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4月 桜の樹1 [歳時記]

4月 桜の樹1
 お花見は好きですか?どこの桜が好きですか?
 私には、どうしても忘れられない桜の樹があります。今ではもう見ることのできない桜の樹は、遠いふるさとの峠道に立っていました。

 その桜の樹を始めて意識したのは、小学1年生の時でした。私の家は、小学校から4キロ、子どもの足では1時間以上かかります。さらに、私の家は、峠を一つ越えたところでした。
幼稚園を出たばかりの幼い子どもに過酷な道のりです。
一学期の終業式を終えると、工作や夏休みの宿題だけでなく、学校で植えた朝顔の鉢も一人で抱えて帰らなくてはいけません。仲の良い友達は、皆、峠の下で別れます。私一人、峠を越えるのです。孤独と辛さで、なんだか、子どもながらも「死にたい」なんて大げさに考えるほどでした。それでも、誰も手伝ってはくれません。10歩歩いては、鉢と荷物を置いて座り込んで、また立ち上がっては10歩ほど・・その繰り返しでどうにか峠の頂上にたどり着いた時です。照りつける夏の日差しに、大きな日陰が見えたのです。
それは、峠から更に上にある神社の鳥居脇に、すっくと立っていた大きな山桜でした。
毎日、登校、下校で通り過ぎ、見ているはずなのにほとんど気にしていませんでした。ですが、その日、照りつける真夏の日差しに、憩いの日陰を提供してくれているのです。ほっとして、私は、桜の根元の日陰に座り込みました。蝉の声も響いていて、すっかり疲れてしまっていた私は、その気の根元でうとうとと眠り込んでしまいました。
元来、おばあちゃん子だった私は、その桜の樹にもおばあちゃんを投影していたのではないかと思います。夕暮れまで戻らない私を心配して、祖母が峠まで私を探しに来てくれて、その日は家に戻りました。

以来、学校へ通う道すがら、その桜の樹の横を通り過ぎるたびに、「行って来ます」とか「ただいま」とか心の中で言っていました。その樹を見るたびに、なんだかほっとしたり、勇気付けられたり、いつしか心の支えにもなっていたようです。
中学生の時、ちょっと遅めの初恋の相手への告白も、この樹の下でした。その女の子は、クラス一の美人でみんなのアイドルのような存在でした。意を決して告白しましたが、もちろん、玉砕。私は、坂を下って去っていく彼女の後姿を見ながら、桜の樹にすがり泣いていました。
高校生の頃には、どうしても学校に行きたくない日があり、一日中、桜の樹の根元で横になっていた事もありました。
18になり、故郷を離れる時も、通り過ぎるバスの窓から、その樹に「行って来ます」と挨拶をしました。その時には、「またいつか戻るからね」とささやいていたように思います。
それから30年近く、ほとんど桜の樹のことを忘れていました。

去年の春、娘二人が偶然家に戻っていた時、NHKで桜が満開というニュースが流れました。
娘たちは、「お花見しよう」と言い出し、近くの城跡公園の桜の花見をする事になりました。
娘たちが小さい頃、家からここまで歩いてきたものです。城跡公園の桜は、背が低く、子どもにも手が届くほどの低さで、小さい娘たちには人気の花見スポットでした。
「ねえ、ついでに市内の桜を見て回りましょうよ。」
妻は時々とっぴな事を思いつく性格なのです。まあ、それがこの人の面白いところなのですが・・。まあ、良いか、来年は皆が揃うとも限らないしな、そう思ってすぐに車を出して市内の桜見物に出かけたのです。大池公園の桜、運動公園の桜、赤磐寺の桜、など見て回りました。いずれも見事な桜ばかりです。
一通り見物し終わったところで、上の娘が言いました。
「ねえ、お父さん、小学校へ行って!」
そうだ、この娘たちが通った小学校も、校庭をぐるりと大きな桜が並んでいた。きっと見事に咲いているだろう。すぐに車を走らせました。
娘が卒業して6,7年近くに行ったことはなかったでしょう。通学路に入ったところでなんだか様子が違っているのです。そうだ、確か、環状道路を作る事になって、学校の一部が移転したはずだ。私はとっさに思い出しました。
通学路は、途中から広い道路になり舗道もありました。以前は狭くて車の行き交いにも困るほどの校門前も広くなっていました。
「ええ?なんで?」
下の娘ががっかりした声を出しました。道路拡張で学校は移転、校庭はなくなってしまっています。当然、学校を取り囲んで立っていた桜の樹もほとんどがなくなっていたのです。
娘たちは、がっかりしていたのは当然のこと。彼女たちの記憶の中の、懐かしい小学校は面影すらなくなってしまっていたのです。妻もなんだかさびしい表情を浮かべていました
「仕方ないな・・・さあ、帰るか。」
彼女たちは無言でした。せめてもと、彼女たちが通った通学路を通って帰宅する事にしました。
我が家から、学校までは、大通りを行けばわずか1キロなのですが、途中、舗道も無く、横断歩道の整備も遅れていたので、通学路は大きく迂回し、住宅地の中を通る形になっていて、倍以上の距離になっています。
ゆっくりと車を進めていると、下の娘が急に声を出しました。
「ねえ、止めて!」
彼女は、急にドアを開けて外に出ていきます。上の娘も何か思い出したのか、一緒に車を降りました。私は、安全な場所に駐車して、妻と二人で娘たちのもとへ向かったのです。
娘たちは、車も通れないほどの狭い路地に入り、急な坂道の頂上まで上っていきます。
「良かった、あったわ。」
「ねえ、お父さん、お母さん、早く!」
娘二人が、小さな子供のように手を振っています。
「ここは通学路じゃないだろ?良くこんな道知ってたな。」
私が問うと、娘たちは笑いながら、
「ここは近道なの。朝は通学団だから通れないけど、帰りはね?」
下の娘の言葉に、上の娘も、笑顔でうなずきました。
「この坂を上ると、うちが見えるの。」
確かに、我が家が坂の下に見えます。
「ここまで来ると、なんだかほっとしたの。それに、ほら。」
娘たちが空を見上げました。私たちもつられて見上げて驚きました。
そこには、大きな桜の樹が立っていたのです。
急坂を登るとき、ついつい足元ばかり見ていて気づきませんでしたが、その坂道の天辺には、小さな社があって、その脇に大きな大きな桜の樹が立っていたのです。
「お父さんもお母さんもお仕事で、うちに帰っても誰もいなかったでしょ。ドアを開けてもお帰りって言う人もいなかった。本当はね、私、とても寂しかった。」
下の娘がそういうと、上の娘は、
「私のほうが帰りが遅くなるでしょ。すると、だいたい、みい(妹)はここに居たのよ。天気がよければ、ここで宿題もやってたよね。」
と言いました。
「良かった、ここの桜が見れて。」
下の娘はしみじみとそう言いました。
妻は、じっとその桜を見上げていました。そして、桜の樹に手を添えてこう言ったのです。
「ありがとう、娘たちを守ってくれて。」
その光景を見ていた時、私は、遠いふるさとのあの桜の樹を思い出していました。
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