SSブログ

2-3-1:紫 [峠◇第2部]

銀二の船は玉の関に向かった。港に入る前に、
「おい、ちょっとここに入って見つからないようにしとけ。」
と言って、和美を操舵室の中に潜り込ませた。
「知り合いの漁師たちに見つかると、変なうわさが立つからな。」

船は、港の船道口から中に入る。そして、大型船の間に滑り込んだ。
「ここなら大丈夫だ。ちょっと様子を見てくる。俺が合図をしたら、その波止場を真っ直ぐ行って、あそこの大きな建物の右脇の路地を入るんだ。4軒目に、小料理屋があるから,そこに行くんだ。走れるよな?」
そう言って、舳先から波止場に渡ると、周囲を見回した。それから、こっちへ来いと手招きをした。舳先から波止場に移るのは、銀二のところで何度もやっていたから平気だった。そしていわれたとおりの道を走った。なんだか、かくれんぼをしているようで可笑しかった。

言われたとおり4軒目に小料理屋があった。まだ、時間が早いので暖簾は出ていなかった。
「すみません。あの・・」と声をかけたら、玄関が開いて、中から
「お入りなさい。」と優しい声がした。言われるまま、中に入った。

「あなたが和美さんね。大体の事は銀ちゃんから聞いているわ。まあ、お掛けなさい。」
と、カウンターにある椅子をすすめられた。

女将さんはじっと和美を見ていた。そして、にっこりしてから
「私は、直子。銀ちゃんは女将さんって呼ぶけど、お客さんはみなママさんとか直ちゃんとかって呼んでるわ。どっちでも良いんだけどね・・ああ、何か飲む?」
「いえ。大丈夫です。」
「ふーん。銀ちゃんが惚れるのも無理ないわ、こんなに可愛いんだもの。しばらく一緒に住んでたんでしょ。何もされなかった?」と笑いながら訊いた。
「いえ・・何も・・あ、それに、銀二さんは惚れるとかそういうんじゃ・・」
とたどたどしく答える様子を見て、嫌だよと言いながらさらに笑った。

そんな会話をしていたら、表で銀二が呼んだ。
「すみません。銀二です。女将さん、いらっしゃいますか。」
変な言葉遣いだった。
「銀ちゃんたら、みんなに変に思われるといけないから、用事があって来るように演技するからって言ってたけど、あれじゃ、余計に変じゃない。ねえ?」
女将さんはそう言いながら玄関を開けた。
「どうぞ。お入りください。」
女将さんも、銀二の調子に合わせた。

中に入ると銀二は、
「なんだい、そのお入りくださいってのは、変だろ。」
「銀ちゃんよりましよ。」
和美は二人のやり取りを見てくすっと笑った。

「この子が和美ちゃんね。銀ちゃんの頼みだから、ちゃんと預かるわよ。ここの仕事も手伝ってもらえると助かるしね。お給金も少しは出せると思うから、大事に使いなさいね。ああ、それから、部屋は2階ね。昨日、掃除しといたからすぐ使えると思うわよ。」
「ちょっと、女将さん。まだ、和美には何にも話しちゃいないんだ。それに、和美の気持ちも考えないと。」
銀二には、それなりの段取りがあるようだった。しかし、和美が
「直子さん、よろしくお願いします。一生懸命働きますから。」
と言ったので、銀二も、
「そうかあ?そんなら話は決まった。女将さん、よろしく頼みます。そんじゃ、俺は帰るよ。細かい事は、女将さんから訊きな。じゃあな。」
そう言って、ぱっと店を出て行った。

和美は、礼を言うまもなく、銀二が立ち去ったことに驚いた。
「銀ちゃんていつもあの調子なんだから、こっちが礼を言う間も与えないで、さっさと消えちゃうんだから。すぐにまた顔を出すから心配要らないわよ。」
女将さんも、しょうがないという風に言った。

「さて、和美ちゃん。まずは、その髪を直しましょう。せっかく可愛いんだからもっときれいにしなくちゃ。その髪、自分で切ったの?」
「ええ、過去を忘れて新しい人生をって銀二さんから言われて、銀二さんに切ってもらったんです。」
「ひょっとして、前は随分長い髪だったの?」
「ええ、腰近くまで伸ばしていました。それが?」
「ふふーん。やっぱりね。」
「やっぱりって?」
「銀ちゃんはね、長い髪の女の人が好きみたいなの。私も前に長い髪をばっさり切ったことがあったのよ。店の仕事が忙しくて、髪の手入れが面倒になってね。そしたら、銀ちゃんはすいぶん怒ってね。女将さんの長い髪が見たくてこの店に来てるんだぞって。」
「へえ、そうなんですか。」
「ここだけの話、銀ちゃんは私に惚れてると思うのよ。」
「え?そうなんですか?」
「あら、嫌だわ。冗談よ。」
そう言って女将さんはけらけらと笑った。そして、
「斜め向かいに、美容室があるから、そこに行って、綺麗にしてもらいなさい。大丈夫、あそこの奥さんは仲良しだから、今日から紫にきた和美ですって挨拶すればすぐにやってくれるから。さあ、行っておいで。」

1時間ほどして、和美が美容室から帰ってきた。散切りだった髪をショートカットに綺麗に整え、化粧もしてもらったようだった。帰ってきた和美を見て、女将さんは、
「あら、見違えたわ。こんな綺麗なお嬢さん、見たことないわ。これじゃ、お客が増えて困っちゃうわ。」
と言って褒めた。すこし戸惑っている和美に気づいて、
「大丈夫よ。この店には玉浦の人間は来ないから。少し前に、玉浦の若い衆がこの店で暴れてね、それ以来、出入り禁止にしたの。今でも、玉浦の人間が着たら追い返すから。」
女将さんは、和美の事情を全て知っているようだった。
「ねえ、疲れてない?」
「大丈夫です。」
「それなら、荷物を2階の部屋に置いて一息ついたら、店の仕込み手伝ってくれる?」
「ええ、頑張ります。」

和美は言われたとおり2階の部屋に行った。階段を上がって右側と聞いたので、ドアを開けた。
6畳ほどの部屋。綺麗に掃除されていて、何もなかった。鞄を置いて、ふと見ると、大きな窓がある。
鍵を開けて、窓を引いた。南向きの窓から、港が見えた。もう銀二は島に帰ったのだろうかと考えていた。
ポンポンというエンジン音、銀二の船かもしれない、そう思って見ていると、ちょうど波止場の先の案内灯台の下を銀二の船が出て行くところだった。

銀二は、店を出てからも和美の事が心配だった。せっかくセツさんとの暮らしに慣れたころに、引き離すようにここに連れてきて良かったのだろうかと考えていた。しかし、気持ちを決めた和美の言葉を思い出し、これで良かったはずだとも思った。しばらく,船に戻ってから、帰るに帰れない気持ちでいたのだった。一度、店に戻ろうとした時、店を出てきた和美を見た。美容院に入っていった。1時間ほどして、出てきた和美は見違えるように綺麗だった。それを見て、これで良かったんだと得心して、船を出した。そして、しばらくは、ここへは来ないと心に決めていた。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0