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1-8 看護師 [スパイラル第1部記憶]

1-8 看護師
「本当に良いんですか?」
吉崎が出て行った後、純一はもう一度確認した。今度は彼女が微笑むように言った。
「ええ・・。きっと優しい方に違いありません。よろしくお願いします。」
彼女の笑顔を見て純一は何だかほっとして、ベッドの横に置かれた丸椅子に座り込んだ。
彼女は、再び窓の外に視線をやって、言った。
「一つお願いがあるんです。」
純一が顔を上げて彼女を見ると、彼女が微笑みながら言った。
「名前をつけていただけませんか?・・自分の名前が思い出せなくて・・でも、これから生きていくには名前が無いと・・貴方のお傍に居るわけですから・・貴方が好きな名前をつけてくださいませんか?」
彼女の言葉は妙な感じがした。
身元引受人になったが、お傍に居るなどと言われると、まるで恋人か妻を貰ったような気持ちになってしまう。更に、好きな名前をつけてなんて言われると、自分の所有物のような錯覚をおぼえてしまうのであった。
「・・・名前をつけるなんて・・・。」
「お願いします。」
純一は戸惑いを隠せず、彼女の顔を見た。
はっきりした目鼻立ち、色白で上品さを感じさせる。左目の下にホクロがあるのが印象的だった。
純一の頭に突然、一つの名前が浮かんだ。どこからそんな名前が出てきたのか説明できないが、何故か彼女の顔を見ていると浮かんだのだ。
「・・じゃあ・・ミホ・・でどうでしょう・・・。」
名前を口にして、純一はたいそう恥ずかしくなって真っ赤になってしまった。
「ミホ?」
「いや・・あまりに在り来たりかな・・別・・別のにしましょう・・ええっと・・。」
純一は慌てて自分が口にした名前を否定しようとした。
「いえ・・ミホ・・良いです。・・そうしてください。」
彼女はその名を聞いて何だか妙に自分に合っているというか、懐かしいという感覚が湧いてきて、小さく何度か、口にしたあと、ふいに純一に言った。
「呼んでみてくれませんか?」
「えっ!」
純一はどぎまぎした。
ただ、名前を呼ぶだけのことなのに、これほど緊張するとは思ってもいなかった。
「お願いします。」
彼女は真っ直ぐ純一を見ている。
純一は、恥ずかしさを隠すために、一呼吸してから目を閉じて名前を口にした。
「ミホさん。」
「はい。」
目を開けると彼女は涙を流していた。
どういう涙なのか、純一には理解できなかったが、彼女は涙を流し、微笑んでいる。
「何だか・・・生まれ変われたみたいです。・・ありがとうございます。ご迷惑をおかけしないようにします。宜しくお願いします。」
彼女はそう言いながら涙を流し、毛布に顔を埋めた。

病室のドアが静かに開いた。
「失礼します。検温の時間です。」
そう言って一人の若い看護士が入ってきた。純一はその看護士を見て目を見開いた。
「お前・・どうして・・。」
純一の言葉など無視するかのように、その看護士は純一の前を通り、さっさと彼女の前に進み、体温計を差し出した。そして、手早く、脈と血圧を測る。その間中、純一の存在をわざと無視するような態度をとった。
「どういうことなんだよ、唯。なぜ、ここにお前が居るんだ?」
その看護士は、一通りの作業を終えると、ようやく純一の問いかけに答えた。
「あら?私はこの病棟の担当看護士よ?巡回に来ただけ。」
何だかとぼけたように答えた。
その看護士は、純一が勤務する鮫島運送の娘なのだ。
確かに、市民病院の看護士をしている事は知っていたが、大きな病院だ。病棟もたくさんある。偶然にしては出来すぎている。ようやく、純一は、あの古畑刑事やケースワーカーの吉崎が自分に身元引受人を依頼した理由がわかった。
唯が、救急搬送された患者の話を聞きつけて、発見者が純一だと知って、ケースワーカーに勧めた違いなかった。
「お兄ちゃん、身元引受人になったんだって?」
唯は少し面白がるように訊いた。
「とぼけて、お前がそう仕向けたんだろ!」
純一が言うと、唯はぺろっと舌を出した。その二人のやり取りを「ミホ」はじっと見ていた。そして
「仲が良いんですね?ご兄妹なんですね。」
「ミホ」の問いに、純一が答えた。
「いえ・・兄妹ではないんです。・・こいつは、私が勤めている運送会社の社長の娘なんです。こいつがまだ三つの頃から知ってるんで・・いや、子守代わりだったんでね。」
「ミホさんって名前になったんですね?良かった。お兄ちゃん、無愛想だけど優しいのよ。大丈夫、きっと守ってくれるから。・・それに、私も隣に住んでるから、お兄ちゃんが変な事しようとしたら逃げてくればいいからね。」
「お前、聞いてたのか?」
「・・お兄ちゃん、緊張しすぎて声が裏返ってたわよ。」
何か全て知られてしまったようで、純一は妙なむなしさを感じていた。
「ミホさん、随分、体調も良くなったようだから、退院も早そうね。お兄ちゃん、頑張ってね。」
唯は妙な笑みを浮かべて、病室を出ていった。
「・・ちょっと・・出てきます。すぐに戻りますから・・。」
純一はそう言うと、唯の後を追うように病室を出て行った。

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