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1-9 子どものような女 [スパイラル第1部記憶]

1-9 子どものような女性
「おい、唯・・ちょっと待てよ。」
ナースステーションへ戻ろうとしている唯に、純一は声を掛けた。
振り向いた唯は、うっすらと涙を浮かべているようだった。その様子に、純一は一瞬戸惑った。
「良かった・・ミホさん、きっとすごく辛い事があったはず・・お兄ちゃん、ちゃんとお世話してよね。・・」
唯は、担当の看護士として、ミホの状況を担当医から聞き、随分、同情しているようで、純一は身元引受人になってくれた事が嬉しかったようだった。
「ああ・・・」
純一は唯が見せた優しさに驚いたと同時に、小さい頃から見てきた唯が随分大人になったんだと元感じていた。
「お前に頼みがあるんだが・・。」
「何?」
「いや・・退院が近いって言ってただろ?・・で・・退院の準備を手伝って欲しいんだ。」
「良いけど・・お兄ちゃんがやれば良いじゃない?」
「いや・・俺じゃ無理な事もあるだろ・・ほら・・彼女、水着で海に居たんだ・・着替えとか何も無いじゃないか。女性の着替えって、俺には無理だよ。」
「良いじゃない。お兄ちゃんの好みの服を買ってあげれば?」
「・・洋服程度なら良いだろうけど・・ほら、・その・・下着とかもいるだろ?さすがに俺には無理だよ・・なあ、頼むよ。」
純一の困った顔を見て、唯は少し考えてから言った。
「わかったわ。ミホさんにサイズを訊いて買ってくるわ。・・じゃあ。」
唯はそう言うと、手のひらを純一の前に突き出した。
「後でやるから、立て替えといてくれよ。」
「えー?今月ピンチなんだから・・前金でちょうだい。」
「いくらいるんだ?」
唯はそのままの格好で少し考えてから、
「・・5万円くらいかな?」
「そんなに?」
「女性ものは高いのよ。それにちょっとはお駄賃もね?!いやなら良いのよ。お兄ちゃんが自分で下着屋さんに行けばいいんだし・・。」
唯はちゃっかりしている。
「判ったよ。」
純一は財布を取り出して、唯が言うとおりの金額を渡した。
「毎度あり!」
結いは変な返事をして、さっと純一の手からお金を受け取りさっさとナースステーションへ戻っていった。
純一は、改めて大変な事を引き受けてしまったと感じていた。

病室に戻ると、ミホはベッドを戻して横になっていた。
「あ・・そのままで良いですから。」
純一は、ベッドの脇にある丸椅子に再び座ると、退院の支度を唯に頼んだ事を伝えた。
「足りないものがあるようなら、退院してから買い揃えましょう。・・大丈夫です。・・一人身で、特に趣味もない男ですが、それなりに蓄えはありますから。少しくらいの出費なんてどうって事ありませんから。気にしないで下さい。・・それに、記憶が戻れば、あなただって普通の暮らしに戻れるはずです。僅かの間、私と暮らすだけになるでしょうから。」
「済みません・・ご迷惑をおかけします。きっとこのご恩はお返しいたしますから。」
「本当に、気にしないで下さい。あなたを浜辺で見つけたのもきっと何かの縁でしょうから。・・それより今は体をいたわってください。・・僕は帰ります。退院の日には迎えに来ますから・・」
純一はそういうと、立ち上がりかけた。
「あの・・・もう少し居ていただけませんか?」
「・・ええ・・それは構いませんが・・。お邪魔でしょう?」
「いえ・・一人になるのが怖いんです。」
ミホはまるで小さな子ども様な瞳で純一に言った。
「判りました。・・じゃあ、あなたが眠るまで傍にいますから。」
ミホはその言葉を聞き、安心したような表情をした。
「さあ、目を閉じて、眠ってください。」
純一は自分でも驚くほど優しい口調で彼女に言った。
「あの・・手を握ってもらって良いですか?」
ミホは布団の脇からそっと手を差し出した。白く細い指をしている。
一瞬、躊躇ったが、純一は、両手で包み込むように彼女の手をを握った。
彼女の手は随分冷たかった。
「ああ、温かい。」
彼女はそういうと、純一の温もりを全身で受け止めるような表情をして目を閉じた。

不思議な感覚だった。まったく見ず知らずの他人である。病室に入ってからまだ数時間しかたっていない。さらに、彼女は記憶を失くしていてどういう人間なのかまったくわからない。しかし、純一の心には、彼女を守りたいという想いが強く湧いてきていた。

一体、彼女はどんな世界で、どんな風に生きてきたのだろうか?どれほどの辛い目に遭って来たのだろうか。自分の過去を全て打ち消してしまいたいほどの衝撃とはどんなものなのだろうか。
純一は、目を閉じ眠ろうとしている彼女の顔をじっと見つめながら考えていた。
『記憶を取り戻さない方が良いかもしれません。取り戻すと心が壊れてしまうかもしれませんから』
ふと医師の言葉を思い出していた。
このまま記憶が戻らない場合、彼女はどうなるのだろう、一生、自分の傍に居ることになるのだろうか。
純一は想像し、何か、幸せな感情が湧いてくるのだった。

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