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2-4-1:釣船屋「村田屋」 [峠◇第2部]

一同とともに和美も、釣り船屋に向かった。寺の石段を降り、港に出ると、すぐにあった。
店には、『釣り 村田屋』という大看板が掲げてある。
港に面した通りの一等地にあり、2階建ての大きな作りだった。
1階の通りに面した表側はガラス戸が一面にあり、中が良く見える。食卓机と20人ほど座れるようにイスもあった。奥に座敷もあり、食事もできるように厨房も備えてある。ここで鉄三は料理人見習いとして働いているのだった。
2階は宿泊も出来るように客室が何室かあるようだった。

主人が先導して、その店の脇道を入っていく。
隣家との境に、幅半間ほどの通路があり、店の裏に回る事が出来た。
店の裏には、広い庭があり、数箇所に、魚やエサ等を生かすための水槽が置かれていた。裏は斜面になっている様で、店からの続き階段が備えられ、一段高いところに、家人たちの母屋と思われる建物があった。そちらも大きい造りの家屋だった。

母屋の玄関に着くと、奥さんは、葬儀の疲れが出たのか、さっさと家の中に入り、自分たちの寝室へ引きこもってしまった。鉄三は、店の鍵を開けて、厨房の方へ入って行った。その様子を見ながら、ご主人が
「さあ、和美さん、今日からここに住んでもらうことになるからね。2階の角部屋が空いているから、使いなさい。」
と案内してくれた。

2階には3つほど部屋があるようだった。案内された部屋は8畳ほどの広さがあり、隅のほうに、布団が一組置かれているだけだった。
「ここを使ってくれれば良いからね。赤ん坊の世話にも、この部屋が一番良いはずだ。日当たりも良いし、眺めも良い。ゆっくりした気持ちでお世話しておくれ。」
「はい。」
「明日には、産院に迎えに行く事になるだろうから、それまではゆっくりしていてくれれば良いからね。」
主人はそう言って、階下へ降りていった。

部屋に残された和美は、そっと窓の外を見た。ちょうど、夕日が赤く港を照らしている時間だった。
窓越しに、港の船が良く見える。『紫』から見えた景色に似ていたが、この港はほとんどが漁船で、余り大きな船はなかった。むしろ、生まれ故郷の玉浦の港に似ているように思えた。
しばらくぼーっと眺めていると、漁船のエンジン音がぽんぽんと響き始めた。夜の漁に向かうためなのか、ひょっとしたら、銀二の船がいるかもしれないと、和美は目を凝らして船を見つめた。夕日に輝く港は、船は皆シルエットになっていて、どれが銀二の船かはわからなかった。しかし、きっとこのエンジン音の中に、銀二はいる。そう思って、じっと船影を見つめていた。

日が落ち、一面が夕闇に包まれた頃、階下から呼ぶ声がした。
「あの・・・和美・・さん・・・」
何だかぎこちない呼び方だった。鉄三の声だと思われた。
「ハイ!」と返事をすると
「あ・あの・・夕飯の準備ができたので・・下に来てください。」
「あら、すみません。お手伝いもせずに・・」
そう言いながら、階段を急いで下りていった。下には、鉄三が待っていた。
「夕飯は、店のほうで設えていますから、付いて来てください。」
そう言って、鉄三が先を歩いた。
母屋から店までは、続き階段で更に降りていく。左手に庭を眺めながら、付いていくと、店の食堂に着いた。もう、ご主人と奥さんは椅子に座っている。
「すみません。わざわざ呼びに来てくださって。お手伝いもせず・・」
奥さんが、ようやく口を開いてくれた。
「いいのよ。うちは、食事は全て鉄三が作ることになっているから。これも修行なんだから。さあ、食べましょう。」
そう言うと、箸を持って目の前の料理に手をつけた。
「すみません。今日は、仕入れが出来てなかったものだから、煮物や汁物くらいしか出来なくて・・」
鉄三が済まなそうにそう言った。
「いいよいいよ。また、明日から、釣り客も来るし、生きの良い魚も手に入る。それに、今日は葬儀の後だ。なま物を食べるのは憚るからね。ちょうど良かったよ。」
ご主人は優しく答えた。そして、
「良い味付けになってる。もう一人前の料理人になってきたな。」と続けた。

さすがに、娘を亡くし、葬儀が終わったばかりという事もあり、夕食は静かだった。食べ終わると、奥さんはすぐに母屋に帰っていった。
ご主人は、食後のお茶を飲みながら、
「和美さん、ここは釣船屋だ。週末となればたくさんの釣り人がいらっしゃる。できる事で構わないから、手伝っておくれ。いや、赤ん坊の世話が第一だから、手が空いた時だけでいいんだ。私は船を出さなきゃならない。銀二もついて行く事もあるし、料理の仕事が大変だ。家の事をやってくれると助かるんだが・・」
と話した。
「わかりました。お掃除や洗濯は大丈夫です。赤ちゃんを背負って出来ますから。」
「そうかい。じゃあお願いするよ。ああ、女房のことなら大丈夫。今は疲れてるからだろう。いつもは明るくててきぱきと動く方だし、思った事をすぐ口にするけど、腹はない性格だから。3日も一緒に居れば、わかるからね。」
「ありがとうございます。一生懸命お世話します。よろしくお願いします。」
「いやいや、それはこちらの台詞だよ。母をなくした赤子に寂しい思いをさせないだけでもありがたい。よろしくお願いしますね。」
そう言って、主人も席を立っていった。

鉄三と和美が食堂に残された。鉄三は、和美にどう接してよいのか困惑していた。
そして、「赤ん坊の事、お願いします。」と頭を下げたのだった。
和美は、鉄三が銀二の弟だと知っているので、つい銀二の話をしそうになるが、その事は言えない。ぎこちなく、「こちらこそお願いします。」とだけ答えたのだった。

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