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2-4-3:味方 [峠◇第2部]

和美が、幸一の世話を始めてから、ひと月近くになっていた。

「幸ちゃん。夕べは良い子にしてた?」
朝になると、決まってこの言葉が飛んでくる。
繁忙期の釣船屋は、早朝から釣り客の朝食や釣りの準備で忙しく、和美も、5時には起き、幸一をおんぶして、店の手伝いに出てくる。そうすると、主人や奥さん、鉄三、他の従業員たちから、同様の声を掛けられる。眠くて機嫌の悪い時でも、幸一は、その声を聴くとなぜかおとなしくなるのだった。

船が出ると昼間は少し店は暇が出来る。和美は幸一をおぶったまま、母屋の掃除や洗濯などまめに動いた。おかげで、ご主人も奥さんも店の仕事に専念できるようになっていた。鉄三は、調理仕事の合間には、幸一の顔を見に、母屋に来る事が多くなっていた。

『紫』の直子も、和美が移ってからすぐに和美の荷物を届けにやってきた。給金の代わりにと和美の洋服や化粧品、幸一のためのおもちゃ等も買って来てくれた。和美が居なくなってから、一人の夜は寂しいからと、女の子を一人雇ったということだった。それ以来、時々、訪れては、玉の関の話や店での様子などを話してくれた。

銀二も、時々、何かと用事を見つけて、村田屋に顔を出すようになっていて、幸一に他愛も無いおもちゃを買ってくることもあった。ただ、和美とは面と向かって会話を交わすことは無く、随分他人行儀に接するようになっていた。和美には、銀二のつれない態度に、ちくりと胸が痛むのだった。

そんな穏やかな日々が続いたある晩のことだった。
店の仕事も一段落ついて、和美が幸一にお乳を飲ませ寝かしつけた頃、階段を誰かが上がってくる音がした。
そして、部屋の前で留まって、低い声がした。
「和美さん、ちょっと良いかね。」
ご主人だった。毎日、顔をあわせていて、つい先ほど、就寝の挨拶をしたばかりだった。
「はい、どうぞ。ちょうど今、幸ちゃんを寝かしつけたところですから。」
襖を開けてご主人が入ってきた。そして、低い声のまま、こう言った。
「和美さんと会ったときから、気になっていたことがあってね。尋ねてよいものか随分悩んだんだが・・」
和美は、いつもとは違う主人の形相に少し戸惑っていた。
「なんでしょう。」
「お前さん、苗字はなんというんだい?」
「・・・・」
和美は答えられなかった。
「私は、仕事柄、玉の関や玉浦にも知り合いが多くてね。玉浦にもちょくちょく行っていたんだが・・」
そこまで聞いて和美は観念した。
「すみません。玉谷和美といいます。」
「そうか。やっぱりな。玉谷さんところの娘さんだったか。」

しばらく、ご主人は考え込んでいた。
「すみません。ご主人や奥様を騙してしまって。私はただ・・」
「いや、責めるつもりで訊いたんじゃないんだ。実は、玉谷さんの奥さんと私は、昔からの知り合いでね。火事で亡くなったという話を聞いて、葬儀にも行ったんだよ。そこで、娘さんは海に飛び込んで自殺したが見つかっていないという話を聞いてね。」
「すみません。おっしゃるとおり、火事の日、岬から飛び込んで死のうとしました。でも、ある方に救われて・・」
「それは良かった。噂では、借金が嵩んで、無理心中したんじゃないかとか、娘を売るような縁談で揉めていたとか、悪い話ばかり聞こえてきていてね。」
「ええ・・そうなんです。でも、無理心中ではないんです。父も母も、いくら借金があってもそんなことをする人じゃありません。私にも良く分からないんです。気付いたときは、もう家中が火の海で・・・。」
「そうだったか。いや、あの奥さんは、決して自分から死のうなんてするひとじゃない。そういう人だ。」
「あの、母とは?」
「ああ、お母さんと私は、幼馴染なんだよ。私は養子でね。元は、お母さんと同じ町の生まれなんだよ。小さい頃によく遊んでもらった。まあ、お姉さんてとこだろうね。嫁にいかれてからはほとんど会った事は無かったが・・」
「そうでしたか・・」
「ここに来たのも何かの縁だろう。」
「ええ・・。」
「そういうことなら、私は和美さんの味方になろうじゃないか。」
「ありがとうございます。」
主人の言葉が心に染みた。銀二や直子、そしてご主人、皆、温かい人ばかりだった。
玉浦に居たときは、随分辛い思いをしていたが、銀二に救われてからは、出会う人が、皆、温かかった。

「時に、和美さんを海で救ったのは、ひょっとして銀二かい?」
「え?ええ。そうです。」
「やっぱりなあ。あいつ、ここに来る時は、妙によそよそしい態度だから。きっと何かあるんだろうとは思っていたんだが。和美さんを気にしていたんだね。」
「どういうことですか?」
「あいつは、だれかれなしに、遠慮せずモノを言うやつなんだが・・・・案外、関わりのある人には、妙に距離を置こうとするんだよ。冷たく感じるくらいにね。そのくせ、どこかでしっかり見ていてくれるんだ。」
「ええ・・ここに来ると本当に他人行儀というか・・目も合わせてくれないんです。」
「そういうやつなんだよ。」
「旦那さん、このことは・・・」
「大丈夫だよ。口外する気は無い。」
「ありがとうございます。」
「それに、銀二が関わっているとなれば、大丈夫だよ。きっと和美さんは幸せになれる。いや、和美さんはきっともっと多くに人を幸せにするよ。」
「どういうことですか?」
「銀二に関わった人、そう、銀二に救われた人は、みな、そうなるのさ。ほら、『紫』の直子さんもそうだ。不幸な目に遭う人があいつに救われる。そして、救われた人が、また、銀二のように周りの人を救う。私たちも、和美さんに救われた。そう、幸一も和美さんに救われた。銀二には、そういう縁を作る、不思議な力があるんだよ。だから、私も和美さんの味方になる。銀二に負けないくらい、守ってあげるから、安心しなさい。」
ご主人は、諭すような口調で和美に話した。

「長居したね。明日も早いから・・おやすみ。」
そう言ってご主人は、部屋を出て行った。

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