SSブログ

1-6 病室での再会 [スパイラル第1部記憶]

1-6 病室での再会
古畑刑事の説明では、こうしたケースでは、身元が特定できればすぐにも親族の下へ送り返し、保護されるようになるのだが、身元がわからない場合は、行政措置として第三者の身元引受人を置き、生活保護による生計の保障と、仮戸籍・住民票の発行、そして社会復帰へと動く事になるようだった。
「彼女はまだ若いんです。それに、これまでもきっと辛い目にあってきたはずなんです。この先、また厳しい暮らしをしなければならないと思うと・・ですから、小林さんに身元引受人になっていただいて・・彼女を助けていただけないかと考えたんです。」
ケースワーカーの吉崎は、必死の形相で純一に話しかけた。
「ちょっと待ってください。・・・たた偶然、見つけただけの関係でどうしてそこまで面倒を見なくちゃ行けないんです。それに、私はうだつの上がらない独身の男です。あんな若い女性を保護するなんて、分不相応です。」
「いえ、あなたなら信用できます。だからこうしてお願いしているんです。」
吉崎は退かなかった。
「あなたは私の何を知っているんです?私はしがないトラック運転手で、もう40に手が届くむさくるしい男ですよ。聖人君子じゃないんだ。」
「いえ・・あなたならきっと彼女を守ってくださるはず。私は信じています。」
吉崎は妙な確信を持っていて、固辞しようとする純一にいっそう強く迫るのだった。
「じゃあ、あなただったらどうです?あなたが彼女だとして、私のような男の許で、暮らすなんて出来ますか?」
純一の問いに、吉崎は躊躇無く答えた。
「私なら是非にもお願いしたいですわ!小林さんとなら一緒に暮らせます!」
この返答に、純一だけではなく、古畑刑事も、谷口医師も驚いた。そして、そう言った吉崎本人が一番驚いて、真っ赤になってしまったのだった。
純一は、吉崎の言葉に呆れてしまって、もはや固辞する事が無意味に感じた。
「判りました。良いでしょう、身元引受人になっても良いでしょう。ただし一つ、条件があります。彼女自身が納得する事が前提です。当の本人が拒絶すれば、私自身も納得できません。それが条件です。」
純一の答えに、吉崎は大いに喜んで、
「ありがとうございます。」
そう言うと、純一の手を強く握り締めた。
「まだ決まったわけではありませんから・・・。」
純一の言葉に、吉崎は強く握った手を見て再び真っ赤になってしまった。
「では、彼女に遭わせて下さい。」

すぐに面会のために、吉崎と純一は病棟に向かった。
救急センターに隣接した病棟は東西二つの棟があり、彼女は東病棟の最上階の病室だった。エレベーターが開くと、ナースステーションの脇に廊下が二つ伸びていた。純一は吉崎の後について彼女の居る病室に向かった。
病室の入り口には、「小林<女>」と書かれていた。
「これは?」
純一が気になって吉崎に尋ねた。
「名前がわからないので、とりあえず、発見者の小林さんのお名前をお借りしました。」
吉崎はさらっと答えた。
「先に私から事情を説明しますので・・その後、お入り下さい。」
吉崎はドアを軽くノックして中に入っていった。ドアが閉まると中の会話は全く聞こえなかった。病棟の廊下は静かだった。
時折、看護師が病室に出入りする足音は響いていたが、それ以外に動くものはなかった。その間、純一は、彼女を浜辺で見つけたときの様子をぼんやりと思い浮かべていた。彼女の姿が脳裏に浮かぶと、何故か鼓動が高まるのを感じていた。
ドアが開いて、吉崎が顔を見せた。
「さあどうぞ。」
そう言われて、純一は一瞬躊躇った。どういう顔をして病室に入ればよいのか判らなかったのだ。
「さあ、どうぞ。」
吉崎に再び求められ仕方なく病室に入った。
彼女は、背を起こしたベッドに半ば座ったような格好で居た。病室着を着て、腕や胸元にはセンサーのビニール線が伸びていた。彼女は病室の窓のほうを向いていて、横顔しか見えなかった。
「小林と申します。」
おずおずと挨拶すると、彼女がこちらに視線を向けて軽く頭を下げたように見えた。
長く真っ直ぐな黒髪、色が透き通るほど白い肌、目鼻立ちのはっきりしていて、芯の強そうな女性だった。年はおそらく20代だろうと思われた。
「お話は出来ますか?」
純一は少し不思議な質問をした。
いや、彼女が記憶を失っている事は知っているが、それがどういう事か実際には判らなかったから、言葉もなくしているのではないかと考えたからだった。
彼女は、能面のような表情のまま、小さく「はい」とだけ答えた。
どうも上手く会話できない二人を見かねて、吉崎が口を出した。
「小林さんがあなたを海で見つけて救ってくださったんですよ。あのままだったらきっとあなたは亡くなっていたはずです。」
それを聞いて彼女が、再び小さな声で、「ありがとうございました」とだけ答えた。その言葉も、全く感情が入っていなかった。
きっと彼女にとって命を救われた事が良かったのかどうかさえも判断できないに違いない。記憶を失った事は生きている事すら無意味なものに感じられるのかもしれない、純一はそう受け止めていた。
「・・あの、体のほうはもう大丈夫なのですか?」
純一が訊くと、彼女は少し間をおいて、「ええ・・」と小さく答えるだけだった。
純一が想像したとおり、彼女にとって今病室にいる事さえも、現実とは思えなかった。自分は何者なのか、何処から来たのか、何故ここに居るのか、一切の記憶が消えているのだ。全てが幻のような感覚だった。この状況は夢の中ではないかとも考えていた。

nice!(4)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 4

コメント 1

獏

お祝いコメント有難うございます^^)

by 獏 (2012-12-10 20:39) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0