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1-12 鏡に映る自分 [スパイラル第1部記憶]

1-12 鏡に映る自分
「どうしたんだ?」
純一が声を掛ける。ミホは立ち止まったままじっと何かを見ていた。純一が近づくと、そこには、全身が映る鏡が置かれていた。ミホはその鏡の前で立ち止まり、じっと見入っている。
「何かおかしいのか?」
再び純一が声をかけると、ミホはようやく口を開いた。
「これが私なのね。・・・なんだか、痩せっぽちで不細工・・・。」
そう言うと、ぽろぽろ涙を零した。美穂は鏡に映る自分の姿がまるで他人を見ているように感じていたのだ。記憶を失くすということは、自分がどんな容姿だったのかも忘れていたのだった。改めてその現実を感じて、ミホは涙を零したのだった。
「どうされました?」
鏡の傍にあった化粧品コーナーの中年の女性販売員が、ミホの様子に気づいて声を掛けた。その販売員はポケットから白いハンカチを差し出し、何も言わず、そっとミホの肩を抱き、「ちょっとお座りになってください。」と言って、化粧品コーナーにある椅子に座らせた。
そこには、新製品のモニターなどで使う簡易の化粧台が置かれていた。
「お化粧してみませんか?」
販売員はにっこり笑って言った。戸惑っているミホの様子を感じてさらに付け加えた。
「心配要りませんよ。商品を買っていただくためではありません。・・とっても綺麗な方なので、モデルになっていただけたらと。」
そう言って、ミホの肩をぽんと叩くと、その販売員は、売り場の外で様子を見ていた純一に視線をやった。
「あの方は、ご主人?」
「いえ・・兄・・みたいなものです。」
「そう。」
販売員は、ミホの答えを受け取ると、すぐに純一のところへ行き、純一の耳元で何か小声で言った。純一は一瞬驚いたような表情をしたが、こくりと頷いた。そして、販売員に頭を下げて、何処かへ行ってしまった。
販売員は、ミホのところへ戻ると、鏡に映るミホを覗き込むようにして言った。
「お化粧するのに少し時間が掛かるから、他の用事を済ませてきてくださいってお願いしましたから。・・・さあ、始めましょう。」
販売員は手早くミホの肩にケープを掛け、慣れた手つきでサンプルの化粧品を鏡の周りに並べ始めた。
「目鼻立ちがはっきりしていて、肌もつやつや。羨ましいわ。素顔でも充分ですけど・・・やっぱりお化粧するとまた気持ちも違うはず。」
独り言のように呟きながら、化粧水をコットンに沁み込ませて、ミホの頬辺りを拭きはじめた。
「お名前は?」
「ミホ・・です。」
「ミホさんね。・・・お歳は?」
そう訊かれて、ミホは答えに困った。販売員はおやっという表情をしている。それを感じて、ミホは思い切ったように言った。
「・・私・・・事故で記憶を失くしたんです。・・名前も歳も、どこに住んでいたかも忘れてしまって・・鏡に映る自分の姿さえ、自分じゃないみたいで・・・。」
ミホは、顔を伏せ、再び涙を零しながら、販売員に言った。
「そう・・・辛いでしょうね。・・・」
販売員も手を止めて思わず貰い泣きした。
「私、お休みの日にお化粧のボランティアをしているのよ。」
販売員はそう言うと、再び、化粧水を手にとってコットンに含ませながらボランティアの話を始めた。休日のたび、市民病院の入院患者を回って、化粧をしているのだという。入院中はほとんど化粧はしない。だが、やつれてしまった容姿を気にしている人も多いのだった。もちろん、治療に支障の無い程度の簡単な化粧なのだが、紅を差すだけでも随分表情が変わり、気持ちが軽くなって喜んでくれるというのだった。
「実は、私も若い頃大きな事故に遭ったのよ。」
販売員は、くるぶしまでの長いスカートをチラリと持ち上げた。彼女の右足は義足だった。
「意識が戻るまで随分長かったみたい。気がつくと、もう右足は無かったわ。・・・絶望していたの、どうやって生きていけばいいのかわからなくてね。・・母や父は励ましてくれるんだけど・・とても受け入れることが出来なくてね。・・・幻肢って知ってる?・・・無いはずの足なのに、脳だけは覚えてて、そこにあるような感覚が残ってるの。・・無くした自分自身を感じるようで・・・自分がとても惨めな気持ちになったわ。」
彼女は、その頃の事を思い出したのか、少し涙ぐんでいるようだった。ミホはじっと聞いていた。
「でもね。・・・・・そんな時、ある方に救われたのよ。・・このお店の社長なんだけどね。塞いでいる私を見かねて、お化粧をしてくださったの。ほんのちょっとしたお化粧だったけど、何だかとても元気になれたの。気持ちが軽くなったみたいで。」
彼女は、鏡に映るミホに笑顔を送った。
「その後、リハビリを頑張って、義足で歩けるようになってから、お化粧の勉強をして、このお店で働かせてもらえるようになったのよ。・・もちろん、今のあなたと比べる事なんかできないでしょうけど・・・でも、こうやってお化粧すれば少し心が軽くなるかもしれないでしょう。」
彼女は話を続けながら、ミホの化粧を続けた。ファンデーションを塗り、眉を仕上げて、ほとんど化粧も完成に近かった。
「ねえ、ミホさん。お近くに住んでいるんなら、時々、お店に来てくださらないかしら?」
販売員は小声でミホに言った。ミホは不思議な顔をして販売員を見た。
「是非、モデルになっていただきたいの。新製品のお披露目とか・・やっぱり綺麗な方がモデルだと人気も出るのよ。ねえ、お願い。」
「そんな・・私がモデルなんて・・・。」
「そうかしら?・・ほら、後ろを御覧なさい。」
知らぬ間に、ミホの居る化粧品コーナーの周りにたくさんの人が集まっていた。遠巻きには男性の姿も見える。
ミホは急に恥ずかしくなった。
「皆、あなたの美しい姿に気付いて立ち止まってくださったのよ。・・・ね、あなたは綺麗なの。自信を持って生きなくっちゃ。」

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