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1-10 退院 [スパイラル第1部記憶]

1-10 退院
彼女、ミホの退院の日が決まった。
すでに、鮫島運送の社長や奥さんには事の経緯は、唯の口から報告されていて、奥さんもミホの受け入れのために何かと世話を焼いてくれていた。
純一も、部屋の掃除や模様替えし、一部屋をミホが使えるようにしていた。

純一が、ミホの病室に行くと、すでに彼女は着替えを済ましていた。
唯の趣味なのか、ミホは白いワンピースを着て、ベッドに腰掛けて、窓の外を見ていた。
「用意は出来ましたか?」
純一が声をかけると、ミホが「はい」と返事をして振り向いた。少し化粧もしているようだった。もともと目鼻立ちがはっきりしている彼女だが、化粧でさらに際立ち、まるでモデルのように美しい。純一は彼女の美しさに息を呑んでしばらく見とれていた。
「なんだか、恥ずかしいです。・・こんな可愛い洋服、似合ってるんでしょうか?」
純一は、返事に困った。心の中では「なんて奇麗なんだ」と感じていたのだが、素直にそういうことが恥ずかしい気持ちで、「似合ってますよ」と答えるのがやっとだった。

担当医やナースステーションに挨拶し、会計も済まして病院の外に出た。
病院の前に広がる街路樹からは、会話さえ聞こえなくなるほどの蝉時雨が響いていた。
「今年の夏は酷暑だそうです。体、大丈夫ですか?」
「ええ・・もうすっかり。」
ミホは、病院の玄関口に立ち、しばらく外の景色を見ていた。
行きかう人々、車、木々の緑、ようやく現実の社会に出たのだと実感し、記憶を失くした事も現実の事なのだと受け入れたようだった。
「アパートまではすぐですから。」
二人は、純一の車に乗り、アパートに戻った。

アパートの駐車場に車を停めると、すぐに階段を登った。
隣に立つ社長の家に挨拶に行くべきかとも考えたが、彼女の様子からもう少し後のほうが良いだろうと純一は考えた。
部屋のドアを開けて、彼女を中に入れた。
「しばらくここで暮らす事になりますから・・。」
純一はそう言いながら、ベランダの窓を全開にして、外の空気を入れた。アパートの周囲にはまだ少し田畑が残っていて、吹く風は意外に爽やかだった。
ミホはベランダに近づき、外を見た。
「意外と景色は良いでしょう?」
ミホはじっと窓の外の風景を見ていた。
「ああ・・あそこ、あの松原の向こうの海岸であなたを見つけたんです。」
ミホは返事もせず、じっと純一の示す方に視線をやっている。
「ああ、そうだ。ちょっとこっちへ来てください。・・この部屋、使ってください。片付けてありますから。」
純一は、ミホをリビングの隣の部屋に連れて行った。ドアを開けると、そこには小さなチェストが一つと布団が一組だけ置かれていた。
「まだ、何もありませんが、徐々に揃えていけば良いでしょう。」
ミホは少し戸惑っているようだった。
「すみません・・随分、気を遣っていただいて・・・本当にすみません。」
「もう気にしないで下さい。それに、すみませんという言葉は止めてください。僕があなたを守ると決めたんです。欲しいものはなんでも遠慮なく言ってください。」
「でも・・。」
「あなたを妹だと思う事にしたんです。妹なら、兄が面倒を見るのが当然でしょう。」
純一は思わず口にした。
自分の言葉ながらかなり理にかなっていると思った。
「部屋は三つです。僕は、玄関の脇の部屋を使います。真ん中の部屋は物置みたいになっているんで、開けないほうがいいですよ。」
ミホは、純一の後を付いていく。
「トイレはそこです。ちゃんと鍵はかかりますから。」
ガチャガチャとドアノブを回して改めて確かめる。
「風呂はそこ。ボタン一つで給湯されますから。温ければ、このボタンを押せば暑いお湯が出ます。」
説明しながら動作を確認する。部屋の照明もスイッチを入れて確かめた。
「洗面台はこれて良いでしょう?洗濯機はちょっと古いですが・・壊れていませんから・。洗剤は棚の上です。・・ああそうだ。この使い方判りますか?」
記憶をなくしている事がどういうことなのか良く判らず、ひょっとしたらこうした機械も使い方すら覚えていないのではないかと心配になって訊いた。
ミホは少し考えて答えた。
「ええ・・たぶん、使えると思います。」
純一が聞いた理由もミホにはすぐに判ったようだった。
「キッチンは、ほとんど料理をしたことが無いんで、綺麗なものです。」
純一は、最後にキッチンに入った。システムキッチンの扉を一つ一つ開いて入っているものを確認した。一人暮らしで、大半の棚は空っぽだった。冷蔵庫の中も、わずかにビールとつまみのようなものが入っているだけだった。
「あの・・・料理は出来ますか?」
純一は冷蔵庫を閉めてから、ミホに訊いた。
「たぶん・・できると思います。記憶はありませんけど・・・料理と言われてなんとなくどんな事か判りますから・・きっとできるんだと思います。」
「そうですか。」
記憶をなくすということは、日常の暮らしが出来ないのとは違うようだった。もう少し、確認しておきたいことはあったのだが、少し気がとがめてやめた。そして、
「買い物に行きましょう。ああ、体、大丈夫ですか?少し休んだ方がいいかな?」
「いえ、大丈夫です。私もお手伝いします。」
「じゃあ・・。」
「あの、ちょっと待ってもらっていいですか?」
「ええ・・。」

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