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秋 曼珠沙華 [歳時記]

彼岸 30
「曼珠沙華」が何故か好きである。いつの頃からは判らないが、秋に土手を真っ赤に染める「彼岸花」が好きなのである。
あの花を見ると、幼い頃、祖母から「死人花(しびとばな)だから、触るんじゃないよ」と怒られた事を思い出す。
祖母によると、彼岸花が咲いている土地には、死人が埋まっているという。土手は関係なくて、荒地になっているところには、昔、戦で死んだ侍とかが埋まっているという。そんな根拠の無いことをと思っていたら、最近になってあながち嘘ではなかったことを知った。
昔、まだ土葬だった時代には、棺桶を土中に埋めた後、動物が遺体を掘り返さないように、その上に有毒な彼岸花を植えたらしいのだ。元来、彼岸花は種が出来ない。球根で増えていく。したがって、棺桶を埋めた後に植えた彼岸花がその周囲に広がるのだ。遥か昔に埋められたものが今、彼岸花の群生を作っている可能性は充分にある。
田畑の土手に咲く彼岸花も、人の手で植えられたものらしい。有毒性を活用して、田畑の作物を守るために植えたという事らしい。だから、秋の日に土手が赤く染まるのは、人々の生きた証でもある。

そういう薀蓄(うんちく)は別にして、私は彼岸花が好きである。

十年近く前の秋、仕事で山間部に行った時だった。
長閑な山村で、山の斜面に見事な棚田が連なっていた。土地の案内看板を見ると、江戸時代に大きな土砂崩れが起き、多くの村人が死んだらしい。その後、生き残った者達が、力を合わせて、土砂崩れの土地に一つ一つ石を積み上げ、棚田を作ったとあった。人の力の、いや、人の生きる願いは、奇跡を起こす事ができるのだと感じた。
そして、その土手一面が真っ赤に染まっていた。私は息を飲んだ。
それまでは、それとなく好きだなという程度だったが、この日は決定的だった。

翌年、妻にもあの彼岸花を見せてやりたくて、秋分の日に出かけてみた。しかし、まだ早かったのか、ほんの数輪が咲いている程度であった。二年ほど通ったが、やはり見事な花を見ることは出来ず、あちこちの彼岸花を探しては、写真に収めた。しかし、あの土手一面が真っ赤に染まった彼岸花には敵わなかった。

ある年の秋分の日、妻が朝食の時に切り出した。
「ねえ、これから、お墓参りに行きましょう。」
私は、例年通り、どこかの彼岸花を探す予定にしていたのだが、近くはほとんど回りきっていて、行く当てなど無かった。
「ああ、お彼岸だしな。」
思い返してみると、春の彼岸には何度か墓参りをしていたが、秋は何かと忙しく足が遠のいていたのだった。私は妻の提案に乗ることにした。
妻の実家の墓地は車で二時間ほどの山中の霊園にあり、これから出れば昼には到着するだろう。
「ねえ、カメラも持ってきてね。」
墓参りにカメラ?と少し変な感じもしたが、いつも鞄の中にはカメラが入っていてそのまま出かけた。

海辺をしばらく走った後、川沿いに山へ向かう。秋の紅葉はまだまだで、むしろ、残夏という気候であった。それでも、山深く入っていくと、さすがに風は涼しくなる。
「こんな山の中に霊園を作って、墓参りもなかなかいけないんじゃないか?」
などと言っていると、目の前の一本道が渋滞をはじめた。見ると、他県ナンバーばかりだ。
「ここの霊園は、関東方面の人が多いらしいわ。ほら,東京周辺じゃ、墓地も相当高価でしょ?それに、ここは、最初に少しお金を払うと、永代供養してくれるし、墓の掃除も徹底しているんだって。父もそこが気に入って買ったらしいわ。」
私の故郷は、自分の地所にはるか昔から、先祖代々の墓を持っているから、少し不思議な感じがした。
ゆっくりと進む車列の両脇は、深い森が広がっている。国有林の看板もある。ほとんど人が立ち行った事の無い場所もあるのだろう。
予定より少し遅くなったが、無事に到着して、事務所で案内を貰った。広い霊園、どこに墓があったか半年以上きていなかったのですっかり忘れてしまった。義父の墓は、霊園の中腹にあった。車を停めて、水桶と花を持って階段を上った。
「ここらみたいだけどな。」
そう言って、階段を上りきったところで私は驚いた。
四角い白い石が整然と並んだ、広い墓地の向こう側に、真っ赤に染まった土手があった。その先に広がる森まで、真っ赤に染まっている。私はしばらく、その赤い絨毯を見つめていた。
妻は、静かに手桶に水を汲み、墓に水をかける。花を飾り、お線香を立てる。その間、私はじっと赤い絨毯に見とれていた。
「さあ、お参りして。」
妻の言葉に我に返った。そして、促されるまま、義父の眠る墓に祈りを奉げた。
「ねえ、綺麗でしょう?」
妻はそう言ってニコリと笑った。どうやら、ここの彼岸花が咲いているのを聞いて、墓参りを言い出したようだった。
「写真、取ってよ。」
私は鞄の中から、カメラを取り出して構えた。
「せっかくなんだから、二人で並んで写しましょう。」
三脚を忘れた私は、義父の眠る墓石の上にカメラを置いて、タイマーをセットした。
何だか、義父がカメラを構えて、私たちを撮ってくれているようだった。

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