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4月 桜の樹2 [歳時記]

4月 桜の樹2
あの桜は、まだあるだろうか。気になって、故郷に居る妹に電話してみました。
「ああ、兄ちゃんだけど・・・。」
「何?随分久しぶり。生きとったの?」
確かに、ここ数年連絡などしていなかったのだから、仕方ないかと思いつつ、
「なあ、あの峠にあった桜、まだあるかな?」
「桜?・・・ああ、鳥居の桜ね?」
「ああ、あの桜だ。まだちゃんと立ってるかい?」
少し妹は沈黙していました。
「兄ちゃん、しばらく戻ってないから知らないだろうけど、あの道は閉鎖されたのよ。」
「どうして?」
「峠の真下に、トンネルが出来て、町からまっすぐ産業道路が伸びて・・・うちの家の前にも大きな道路ができてね、便利になったんだから。」
「トンネル?あんな田舎にどうしてトンネルなんか必要なんだよ。」
「だって、峠を越えるのは大変だったでしょ?子どもたちは喜んでるわ。トンネルのおかげで学校が近くなったんだし・・まあ、トンネルは、産業廃棄物処理場のためだったんだけどね。」
「産業廃棄物処理場?」
「ええ、ほら、うちの山もそのおかげで売れたのよ。まあ、兄ちゃんが好きだった大久保海岸は立ち入り禁止になったけどね。毎日、大型トラックが処分場にごみを運んでるよ。」
しばらく、故郷に戻らずに居たら、浦島太郎になっていた。トンネルだの、産業廃棄物処分場だの、困った。
「バスもね、無料になったんだから。ばあちゃんたちは喜んでるわよ。・・ちょっと風向きによってはゴミの臭いが気になるけどね・・。」
「ゴミの話などどうでもいいんだよ。桜、桜はまだあるのか?」
「さあ、道路は通れないし、そうそう、去年、鳥居の辺りが土砂崩れがあったらしいから、もうだめになってるかもね。見に行く事もできないしね。」

私は電話を切りました。
故郷を省みず、長く過ごしてきた罰が当たったのだろうとまで思いました。その時、できるだけ早く、故郷へ戻って、あの桜が健在か確かめようと決意したのです。
その機会は意外な形でやってきました。
母がわりに育ててくれた祖母が危篤となったのです。90を超える歳、昨年風邪をひいてから一気に体力が落ちて寝込むようになり、最近は意識もはっきりしなくなっていたようです。
「すぐに帰って来なさい。」
久しぶりに聞いた母の声も随分年老いていました。
祖母の入院している病院は,駅からタクシーですぐのところにありました。でも、なかなかタクシーが来ません。私は諦めて、病院まで走りました。病院に着くと玄関に叔父が出ていました。
「遅かったな、さあ急いで。」
そう言って、私を病室に案内してくれました。病室の外まで見舞に来た祖母の友人が並んでいました。私の顔を見るなり、皆、顔を伏せます。病室に入ると、医師が祖母の脇に立ち、状態を伺っているようでした。私がベッド脇に着いた時、すでに祖母は虫の息でした。
「時々、呼吸が止まるんよ。」
私が、祖母の手を取るとすでに随分冷たくなっています。医師の顔を見ると、
「呼吸が乱れて、鼓動も弱くなっていますから、体温も・・」
私の様子を察知してそう説明してくれました。
「ばあちゃん、戻ったよ!」
そう声をかけると、聞こえたのか。祖母は大きく息を吸い込み、それからゆっくり息を吐き出しました。そして、そのまま、眠るように逝ったのです。
翌日には、通夜、葬儀と慌しい日が過ぎました。
全てが終わった夜の事、部屋でごろんと横になっていた私のところへ母がやってきました。そして私の横に座り、ポケットから一枚の写真を取り出しました。
「これ、ばあ様の枕の下にあったんよ。」
それは、私が祖母に連れられ、小学校に初めて行った日の朝に取られたものでした。モノクロの写真は随分ぼやけていたものの、険しい表情でランドセルを背負っている私と手を繋いでいる祖母が写っていました。そして、その写真の背景には、あの桜の樹が写っていたのです。

私は翌日、どうしても桜の樹に遭いたくて、新しく出来たトンネルの脇に、ある旧道を登ってみました。閉鎖された後、何度か豪雨もあり、ところどころ岩が転がっていましたが、何とか道は判ります。途中、里から神社へ上がる石段が見つかりました。トンネルを作った時、神社の参道は別の場所に引かれ、鳥居もなくなっていましたが、そこが昔の参道だと判りました。
「確か、この辺りにあったはずだが・・・。」
伸びた草で見通しが悪く、木々も大きくなっていて、あの大きかった桜の樹は見つかりません。
「やっぱり、無くなってしまったのかな。」
あきらめかけた時でした。
私の目の前を白い花びらが舞ったのです。いや、そう感じたのです。もう初夏、桜の花が咲いているはずはありません。でも、私には、それはあの桜の樹のものだとしか思えませんでした。草を分けて、古い石段に何とかあがって見ました。
しかし、大きな桜の樹はありませんでした。
その代わり、石段の脇には、大きな切り株がありました。まだ、最近まで立っていた様に、切り口は新しかったのです。そして、その切り株の古い根っこから、今年芽を出したと思われる細い木の芽が伸びていました。
あの桜の樹は死んでしまったわけでは有りませんでした。次の命を繋いで消えて行っただけだったのです。

あなたには、忘れられない桜の樹はありますか?


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コメント 4

シラネアオイ

こんにちは!Merry Christmas!!
私は俺ヶ街の餓鬼大将で育ちました、山にも川にも思い出が沢山残っていますが、そこは鉱山の街でした!もうずいぶん昔に閉山となり、廃墟になってしまいました。面影だけが脳裏に残っています。
by シラネアオイ (2011-12-25 16:24) 

苦楽賢人

シラネアオイ様、コメントありがとうございます。

脳裏に残る故郷。
楽しく美しい思い出ばかりじゃなくって、胸の深いところに刺さったまんまの棘みたいなものもあって、今の自分を時々叱ってくれることがあります。

このお話で、少し、そうしたもの達を思い出していただければ幸いです。
by 苦楽賢人 (2011-12-25 17:22) 

hana2011

苦楽賢人さんの故郷の桜、そしておばあ様とのエピソード素敵でした。いや、このまんまじゃない。少し違いましたね。
人が生きていくこと。家族のありかたにしても一筋縄ではいかない事も多々ありますね。

by hana2011 (2011-12-25 20:27) 

苦楽賢人

hana2011様 
コメントありがとうございました。

命のバトンタッチは「奇跡」に近いものではないでしょうか?
東日本大震災が一層そのことを感じさせてくれた一年でした。
by 苦楽賢人 (2011-12-26 08:53) 

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