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2-3-6:帰郷 [峠◇第2部]


翌日、昼過ぎに、女将と和美は、バスに乗って向島まで行った。
玉の関から向島までは、途中、問屋口でバスを乗り換えていく事になる。
和美は、高校の頃、この道を通学路にしていた。懐かしい風景だった。あの頃の自分は、将来に大きな希望を持っていたはずだが、今ではすっかり忘れている事に気付いた。友達もたくさんいたはずだったが、名前すら思い出せない。火事より前の記憶は、本当に消えかかっているように思えた。過ぎ行く風景が一層そういう気持ちにさせてくれた。

バスが、向島の終点、港前に到着した。
バス停で降りたところに、葬儀の案内板が出ていて、港近くの龍厳寺で葬儀は営まれているようだった。
「葬儀は4時には終わるようね。和美ちゃん、どうする?」
「直子さん、ここまで来たのだから、一度、セツさんの家に寄ってきます。その後、4時にはお寺に行きます。」
「そうね。葬儀に出てるのも変だしね。じゃあ、そうして。4時にはお寺の前に居てね。」

そう会話して、二人は別れた。
和美は、セツさんの家に向かった。あれからそれほど日は経っていないが、随分久しぶりに帰郷する気分だった。
港からセツさんの家までは歩いて30分ほどの距離だった。

家の近くまで来て気がついた。この時間はセツさんはきっと昼寝をしているはずだった。セツさんの家には後で行くことにして、銀二の小屋へ寄ってみることにした。

銀二は留守だった。おそらく、葬儀に出ているのだろう。戸締りはしていないから、和美は扉を開けて中に入った。
暗い海から救われてしばらく過ごした場所。あの時と何も変わっていなかった。しばらく銀二は留守にしていたのだろう。そっと、座敷に座ってみた。この場所で銀二の優しさに癒されて過ごした時間が懐かしく、ほろっと涙が零れた。

ふと、壁を見ると、白いワンピースが掛かっていた。和美が海へ飛び込んだ時、身につけていたものだった。きれいに洗ってあった。自分のことを愛おしく思ってくれているのではないかと考えてみたが、それなら何故、もっと会いに来てくれないのか、銀二さえ望めば、一緒に暮らす事だってできるのにと考えていた。

そこへ銀二が帰ってきた。
「お・・お前、ここで何してるんだ!」
銀二は随分驚いた様子だった。
「おかえり、銀二さん。」
「おかえりじゃないぞ!せっかく紫の女将さんが世話してくれるって言ったのに、追い出されたのか?」
「そんなわけ無いですよ。」
「じゃあ、なんでここに居るんだよ。」
「鉄三さんのお嫁さんの事、聞いたんです。それで、女将さんと相談して、鉄三さんの赤ちゃんのお世話をさせてもらえないかって思って、今、直子さんが相談に行っているんです。」
「そんな・・そんなのは、他で探してくるから、お前は自分の遣りたい事を遣ればいいんだよ。」
「いいえ、きっと、銀二さんに助けられたのは、こういう縁があったからだと思うんです。だから、私に今できる事をやろうって決めたんです。」
「・・だめだ・・・・」
「大丈夫です。直子さんからも、遠縁の娘という事にしてもらってお願いしているところですから。」
「・・いや、だめだ・・・」
「大丈夫です。これが私の銀二さんへの恩返しのひとつなんです。」
そこまで聞いて銀二も口をつぐんだ。和美の決心の固さを感じたのだった。

「ねえ、銀二さん。このワンピース、どうしてこんな風に掛かってるんですか?」
「いや、それは・・あんまり綺麗な服なんでな。捨てるのにはもったいなくてな・・」
銀二は少し顔が赤らんでいて、和美を見ようとはしなかった。
「でもね、銀二さん。これは捨てて欲しいんです。あの悲しい思い出が蘇ってくるんです。どうか、捨てて下さい。」
「いいじゃないか、ここにあるのは構わないだろ。」
「いや、捨ててください。」
「判ったよ。」
そう言って銀二は壁から取って袋に入れた。
だが、銀二は捨てそうもないと感じた和美は
「その袋、私が貰っていきます。このままだと銀二さんは捨ててくれないかもしれないですから。」
銀二は渋々、その袋を和美に渡し、ぷいと横を向いてしまった。
「それじゃあ、私、行きますね。」
「ああ、元気でな!」
銀二は、和美の顔も見ずに、そう言った。

和美は、銀二の家を出て、セツさんの家に向かった。昼寝の時間も過ぎたろうと考え、玄関で声をかけた。
すぐにセツさんが出てきた。
「おやおや、珍しいお客さんだね。元気だったかい?」
「嫌だわ、お客さんなんて。里帰りした娘です。」
「そうだね、ごめんね。まあ、お入り。」
そう言って、家の中に入れてくれた。

セツさんの家も、以前と少しも変わっていなかった。
「お昼は済ませたかい?」
「ええ・・」
「そうかい。お芋があるんだけどね・・・」
セツさんはちょっと残念そうな表情をしたのを和美が気付いて、
「お芋ならいただくわ。」
「そうかい?」
「ええ、お昼は時間がなくて軽く食べたくらいだったから、それに、セツさんのお芋、美味しいんですもの。」
和美はそう言って、お釜の中にあった蒸かし芋を手にとって頬張った。頬張りながら、銀二と少し気まずい雰囲気で別れたことを後悔していた。

「ねえ、セツさん。銀二さん、あれからどうしてた?」
「ああ、・・鉄三の話は知ってるかい?」
「ええ、それで、今日、紫の女将さんと一緒にここへ来たんです。女将さんは、今、葬式へでています。」
「そうかい。銀二はね、一昨日からここへは帰っていないんだよ。産院から一度帰ってきて、ここへも顔を出したんだが、何だか、自分を責めているんだよ。両親を説得して産院まで探した自分のせいだって言ってね。」
「でも、娘さんが産みたいって・・・」
「そうなんだよ。だれも銀二を責めちゃいないのに、俺のせいだって言ってるんだよ。」
「私、その話を聞いて、その赤ちゃんのお世話をさせてもらえないかって思って・・」
「和美ちゃんが?」
「ええ、少しでもお役に立てるなら・・私も子どもを亡くしてるし・・何かの縁ではないかって・・」
「そうだねえ。でも、素性が知れたら厄介な事になるんじゃないかい?」
「ええ、女将さんが、遠縁の娘という事にして釣船屋のご主人に相談するって言ってくれたので・・」
「そうかい。じゃあ、ここへも余り寄らないほうが良い。銀二の事も赤の他人にしておかないとね。」
「ええ、だから、今日、ここに来たんです。赤ちゃんのお世話をするようになったらなかなか気軽に来れなくなると思って・・」
「わかったよ。まあ、そのうち、向島の人間にも知られるようになれば、遊びに来れるさ。」
「ごめんなさいね。」
「良いんだよ。お前さんが決めた事だ。それに、きっと銀二も喜んでくれるだろう。」
「それが・・・」
「なんだい。銀二と会ったのかい?」
「ええ、ここへ来る前に。でも銀二さんは反対だって、それで、ちょっとけんかみたいになっちゃって・・」
「銀二はさ、あれから、毎日、玉の関に行ってたようだよ。気になって仕方なかったみたいだ。家に帰ってからも、時々、浜辺でじーっと玉の関のほうを眺めてるんだ。一度ね、『会いたきゃ、会いに行けばいいじゃないか』って言ってやったら、『馬鹿言うな。会いたいわけ無いじゃないか!』ってむきになって怒るんだ。ずいぶん淋しかったんだろうね。嫁にすれば良いのにって言ったこともあるよ。でも、『俺と一緒になっても和美は幸せにはなれない』ってさ。」
「そうなの。」
「察してやんなさい。そして、早く自分らしい生き方を見つけて、銀二に堂々と会いに来ればいいじゃないか。」
「そうですね。」

1時間ほど、セツさんの家で過ごした和美は、セツさんに挨拶をして、約束の時間に間に合うよう、寺へ向かった。

寺の近くに来ると、葬儀帰りの喪服の人とたくさんすれ違った。ちらっと和美を見るが、皆、素通りしていった。
和美は、門前の脇道に隠れるようにして立っていた。

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