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大晦日  [歳時記]

 大晦日31
2011年もいよいよ終わります。
3月11日から始まる「東日本大震災」と復興への長い道程。辛い日々をお過ごしの方には、お見舞い申し上げます。
何が出来るか考えているうちに、時間はどんどん過ぎていきます。被災した遠い縁者へのわずかながらの支援程度しかできていないわが身を大いに反省しつつ、年の暮れを迎えてしまいました。
除夜の鐘は、我々人間の中の百八つの煩悩を払うためとは知っていますが、今年の除夜の鐘は、あの震災と津波で犠牲となられた方々への「鎮魂の音色」になってくれるのではないかと思います。

大晦日、私はほとんど毎年、仕事でした。ここ十年くらいは、店頭販売のお手伝い。寒い中、新年の準備で慌しく買い物をされる方、もうすっかり準備も終え、家族でゆっくり買い物される方、いろんなご家族を目にしながら大晦日を過ごしてきました。

明ければ新年。
嫌な事も辛いことも全て、去年と言う言葉の中に封じ込めて、新たなスタートを晴れやかに迎えるという習慣は、極めて日本人らしいものだと思います。

子どもの頃の暮れとお正月は、一大イベントでした。

二十日を過ぎる頃になると、母も祖母も、何かと気忙しくなります。

仕事納めの翌日には、早朝から家族みんなで大掃除を始めます。
家中のふすまや障子を外して、庭に運び出し、張替えです。古い障子紙を破るのは子どもの仕事。普段なら、障子に穴を開けると大目玉を食らうのですが、この日だけは別です。思い切り、普段の鬱憤を晴らすように、次々と穴を開けていきます。少しやりすぎて障子の珊を壊してしまうと、また大目玉を食らいますが、それでもこの作業は楽しくてたまりませんでした。
父と祖父は、畳を庭に運び出して、埃叩きです。手拭をマスクにして、バンバンと叩く音は近所からも聞こえていました。とにかく、朝から夕方まで一家揃っての大掃除から、暮れは始まりました。
そして、餅つき。お供え餅だけじゃなく、冬の間に食べる餅も搗きます。
もち米は、秋に自分の田んぼで獲れたものです。前日から浸漬したもち米を用意し、庭には釜戸三つほど設えらえます。薪を運ぶのは子どもの仕事、火の番は父、祖母と母は、餅板を用意します。祖父は、納屋から土間に臼を運び入れます。
我が家には、大ガラと呼ばれる餅つきの木組みの仕掛けがありました。太い木組みの、梃子の要領で太い杵を足で踏んでは離して、餅を搗くのです。大ガラがあるのは、本家だけ。近所の人たちも、米を持ち込んで我が家で餅つきをします。本家で餅を搗いて配るのが我が村の習慣でした。
皆で交替しながら、大ガラを踏み、たくさんの餅を搗きます。お供え餅を先に搗き、次に、食べる餅です。我が家では、祖母が餅の取り上げから、小口に切る仕事の職人です。一臼で何個の餅にするのか、目をつぶってでも判ると祖母は豪語していました。近所の子どもたちも、頃合を見計らって、我が家に集まり、搗きたての餅を貰って、自分で餡子を入れて、熱々のお持ちを頬張るのが一番の楽しみなのです。

正月飾りや門松も自分の家で作ります。
秋に刈り取った稲藁は変色しないよう、床下にしまってあります。もぞもぞと床下に入り込み、稲藁を引っ張り出すのは私の仕事でした。土間に敷かれた筵に座り、足の親指と両手を器用に使い、縄を編みます。神棚用と玄関用は太さと長さが違います。祖父と父が器用に作るのを見るのが好きでした。何度か、手ほどきを受けましたが、結局、身につかずに終わりました。
門松作りには、松竹梅が欠かせません。
父と二人、朝から持ち山(所有する山)へ行きます。でも、すぐに松竹梅を集めるわけではありません。まずは、山の掃除です。冬枯れの山に入り、下草を払い、すくも(松葉)をかき集め、一抱えほどの枕状にまとめます。それを幾つも作り積み上げていきます。下枝や枯れ木も風呂の薪にするために集めて束にします。こうして、山の掃除をしっかりやった後で、松の選定です。
松は今年出たばかりの新芽から格好のよいものを選びます。一対にする為に、たくさんの松を見て回ります。私の家の山は、赤松林もありました。秋にはマツタケもたくさん取れていました。松を手に入れれば、さっき作った「すくも」の束と、集めた枯れ枝を下の道まで運び出します。道の脇に積んでおいて、必要な時に取りに来るのです。帰り道にある竹林から太い竹を数本切り出して持ち帰ります。梅は庭にあるので、これで材料は全て揃いました。
でも、ここからが大変な作業です。土盛りや藁巻き、竹の細工・・・一日仕事なのです。
私が父や祖父と、門松作りをしている頃には、母と祖母と妹は、おせち作りを始めています。煮豆の火の番は妹の仕事、焦がさないよう鍋の中を見ながら、根気の入る仕事です。伊達巻とか、田作りとか、煮しめ、決して豪華ではないけれど、お重の中にたくさん詰めて出来上がりです。
こうした一連の年の瀬を迎える作業が終わった頃、ようやく我が家に入ってきたテレビからは、紅白歌合戦の歌声が響いてくるのです。

こんな大変な作業を、一家揃ってできる事が何よりの幸せでした。いや、その頃はそれが普通だと思っていました。

こうやって、改めて思い出すと、随分と昔の事のように感じる人もおられるでしょう。
妻や娘たちに話したら、「まるで、トトロの世界ね」と笑っていました。いや、トトロよりも、もっと前の世界かもしれません。でも、私の村では、ほんの三十年ほど前までは普通に見られた光景でした。

今では、おせち料理も、ネットで注文すれば簡単に手に入るし、正月飾りも店頭で売っているのを品定めしてさっと飾りつけ、門松なんてものは、最近は見たこともありません。

懐かしい暮れの風景。
今、そこへ戻りたいかと聞かれても、無理でしょうが、そうやって皆で新年を迎える支度をする事で、一年無事に過ごせた幸せを確認しあえたように思います。

さて、迎える辰年はどんな年になるでしょう。
皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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コメント 2

hatumi30331

来年こそ良い年になる事を願っています。
よいお年をお迎え下さい。
来年もよろしくお願い致します。
by hatumi30331 (2011-12-31 09:42) 

rtfk

今年は有難うございました☆
良い年をお迎え下さい☆☆
来年も宜しくお願い申し上げます☆☆☆
by rtfk (2011-12-31 12:31) 

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