯を食べていくように言っても、これから漁に出るからとか、用事があるからと言って、すぐに帰ってしまうのだった。
1週間ほど同じような暮らしだったが、ある日、突然、銀二が顔を見せなくなってしまった。家に行っても、戻っていないようだった。
和美は心配になってセツさんに訊いてみた。
「最近、銀二さんが来ないけど、どうしたのかしら。家にも帰っていないみたいで・・」
「ああ、時々、銀二は居なくなるんだよ。3日くらいのときもあるし、2週間くらい居ない事もある。何してたのか聞いてもはっきりとは言わないんだ。まあ、心配しなくてもその内ふらっと戻ってくるさ。」
「でも・・」
余りに和美が心配するので、セツさんは、
「わかったよ。明日にでも港に行って銀二の様子を聞いてこよう。漁師仲間なら何か聞いているかもしれないからね。」

翌日、セツさんは港に行って漁師仲間や金物屋に行って銀二の様子を訊いてみたが、誰も知らなかった。
港にも、銀二の船はなかった。

その夜、夕飯の後、セツさんは和美に、港で聞いてみたが銀二の行方はわからない事、そして、船がないのでどこかに出かけているのじゃないかと伝えた。
「そう言えば、私、銀二さんの事、ほとんど知らないんです。助けてもらって、自分の事で精一杯で、漁師をしている事くらいしか知らない。なんて事・・」と和美は今更ながら、銀二に甘えていた事に気づいたのだった。
セツさんは、その様子を見て、銀二の事を話してくれた。

「向島の人間で銀二を知らない者はいないね。まあ、若いのに腕のいい漁師でね、皆、銀二に漁の仕方や獲れる漁場を教えてもらっているくらいだよ。それに、親思いで、早くに父親を亡くしたんだが、母親を手伝って、小学校のときから、海で働いてる。弟も銀二が育てたようなもんだ。それに、困っている人を見ると世話したくなる性分らしくて、結局、自分の事は一番最後さ。ここに居る人間は一度は銀二に世話になってると思うね。」
そうだった。銀二がどういう人生を歩んできたのかは知らなくても、銀二がどんなに優しいかは身に沁みてわかっていた。
「銀二の事だから、また、誰かの面倒を引き受けてるんじゃないかね。」
「そうだといいけど・・・」
「まあ、そんなに心配してもしょうがないよ。銀二の心配をするよりも、銀二に言われたように、自分の人生をしっかり生きる事が、銀二の恩に報いる事だよ。判ったかい?」
和美は、セツさんの言葉が胸に沁みた。自分にできることを今は精一杯しよう。改めてそう思った。


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