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3月 桃の節句 [歳時記]

3月 桃の節句
 我が家には、雛人形とは別に、大事な人形がある。

 雛人形は、上の娘の初節句に、妻の実家から送られてきたものだ。
 当時、狭いアパートに住んでいた私たちを気遣って、「お内裏様とお雛様だけにしたから飾ってね」と送られてきたものだったが、人形一体が大きくて、幅150センチの雛台を置く場所に苦労した。それでも、なんとかテレビ台の上に場所を確保して飾りつけたら、居間は桃の節句一色となった。
 初節句の時には、実家の両親も招いて、近くの仕出し屋から「桃の節句御膳」を取った。まだ1才にもならない娘の前に、自分の体より大きなお膳が並んだ。楽しい祝の席となった。

 3年経って、下の娘が生まれた。その年の暮れには、実家の義父が体調を崩し寝込むようになっていた。正月に帰省したときもほとんど布団に横になっていた。生まれて半年ほどの下の娘は、おじいちゃんの布団の中に一緒に寝かせられた。あまりおとなしくない娘だったが、おじいちゃんの布団の中ではすやすやと良く寝た。
「ずいぶん、おじいちゃんが好きみたいだね。」
 妻が不思議そうな顔で、その様子を見ていたのを覚えている。

 2月末、突然、実家から連絡があった。下の娘のために人形を買ったからと言う。雛人形ひとつで困っているのに、これ以上はと思ったが、小さなものだから大丈夫だと押し切られた。
 3月、雛人形を飾った我が家に、実家の両親がやってきた。ついこの間まで体調を崩して横になっていった義父も元気になって、下の娘のために買ったという人形を携えてきた。
 その人形は、30センチ四方のガラスケースに入った子供の人形だった。
 節句の祝いは、上の娘の時と同様に、近くの仕出し屋から「桃の節句御膳」を取った。

「あんまりにも可愛くてね。ほら、この子にそっくりでしょう。」
 義母が目を細めて言った。たしかに、オカッパ頭で、少しふっくらした表情の人形は、下の娘によく似ていた。
「この人形をお店で見たとき、すぐに買おうとおじいちゃんが言ったのよ。でも、配達に時間が掛かって節句には届かないかもしれないって聞いたら、じゃあ、持っていけばいいって。」
 義母は少し困った表情だった。、
「そんなに体の具合は良くないんでしょう。無理しないでよ。」
 妻は、義父の体を心配して言った。義父は、上機嫌でお酒を呑んでいた。

 そのあと、ひと月もしないうちに、突然、義父は急性呼吸器不全で亡くなった。真夜中に連絡をもらった時にはすでに息を引き取っていた。

 2年前に、下の娘が、東京の大学に合格し、一人暮らしを始める事となった。引越しの準備のさなか、下の娘が申し訳なさそうに言った。
「この人形、もう少しここに置いといてね。卒業したら、必ず貰いに来るから。」

 祖父の記憶などほとんどないはずだが、下の娘は実家に帰るたびに、必ず仏様にお線香をあげるのを欠かさない。先日も、実家に行ったとメールをもらった。確かに、東京から実家までは、1時間ほどの距離だから、我が家に戻るよりうんと近い。
「やっぱり、おじいちゃん子っていうのかな?覚えてなくても臭いとかでわかるのかな。」
 ぼそっとつぶやいた私の言葉に、妻は笑って答えた。
「何言ってるの、本当にあなたはノー天気ね。馬鹿じゃない?」
 あまりの言われように、ちょっと腹が立った。
「しょっちゅう、実家に行ってるみたいじゃないか。娘が親孝行しないから、孫がそのかわりをしてくれてるんじゃないか?!」
と皮肉って言うと、妻は本当に呆れた顔でしばらく私を見つめていた。そして、ため息を一つ。
「あの子はね、現金な子なの。実家に行くと、必ずおばあちゃんがお小遣いをくれるらしいのよ。だから、ちょっとお財布が厳しくなると実家に行ってるだけなの。」
「ええっ?小遣い?そりゃいかん、とっちめてやらねば。」
 そう言って、私は携帯電話を取り出そうとしたら、妻が付け加えた。
「大丈夫よ。ちゃんと私がその分、送ってるんだから。実家のお姉さんからちゃんと情報は入ってるの。こないだも、行ったって聞いたから、ちゃんと釘を刺しておいてわ。」
・・そうですか・・知らぬは我が身ばかりのようですね・・。憮然とした表情の私を見て、妻はさらに付け加えた。
「でも、あの子、毎月、手紙を書いているみたい。とりとめのない内容らしいけど、ちょっとおばあちゃんが呆け始めてるみたいだからっていってね。」
 東京の娘のアパートの壁には、20年近く前に写した「祖父母に抱かれた娘たちの写真」が大事に飾られている。

 そう言えば、雛人形は、節句が過ぎたらすぐに仕舞わないと、嫁に行くのが遅くなるという話を聞いたことがある。
 我が家では、雛人形を飾るのもしまうのも私の仕事なのだ。押入れの天袋にしまってあるため、必然的に私の仕事になってしまい、飾り方の説明書をなくしてしまったために、私以外にはできないからだ。
 飾るのは、大抵、2月の21日くらい。というのも私の誕生日になると、妻がほぼ同時に思い出すからだ。そして、片付けるのは、節句を過ぎてだいたい1週間くらい。
「ねえ、はやく片付けてくれないと私お嫁に行けなくなっちゃう。」
 上の娘が、高校生になったくらいの頃から、決まり事のように言うようになった。
「ああ・・片付けなくっちゃなあ。」
 私は、生返事でやり過ごす。
「また、お父さんの気のない返事。いい加減にしてよ。」
 娘は少しふくれっ面で自分の部屋に入っていく。そうやって、何年か過ぎた。
 別に、片付けるのが面倒なのではない。
 お内裏様とお雛様の埃を払い、箱に入れる程度だし、数分もあれば終わる。
 だが、どうしても、節句が終わってすぐに片付ける気にならない。
 できれば、もう少し、私の「可愛い雛人形」を見ていたい気分なのだ・・・。


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