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3-7 残り香 [スパイラル第3部 スパイラル]

3-7 残り香
純一のアパートは時々、社長の奥さんが掃除をしていてくれたようで、すぐにも暮らせる状態だった。ミサは、小さなアパート・・といっても独身に充分すぎるほどの広さだが・・・に入って、物珍しそうに部屋の中を見て回った。小さなキッチン、狭い風呂、どれもミサには新鮮に見えた。
純一は、ソファーに横になった。もう立っていられないほどに疲れていた。
「会長、大丈夫ですか?」
「ああ、少し疲れたな。少し眠りたいんだが・・・・・。」
「わかりました。・・・では、私は夕食の材料を買ってまいります。」
ミサは、毛布を一枚持ってくると横たわった純一に掛けてから、鍵を受け取り、スーパーを教えてもらって出かけていった。

純一は、眠気なのか意識が少しぼんやりとした状態だった。
夢を見た。
夕日の中に、小さな女の子が蹲って泣いている。声を掛けようとしても声が出なかった。
近づこうとするが足が動かない。どうもがいても動かない。そのうちに、誰かが近づいてきて、その女の子の手を引っ張り、泣きじゃくる女の子を引っ張って行く。やめろと叫ぼうとしても、声は出ない、そして、徐々に姿が小さくなって見えなくなっていく。

目が覚めた。
夕暮れの時間になっていて、夕日が差し込む部屋の中はオレンジ色に染まっていた。
純一は立ち上がり、ミホが使っていた部屋のドアを開けた。
ミホが使っていた布団が一組、綺麗に畳まれて置かれている。
ミホは決して贅沢を望まなかった。
だから、部屋の中には布団と小さなチェストが置かれている程度だった。チェストの上には小さな鏡とわずかばかりの化粧品が並んでいる。
今から思うと、ここに居た時間は僅かだったが、それでも充分に生きた証しが残されていた。

純一は、そっと、部屋の中に入ってみた。そして、そっとミホが使っていた枕に触れた。わずかにミホの髪の香りがした。
「ミホ・・・。」
急に、胸の奥のほうから強い悲しみが湧いた。
「ううっ・・・」
事故の後、ミホの死を聞かされた時、どこか実感が湧かなかった。そして、嘘だろうと信じない自分がいて、強い悲しみを感じる事を拒否していたのだった。
しかし、今、この部屋でミホの残り香を感じ、抑圧してきた悲しみが一気に噴出してきたのだった。
堪えきれず、純一は床に伏して、声を上げて泣いた。心がよじれるような悲しみが全身を包んだ。

ミサは買い物から戻っていたが、ドアの外に立っていた。
純一の悲しみの声がドアを少し開けたときに聞こえたのだった。ミサもじっとドアの外に立ち、涙を流していた。

1時間ほどそうして過ごし、ミサは涙を拭いて、明るくドアを開けた。
「ただいま戻りました。・・会長、驚きました。・・・スーパーには随分便利なものがたくさんあるんですね・・・。おいしそうなケーキ店がありましたから、ついでに買ってきました。すぐに夕食にしましょう。」
ミサは、純一の様子には気づかぬふりをして、そのままキッチンへ入った。

ミサが調理を始めると、純一がミホの部屋からゆっくりと出てきた。
「何が出来るんだい?」
純一も泣いていた事を気づかれないように、明るく訊いた。
「そういう事を訊かれると困ります。・・・料理は好きですけど・・・ご期待に沿えるかどうか・・・会長はソファに座っていらして下さい。さあ・・・。」
ミサは純一の背を押して、キッチンからリビングへ追い出した。
「お加減はどうですか?」
ミサはソファに座った純一に改めて訊いた。
「ああ・・・横になって楽になったよ。・・・少し腹も減ったな・・・。」
「良かったですわ。でも万一のこともありますから、今日は早めにお休み下さいね。」

しばらくして夕食が出来た。
「カレーにしてみました。食欲が無い時はこれが一番でしょう?」
そう言ってミサが、純一の分を食卓に並べた。邸宅でも秘書という身分をわきまえ、そうしてきた習慣が出た。
「この狭いアパートで、一人で食べるのも淋しいじゃないか、今日は、君も一緒に食べよう。」
ミサは自分の分をよそうと向かい合って食事をした。
「ミホもそこに座って食べていたんだ。」
「じゃあ、今日はミホさんの代役という事にしましょう。ミホさんほど美しくないですけど・・。」
食事の後、買って来たケーキとコーヒーが出された。
「おや・・このケーキ、スーパーで買ってきたんじゃないね。・・・これって・・・。」
「判りました?・・・ええ、さっき、健二さんに頼んで、雑誌で紹介されていたお店のケーキを買って着てもらったんです。会長がお好きだからって言って・・・」
「君は案外ちゃっかりしてるんだね?その性格なら、きっと何処でも生きていけそうだよ。」
「どこでもって・・・会長、私を首にしないで下さいよお、お願いですう・・・・」
ミサは少しおどけて応えた。
ミサはずっと純一の傍にいて、少しでも純一の心の穴を埋めることが出来ればと考えている。そして、そのことを純一もちゃんと判っていた。

その後、入浴して早めに就寝することにした。
「ミホの部屋を使うと良いよ。」
純一が勧めたので、一旦、部屋に入ったが、純一の大事な思い出を壊してしまいそうに感じて、ミサは、リビングのソファで横になる事にした。

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