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1-25 一線 [スパイラル第1部記憶]

1-25 一線
 サンダルのあったところに、草がなぎ倒されたような痕があった。純一はその草を掻き分けて林へ足を踏み入れた。すると、木の陰に膝を抱えた格好で、ミホが蹲っていた。
ミホはがたがたと震えている。寒さで震えているのではないようだった。

「ミホ・・・大丈夫か?」
ミホは純一の姿を見ると、幼子が親に抱きつくように、手を伸ばし純一の膝を強く握った。そして、声を漏らしながら泣いた。
「ミホ、何があった?」
ミホは泣きじゃくりながらも、何とか口を開いた。
「判らない・・・通りに立っていたら・・突然・・車が近づいてきて・・。」
「どうした?」
「急にドアが開いて、腕を掴まれて・・・・。」
「顔は見たのか?」
「いいえ・・・・怖くて・・・怖くて・・・必死で逃げたわ・・・。」
もう思い出したくない、そんなふうにミホは見えた。
手も足も泥に塗れている。必死に逃げ、草叢を転がったのだろう。擦り傷もあるようだった。純一はこれ以上の事を訊くのは止めた。

「もう大丈夫だ・・さあ、帰ろう。・・ひどく濡れているじゃないか・・さあ。」
純一は、ミホを抱え上げると別荘へ戻った。

「体が冷え切っている・・さあ、お風呂へゆっくり入って温まっておいで。」
純一は、ミホをバスルームへ連れて行った。

「一体何者だろう?」
純一は走り去った車の事を気にしていた。ただの通りすがりとは思えなかった。ここは別荘地である。すでにシーズンオフに入りつつある。人影も無いところで偶然にさらおうとしたとは考えにくい。ミホの身元に関わることなのだろうか?何か途轍もない陰謀とか、悪事に絡んでいるのだろうか?
いくら記憶を失くしたといっても、性格まですっかり変わるわけでもないだろう。一緒に暮らして、ミホからは悪意を感じたことはない。むしろ、純真無垢な女性だと思う。きっと何か、自分から望んで足を踏み入れたのではないだろう。巻き込まれてしまったか、あるいは悪事を目撃したか。もしそうなら、何としても守らねばならない。このままずっと自分の傍に居るのがきっとミホにとっても幸せに違いない。
「いや・・そうじゃないだろう。」
ふっと口をついて出た。全て、自分の都合の良いように考えているだけだ。全く逆なのかもしれない。さっきの車は偶然ではないか。道に迷った女性を、通りかかった車が偶然見つけて、声を掛けようとしただけかもしれない。
堂々巡りのまま、純一は眼を閉じた。

バスルームのドアが開く音がした。暫くして、ミホが白いガウンを羽織ってリビングに現れた。
純一はすっと立ち上がり、キッチンへ行くと、ホットミルクを作ってミホに手渡した。
ミホは、嬉しそうに受け取ると、薪ストーブの前にちょこんと座ると両手で包み込むようにコップを握ってミルクを飲んだ。まるで幼子のようだった。
静かに夜が更けていく。時々、ぱちりと薪ストーブから燃える木々が跳ねる音が聞こえた。

「ごめんなさい。」
ミホがボソッと呟いた。
「いや・・良いんだ・・僕も言いすぎた・・・。」
純一はそう答えるのが精一杯だった。
暫く沈黙が続いた。

「私、純一さんとずっと一緒に居たいの。・・・私にどんな過去があるのか、わからないけど、今の純一さんとの暮らしが何よりも大切なんです。どうか・・・お傍に・・・置いてください。」
「しかし・・・・。」
今度は純一が答えに困った。もう突き放す事はできなかった。

あの浜辺で、弱りきって横たわっていたミホを見た時から、純一の心の中にミホが焼き付いていた。強引なケースワーカーの依頼を受け、「身元保証人」となったとは言え、純一はその事をどこか嬉しく受け入れていた。今は、傍にミホが居る事が何よりも幸せだと感じている。
目の前から、ミホが居なくなった時、全てを失ったような感情が湧き、二度と手放したくは無いと強く思った。どんな過去があろうとも、例え、待っている人が居ようとも、もうミホを手放す事等できない。しかし、それを口にする事は許されない。
数ヶ月もの間、奇妙な距離感を保ったまま、二人の暮らしが続いていた。超えてはいけない一線がそこにはあった。

「お願い、純一さん。」
ミホはそう言うと、すっと立ち上がった。
そして、羽織っていた白いガウンを、恥ずかしげも無く、するすると脱いだ。
「もう、すべて純一さんに捧げます。お願い、抱いてください。」
あの海岸で彼女を見つけた時に見た、艶かしい姿態を純一は思い出していた。
純一は覚悟を決めた。純一もそっと立ち上がり、優しくミホを包み込んだ。
「もう、過去の事は気にしない。ずっと、ミホを守っていく。」

この夜、二人は結ばれた。

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